- ベストアンサー
本当の誠意って何ですか?
私は、相手に口に出したとたん、それは誠意では無く、傲慢、自己満足になるとおもうのですが・・
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
貴方が思っている事が正しい答えでしょう ただしコチラと相手の誠意に対する考え方が一緒だった場合は 本当の誠意になるんじゃないでしょうか(その人との間だけ) 誰にでも通用する誠意なんて存在しないと思ってます。 『優しさ』等についても同じ事が言えるでしょうね どんなに相手を思って行動したとしても 相手が迷惑と感じればそれまでです 迷惑と感じられた優しさは自己満足以外の何者でもない。 貴方の質問のような考え方を持っていると 誠意をみせるという事については うざがられたり、迷惑がられることも少ないと思うので 僕はその考え方は正しいと思ってます。
その他の回答 (8)
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
ちなみに、本当の誠意や真(まこと)には、「自分」がありません。我がない心、自分勝手がない、無私の心です。 気持ち悪いとか、嫌であるとか、不平などがない、即ち「自分」がない人です。 唯一あるとすれば「感謝」の心でしょうか。自分がないために、本来嫌な気持ちになる場面でも嫌と思わず、感謝して行える心です。 もっとも、私の回答の中にポンポン出てくる「心」とは、あえて誠意とは言わなくとも、それ以外の何ものでもありませんが・・・
お礼
回答ありがとうございます。 遅くなってすみません。
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
そうですね、わかりやすい身近な例でいえば、日常よく交わす「挨拶」というものがあります。 朝、会社や学校やご近所の人に会うたびに「おはようございます」とお互い挨拶を交わしている光景があります。 しかし、これらのほとんどが心から交わしていると思いますか? 朝は「おはよう」、夜は「こんばんは」、途中では、「お疲れ様」などなど、ほとんど習慣で行っていることが多いと思います。 こういうのを頭(観念)で言うというのです。 つまり、心がなくとも習慣(=こういう場合はこういう挨拶の言葉を言うのだと頭で考えた結果)として言えてしまうのです。 「挨拶はとりあえず形だけでも全くしないよりはましだ」という観念を頭で考えてしまったわけです。 あるいは、別の例では、謝る行為などもその典型ですね。 企業などが不正を行い、社会問題化した場合、すぐ謝ろうとしますが、これも観念です。 心では思っていなくとも「とりあえず、下手に出て平謝りしておいた方がいいだろう」・・・とこれまた頭で考えての謝罪行動となってしまいます。 つまり、心から謝っているのではなく、「謝っておいた方がいいだろう」という判断、即ち頭から出た言葉なのです。 心で生活する者からすれば、ありえない行動(何とも愚かな行動)にしか見えないのです。 謝罪というのは、頭で考えてからお膳立てしてチマチマやるものではなく、心の痛みを感じた瞬間にやるものです。やるというよりも、心から謝らずにはおれない心情が溢れてそうするのです。 頭で考えるような余裕などないのが心というものです。 挨拶や謝罪という簡単なテーマですら観念や習慣でしか行えないなら、その他の実に多岐に及ぶ生活全般に於いては、どれだけの人が悲しいかな頭で生活しているでしょうか。 頭に囚われていると言った方がいいかな・・・ 頭で生活すればするほど、心が枯渇していくばかりだというのに!! 頭は誰にでも使えるのだから、もっともっと心を使わないとね。 言わんとすることが、少しはわかりましたでしょうか。
- iism2343
- ベストアンサー率42% (82/191)
質問者様と同様に考えております。 「あなたの為だから」のCMと一緒です。 相手の事を想って自身のことを滅して行動する事が誠意かと思いますが 誠意を見せる、と言う事になると、 「見せた見返りに何かを要求」していることになるかと。 自分の事を想って相手のことは滅して行動してるように思います。 実際の誠意とは、言葉でなく行動で示すもので 見返りはありませんから 行動に対する評価要求もないはず。 要求もないので「誠意を示した」との発言もなく ただ、無言の実行、だけかと。 見えないところで黙って助けてくれる人は、 同性であれ異性であれ格好良いし、 こちらも同じことをしてあげたくなります。 こういう気持ちに到るものが「誠意」ではないかと思います。
お礼
回答ありがとうございます。誠意を口に出すと、「してやった」としか聞こえませんよね。 そんなの誠意じゃないと私も思います。「無償の愛」に近いものですね。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
貫き通せば誠意。 口でも心でも行動でも貫くべき。 口に出せないのはビビってるから。
お礼
回答ありがとうございます。 そんなご意見もあるということを尊重します。 でも、ビビッているとは思えません。
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
心で生きるのか、頭で生きるのかは人生の死活問題です。 心で生きているのか、頭で生きているのか、自分が今言っているこの言葉が頭から出るものなのか、心から出るものなのかをしばしば反省しなければなりませんね。 人に対する時も観念で対するのか、心で対するのか、 習慣的に対するのか、心で対するのか・・・生活が分別されていなければ、死んでいる自分であり、理念という観念の世界で生きていくだけになってしまうのです。 私の周りの多くの人達を見ても、頭だけで生活している人がどれだけ多いことかと思います。 頭で生きようとすればするほど、言葉からも行動からも誠意が遠のいていきます。 真心や誠意は、言葉に出そうと出すまいと、心で生活している人なら、その生活そのものが既に誠意なのです。 頭で生きる人は悲しいかな、喜びを感じることができないままその生涯を終えるのです。 生きている人とは心で生活する人であり、死んだ人とは、頭で生活する人です。 事実、頭で生活している人が何かを言ってきても全然心に響きませんよね。 心を使わないからそうなってしまうのです。
お礼
回答ありがとうございます。 あなたのおっしゃってること、いま一つ理解できないのですが、 多分、その通りかもしれません。
- siriai
- ベストアンサー率23% (50/213)
その傲慢や自己満足が相手にいかに解釈されるか、ということにつきます。 あなたのようにそれを誠意でないと感じる人もいて当然だと思います ですが考えてみてください。「誠意のある人」はなぜ誠意ある行動をとるのでしょう? 理由は簡単です「他人にいいように思われたいから」です 本人はそう感じていなくても、心のどこかで必ず考えています そういう自分でいたいと考えているはずです だから、誰にも「誠意がある、誠実だ」といわれないから自分を分かってほしくてそう言っているのかもしれません。 本当に誠意が無い奴もこう言いますが、もしその人に誠意があって不当に評価されていると感じているようなら、それを寛容な心で認めてあげてください。
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃる通りだと思います。 でも、「他人にいいように思われたいから」というのは、偽善ですよね。 私も偽善者では無いかと、常に疑っています。 「寛容な心で認めてあげる」ということは、大切なことだと思いました。
人に対する思いやりです。
お礼
回答ありがとうございます。 その通りです。
- koku46sou
- ベストアンサー率15% (148/969)
本当の質問は何ですか?
お礼
相手が「これだけ誠意を見せているのに」と言ってきたからです。 相手には感謝していますが、今までのことは何だったのだろう?と思ったのです。
お礼
回答ありがとうございます。 「誠意」も「優しさ」も難しいものですよね。 私は迷惑ではなく、 相手の誠意を信じていましたが、「誠意」を口に出されたら信じられなくなりました。