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考え方が真っ直ぐすぎてしまう、どうすれば
大学4年生の女子です。 私の考え方の癖で悩んでいます。 相手が言ったこと、起こっていることなどを90%信じて、鵜呑みにしてしまいます。 結果、思い違い、とらえ違いで騙される形になる事も多い気がします。 「言葉の裏を読もうとする力が足りない 素直すぎる、真っ直ぐすぎる、と言われます。」 皆、影で悪口を言いまくっていても本人の前ではがらっと態度を 変えたりしていますが。私はそういう態度も隠せません、 嫌いな人はとことんイライラするし、好きな人は好き。極端です。 もちろん、空気や、環境もあるので露骨に態度に出したりはしませんが、、、 わざと友好的に振舞ったり、何もないふりをしたりが、周りのようにうまく出来ません。 社会には、周りを全く気にせず自己本位で生きている人も沢山います。 時々、自分が周りを気にしすぎな気がします。 しかし、いざそう自分本位で生きてみようとしても、 他人にやった事は絶対返ってくるんじゃないか、と全部背負い込んでしまうことになり、 結果元の性格に舞い戻ってしまいます。 自分より、周りの事を考えすぎて動いて、縛られすぎて動けなくなることもあります。 サークルも、バイトも、良い人に沢山恵まれていて凄く幸せですが、嫌なことがあったりもしますよね。嫌な人にあったりとか。悪口ばかり言ってる人とか。 親や、祖父母は本当に優しく、喧嘩もなく、自分が良い環境で育ってきたからなのか、、 社会に出て理不尽な人に合うと、受け入れるまで時間がかかります。 世の中、皆実は良い人なんじゃないか、と信じたい自分がいます。大学4年生にもなるのに。 もう少し、自分に楽な生き方をしたいです。 私の考えはずれていますか? この性格は受け入れて生きていかなければならないのでしょうか? 読みにくい文章で申し訳ないのですが、アドバイスを頂けたらありがたいです。
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- tereeza16
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少し意地悪(理不尽に)聞こえるかもしれませんが、、、 斜め30度の角度から見た提案???をしますね。 あなたは悪い人ではないと思いますし、あなたの人格を否定するつもりはないですが、、、 >社会には、周りを全く気にせず自己本位で生きている人も沢山います。 >時々、自分が周りを気にしすぎな気がします。 逆の可能性はないですか?あなたが周りをちゃんと見ていない??? あなたの、相手の感情を読むやり方が、ある意味ワンパターンなのかもしれません。 性格というよりは、コミュニケーションの問題だとは思いませんか? 感情移入や交流がうまく行かないので、それを気にせざるを得ない。 だから、あなたは自分にも何かあると感じつつも、周りのせいにしてしまうのでは??? なぜ、あなた(だけ?)が理不尽な人と出会って(ぶつかって)しまうのでしょうか? なぜ、ちょっとしたことなのに、すれ違いが起こってしまうのでしょうか? それは、あなたが良い環境に育ってきたからでしょうか? 家族や友人に恵まれ、素直で、真っ直ぐな性格だからでしょうか? 私は、それだけではないと思います。 相手の感情を読み取るのは、言葉だけではないですよね。 仕草、表情、ボディランゲージから 相手の意図なり、感情の動きのサインを受け止めなければいけません。 これは、ある意味あなた自身の価値観や思想よりも大切なことですよね。 当たり前ですが、世の中にはいろいろな人がいます。 すべての人の感情なり、要望なりは、千差万別です。 あなたの枠にはめようとしても収まるわけがありません。 あなただって、そう思っていますよね。 自分の周りは善意の人々で、外の世界には悪意を持った人もいる??? という考え方もありますが、極端に言えば、世の中良い人も悪い人もいません。 そもそも人はみな善意と悪意を併せ持っているのです。 