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大阪が水の都、食道楽の町と言われる理由
大阪に住んでるんですが大阪は水の都と言ってもきれいな河川があるわけでもないと思います。 また川はどこの都道府県にもあると思います。 食道楽といっても市内で食事とかしないもので、車での行動をしやすいところでの行動が多いため。 よくわからないんです。 ただ単に美食にうといだけなんですが。 せっかく大阪に 住んでるのに大阪の良さを知らないみたいです。 両者のそういわれる理由を教えて下さい。 みなさんおいしいものを他府県の人より食べてるという実感はありますか? こういうところが両者がそう言われている所以なんだよって教えていただけませんか?
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水の都という表現が正しいかどうかわかりませんが、大阪から今の堺にかけては江戸の頃から海運の中心であり、物流は海と川(つまりは船)に頼っていたので、川は企業運営や生活に欠かせないものでした。 一方、陸でも物が動くわけですからたくさんの橋が必要であったことから、今でも大阪は江戸の八百八町に対して八百八橋と言われています。 食文化も、海運の発達で運ばれてきた北海道(蝦夷)や東北(陸奥)あるいは地元瀬戸内の海産物が豊富で、「食い倒れ」と言われるようになりました。 また東京が江戸幕府で発達したように、大阪は京の都が近いので人口が多く、経済も発達して贅沢ができる環境であったと思われます。 さらに京都は地理的に海から遠く、物流も食文化も大阪経由が多く、その影響を強く受けていたと思われます。 京都に限らず、江戸にも懐石料理がありますが、語源は「ふところに石を入れる」と言われ、貧乏な武士や下級の公家が、食材が不足していても満腹だと見栄を張る(?)ために食材を少量ずつ分けてゆっくり食し、ふところに石を入れて「ふ~腹いっぱいだ」と言ったらしいですね。 だから懐石料理を食べて「満腹」になったらそれはインチキ懐石ということです(笑) ところが大阪は量は豊富だったので、素直に満腹になる料理を考え出し(もちろん今と比較したら栄養学上などでは貧相なものでしょうが・・)、大阪の食事はおいしい(つまりは腹いっぱいになる)となったという説があります。 もちろんこの手の話には諸説ありますので、100%正解じゃないですよ。
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- momo-kumo
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もともと、「杭倒れ」という言葉があり、これに「京都の着倒れ」と掛けて「大坂の食い倒れ」としたと言う説もあります。 「杭倒れ」とは、昔の大坂は八百八橋と言われるほど橋が多く、その橋は私橋で個人が負担していたため、橋が老朽化すると、補修、掛け替えのための費用で身上を潰してしまうことを「杭倒れ」と呼んでいました。 食べ物に身上を惜しまないほど金銭を使うことになぞらえて「食いだおれ」という言葉が生まれたという説です。
お礼
そういう説があるんですね。 ありがとうございます。
食に関しては、江戸時代に北前船により、日本全国からいろんな食材が集まった事から食に関し文化が栄えたと言う事です。 特に昆布については当時の蝦夷から大阪に入り、独特の出汁の文化が栄えたらしいです。 北前船については以下を参照してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%89%8D%E8%88%B9
お礼
江戸時代からそういう経緯があったんですね。 ありがとうございます。
大阪市内をめぐる川、あれはほとんど運河です。江戸時代の頃?から作られ運河の水利を利用して運搬に使われました。だから水の都と呼ばれてます。本当に呼ばれてるのか、誰かが無理矢理言い出したのかは不明ですが。。。 食道楽の町ってのは、、、単にカニ道楽や食い倒れ人形があるからでは?
お礼
ありがとうございます
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 参考になります。