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先天性四肢欠損の友達

私には先天性四肢欠損と言う障害を持っている友達がいます。(その友達は手や足の指や爪が3本くらいありません。)全然目立たなかったので私も、言われて初めて気付いて驚きました。 その友達は、2つ年上の先輩が好きで、告白しようか迷っています。なので私に「障害持っている私が、告ったら迷惑かな?」と相談されました。私は、その友達が親友なので「そんな事ないよ」と言ったのですが、その先輩が何か言って友達が傷くのは見たくないので、「やめといたら」と言った方がいいのでしょうか。 私はその人の人柄も好きだから、障害あっても何も思わないのですが、世間から見たら、そういう人はどうなのか知りたいです。 沢山の回答待っています。

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

「世間全般から見たら」という意味では「いろいろです」と答えるしかない。 とても気にする人もいるし、気にしない人もいる。 だから、逆に言うならば「他人はこう思ってるんだろうな」と自分で考えるのは、必ず間違ってる場合があるし、当たってる時もある。 世間の評価って、すごくバラバラだよ?。 君自身の告白じゃないから、君は見守るだけにしたほうがいい。 支えになってあげればいい。 誰でも自分で決めて、自分が動かなきゃならない「一瞬」がある。 それは、自分が必要だと認めて、そうしなければいけないのだ、と心に決めることから始まる。 君はあくまでも彼女の「友人」であることを貫くべきだろう。 だから、敢えていろいろ聞かせるべきじゃないと思うぞ?。 「やめといたら」は禁句だ。 やるかやらないかは、彼女が決めることだから。 彼女が傷ついて、彼女が泣くのは、彼女の「権利」なんだ。 君の気持ちの問題じゃない。 彼女の自由を束縛したくないなら、君は嫌でも見守るのが仕事だろうね。 それと、君は彼女の障害を気にしていないというけど、他人がみなそうだというわけじゃない。 だから、といって、気にしてしまう人のことをどうか怒らないで。 その人たちには、その人なりの理由がある。 君に君の理由があるように、だ。 それは、彼女を通して、君が社会というものを知っていこうとするとき、とても重要なことだから覚えておいて欲しい。 君が少なくとも、そう思っていることで、彼女は君と話すときに偏ることなく社会を見ることが出来るだろう。 君たちはだから「支えあっている」んだよ?。 彼女が君のために動けるような、そんな場面が来るといいよね。

  • rowena119
  • ベストアンサー率16% (1036/6310)
回答No.2

相手次第ですからね、こういうのは。同情では長続きしませんしね。頑張ってみたらとしか言い様が無いですね。私の会社は障害者だけの工場を運営していたことが有りますが、上手く行かずに閉鎖しました。それは、障害者同士の脚の引っ張り合いです。皆同じ環境の場合は仲が良い。でも障害者同士が結婚するとなると、自分達とは違う世界に行くと思うのか、ねたみで居たたまれなくして追い出してしまいます。障害者は体と同様に心に大きなハンデを持っていることが多いですから、そのあたりも理解して貴女がお付合いすることではないでしょうか。

回答No.1

やはり先天性四肢障害(欠損)の人が近くにいます。 だから「世間から見たら」じゃないかもですね・・・。 先天性四肢障害の人の多くは内面的にはごく当たり前の人間です。(時に他の障害も伴っていることがある、という意味です。) 人も好きになりますし、身体の障害以外のことで普通に悩みもします。 そのお友達が先輩に告白する相談をあなたにしたのですよね? その子にあなたというお友達がいることが素晴らしいことなのだ、と思いますよ。 友達だからその子が傷つくのもイヤだろうけれど、 友達だから、「やるだけやって、ダメだったら自分が居るよ。一緒に悲しむよ。」って気持ちで居てあげたらどうでしょう? 先輩だって困るかもしれない。 その子のこと好きでも、嫌いじゃなくても「微妙」って思うかも。良く考えたら「無理」って思うかもね? 全然、ごめん、他の子が好き、ってこともあるかも。 そのへんは実はその子が四肢障害じゃなくってもおんなじこと、なんだぁー。 四肢障害じゃなくても顔がピンとこないとか雰囲気が好みじゃない、なんか・・・そうじゃない、はあるからね。 だから普通はなんとも思ってないあなたが「やめといたら」と言うことの方がその子へこむ、と思う。 やっぱこのせいか、って。 いつもは気にしてない仲のいい子でもそう思うんだ?って。 そっちの方がダメージ大きいと思うんだよね。 世の中に気にする人が居るのは確か。 でも、いつもは気にしてないあなたなんだったらそのままで応援してあげて。 ダメだったら一緒にザンネンがってあげて。 OKだったら一緒に幸せになってあげて。 大事な人を悲しみからあらかじめ守ろうとするのも友達、って気がするだろうけど、それは実際には不可能なことなんだ。 それをやろうとすると。難しい言い方だけど相手への「操作」よけいなコントロール、になるんだ。 あなたも人から応援されるのは嬉しいけど誰かから「操作」されたらイヤでしょ? そういう先天的な、自分のせいじゃない障害がある人にとっても、誰にとっても もっともっとありがたいのは自分が勇気をもって前に進んだ時に 一緒に喜んでくれて、失敗したら一緒に悲しんでくれる人が居ることだと思うんだよね。 そういう友達でいてあげることが一番!なんじゃないのかなぁ、と思います。 だから今は「告るんだ?すごいじゃん!がんばれー!」って言ってあげるほうがいいと思います。

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