友人とのふつうのおしゃべりだって、善意と悪意が混じっているのです。 あなただって、そういう一面はあるし、そういうことも理解してますよね。 問題はこれからです。 あなたが社会に出れば、利害関係が生じる対応も増えますので 外面と内面をうまく使い分けることが、要求されるでしょう。 (あなたの考える)理不尽な人と向かい合うケースが増えてきますよ。 衝突が多ければ、またあなたは悩んでしまうかもしれません。 そのときは、ノンバーバル(言語外)コミュニケーションを活用してください。 簡単です。5才の子供でも、苦労しながらもやっています。 注意深く観察すればいいだけです。その気になれば、あなたにもできるでしょう。 それが、楽な生き方につながると思います。小手先のテクニックなんかよりは、、、
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
気にしなければ楽です。 自分を縛るから苦しいのでは。 周りに合わせたいなら合わせればいいし、 合わせたくなければ合わせなければいい。 本当は合わせたくないのに「合わせなければ」 とか思うのが苦しいです。 あなたは他人の下僕なんですか? > この性格は受け入れて生きていかなければならないのでしょうか? 変えたければ変えればいいです。 変えるのは別に苦しくありません。 苦しいのは、「自分はダメだ」と思うからです。 変わりたければ楽しく変わればいい。 そうすれば楽しいです。
- jsapp
- ベストアンサー率29% (55/184)
私の場合は、自分の心の中に「譲れるゾーン」を設けています。 これを作ってから、随分生きるのがラクになりました。 人と仲良くするために妥協/迎合できる領域(譲れるゾーン)と 自分を保つために妥協/迎合できない領域(譲れないゾーン)とを切り分けています。 その区切りは 金がからむか? 不利益を受ける可能性があるか? 自分の自由に干渉するか? で、譲れるゾーンに踏み込まれても、実害がないので基本譲歩します。 良識ある人は譲れないゾーンまで踏み込んできません。 逆に譲れないゾーンまでずかずか踏み込んでくる人は、大抵危険ですね。 嫌悪するなり、距離をとるなり、壁を作るなりして 対策を講じます。 譲れないゾーンへの踏み込みを許容すべき人は、世界に数人で十分かも。 譲れる/譲れないゾーンを自分の中に定義して、各ゾーンの線引きをきっちり作れば もう少し楽に生きられるんじゃないかな。 他人の言葉でも、譲れないゾーンに干渉する言葉だけ抜き出して 信頼に足るか吟味すれば十分だと思う。 ・・と、自分の経験をもとに感じました。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
そろそろ「大人って?」って考えなきゃならない時期なんでしょう。 好きな人は好き、って言っても、それは果たして相手にとってはどうなんだろう?。 君が好きと思ってる「部分」は、実は相手にとっては「傷」だったり「嘘」だったりするかもしれない。 君が嫌、と思ってる部分は、君が考えているとおりなんだろうか?。 それは君の勘違いや、思慮不足という可能性はないんだろうか?。 人が生きるってことはね、自分がたとえ意識してなかったにしても、他人を傷つけることでもある。 悪意が無かったにしてもね。 だからそれを防ぐことは重要なことで、時に言葉の裏を読んだり、時に嘘を言ったりもする。 ストレートに自分をぶつけることは、相手にとって確実に傷が増えるということでもあるんだ。 それを「承知」してればいいんだよ。 そういうこともあるよ、って。 それで怖がっていたら自分が無くなるし、無視してればいつかは仕返しされるほど恨まれもする。 自分でそうしないように、言葉や態度に「オブラート」をかけるということは、別に「自分が言いたいことを隠してる」わけじゃない。 相手が自分の意見や考えを「飲み込みやすくするための」隠し味なんだ。 どういう味付けをするか、出来るかと言うことが、大人に見られるためには大事だ。 そのためにはまず「相手を知ること」だし、言葉を良く噛み砕いて、怖がらないこと。 それと「理不尽な人に合うと受け入れるのに時間がかかる」ということだけど、それは別にかまわないよ。 そういう受け入れ方もあるから。 もっと楽な方法もあるけど、それは今言っても仕方が無い。 恵まれた環境で育ったことに感謝して、そのうえで「理不尽さ」の上を行くんだ。 自分が信じるもの…親たちからもらったものを「どう活かすか?」が、ここで問われる。 隣の芝生は青いもの。 自分は、自分らしく「大人になっていく」ことが大事。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
お気持ちお察しします。 わたしも、基本的になんでも真に受けてしまうタイプで、 自己抑制も強いと思っています。 (嘘をつかない、親切にする、責任をもつ、など自分に厳しいです) なので、他人もそう生きてくれればいいのに、そうしたら世界は平和なんじゃないか、とか思ったりします。 自分ばかり騙されたり利用される事が多いので、憤慨もありますね。 ただ、私の場合、気づかないだけで、自分に無理をさせていた部分もあったと思います。 自分ももう少し自分勝手にしたかったのに、良心の呵責が強くてできなかった、 だから他人がそれをするとむかつく、という、嫉妬のような感覚です。 自分を無理させると、結局他者との折り合いが悪くなり、私も傷つくし、お互いに良くないと思うので、 ふつうは逆なんだと思いますが、わたしはもう少し自己抑制をはずして、自分のしたいようにすることを、 受け入れる事が大事なんだと思いました。 わたしが思うのは、それは単にわたしの私利私欲のためではなく、 それによって、 人生トータルな意味での人間関係の円滑材料として役立てよう、 と考える事で、やっと私は受け入れられそうです。これも真面目な考えですが。 わたしは他者が自分に迷惑をかけるのもあまり好きではありませんが、わりと容認してきました。 しかし、それ以上に自分が他者に迷惑をかけるのが許せなかったのだと思います。 ある人が、「人間は、多少の迷惑をかけあって、お互い様なんだよ」と教えてくれ、 そう考えたら、自分のかける迷惑も多少受け入れられるような気がします。 自分が迷惑をかける相手と、かけられる相手は、たいてい一致しないですけどね。 人類トータルでバランスがとれていればいいんじゃないか、誰かが我慢する事で成り立たせようとせず、 お互い様にすればいいんじゃないか、と思うようにしようと思います。
質問者さんは何も悪くないですよ。 優しいご家族に囲まれて、大切に育てられたという事はとても幸せな事だし恵まれた環境なんですよ。 それに、自分を守るために目の前にある人や物事を疑う必要性がなかったからこそ、真っ直ぐな性格に育ったんだと思うし「人を信じる」という大切な事を学んでこれたんです。 優しいご家族や友達に恵まれた事に感謝しましょうね。 今後、質問者さんが生きていく上で、いつか必ず活かされる長所になります。 ただ、世の中にはいろんな性格の人がいます。 実は私も質問者さんと似たような性格で、過去に似たような事で悩んだ事があります。 ストレートに表現したばっかりに損した事もいっぱいありましたし、人の言葉を信じて騙された事もありました。 家族や友達は優しいから、自分のストレートな言葉や態度を温かい目で見てくれますが、世の中はみんながみんなそんな温かい目で見てくれるわけではありません。 大事な事は「世の中にはいろんな価値観の人がいるんだ」という認識を持っておく事です。 そして今度は社会に出れば相手にも自分にも様々な立場というものがあります。 立場によっては自分の本意じゃない事でも口にしなくてはいけない事もあるし、逆に従わざるを得ない事もたくさんあります。 「人には様々な立場があるんだ」という事も認識しておいた方が良いと思います。 そしていろんな経験を重ねていくうちに、世の中と自分の妥協点を見つけて行けるようになると思うし、要領も覚えていくと思いますよ。 確かに元々要領の良い人っているんですけど、逆に信用ならないヤツという目で見られる事もありますからね。 あと自分本位で生きている人は自分は楽しいかもしれないけど、周りがとばっちりを受けて内心疎まれているという事もあります。 「疎まれていようが関係ない!」と心から割り切れている人なんてほんの一握りだと思いますよ。 結局そういう人も自分が困ったら人を当てにするものなんです。 そうなった時に「助けてあげたい」と思われるか「ざまあみろ」と思われるかですよね。 他人をうらやましがる必要はありません。 人で傷つき悩まされる事もあります。 でも人に助けられる事もまた事実なんです。 人を疑うパワーより、人を信じるパワーの方が強いんですよ。 これからも優しいご家族や友達、そして自分を信じていってくださいね(^-^)
還暦のオジンです。自慢にもなりませんが、貧乏を嫌というほど味あわせて頂き、社会の“荒波”に溺れかけて今日に至っています。お蔭様で今やっと“取りつく島”に辿り着いたってところです。 質問者様は『相手が言ったこと、起こっていることなどを90%信じて、鵜呑みにしてしまいます。』とお書きですが、大学で「教科書だってバイブルじゃない。全ては疑ってかかれ。」って学びませんでしたか? 私の大学時代の指導教授は本の引用なんてデータ以外は一切認めませんでした。「お前がこの著者の主張を正しいとする根拠を示せ!」って怒鳴られました。今度ゼミの同窓会がありますが、未だに「今朝の日経では・・」なんて言おうものならメガネの奥の眼がギラリと光ります。新聞やTVなんか信じてはいけないのです。まして、人の発言なんて、後に残らないのですから、活字以上にウソばかりです。それを『鵜呑みにしてしまいます』では、一昔前なら『素直な良い子』でしたが、今ではただのバカです。 現に質問者様も『空気や、環境もあるので露骨に態度に出したりはしませんが、、』とお書きです。人は立場や環境(=“場”)でどうにでも嘘がつける生き物なんです。一昔前に流行った表現で言えばTPOで言うことなんて変えるんです。いや、変えなければいけないのです。 貴女は余りに“温室”で育ってしまった。女性は“温室”育ちが一番良いですし、それを用意してくださったご両親に感謝しなければいけませんが、社会にお出になるなら社会の粉塵にも免疫が必要です。本当はそのまま専業主婦というのをお勧めしますが、家の娘の含めて皆さん社会に出たがりますから、やはり社会の汚い面(私自身は裏も表も汚いと思っています)も知る必要はあるでしょう。残念ながら今の社会は『自分本位で生きて』いなければ生きられないのです。『他人にやった事は絶対返ってくる』ことは絶対にありません。この国は資本主義を受け入れる際に全ての神仏を虐殺しているのです。法にさえ触れなければナンデモアリなのです。日本人の口から「法は許しても神が許さない」って言葉を聞いたことがありますか? 私の周りには、徹底的に自己中心に生き、他人を踏み潰してきた人間たちが人生を謳歌しています。そういう私自身も「お前もそうだろ!」と非難されそうですが、哀しいことにそういう社会なのです。そんな弱肉強食の修羅場は男に任せて女性は花で着飾って笑って過ごした方が良いと思われませんか。家の娘はいくら説いても聞き入れず金融関係に就職したいって就活しています。銀行に勤めて悪徳高利貸の片棒を担ぐつもりのようです。私は貴女と同世代の女性が、どうしたらこの汚い社会に出ることを止めるのか、貴女にお聞きしたいくらいです。 あぁ、残念ながらこの国の国民は社会を変えるなんて露ほども考えません。この国が“良い国”と思って疑おうとしないのです。ジョージ・オーウェルの『動物農場』に登場するブタに先導された動物たちなんです。政府が増税案を出してきても、みんなで並んで「日本は良い国だ。日本は民主主義だ。がんばろう日本!」って唱和していますよね。滑稽ですね。
お礼
ここまで極端な回答が返ってくるとは思いませんでしが、 「こういう考え方がある」、という典型的な例だと思います。 ありがとうございます。 ここまで、冷めた悲観的な目で全てを見ていらっしゃるのは、 なかなか悲しいことでもあるのかなと思います。 これが現実なら、とても悲しいですね。