いい加減な常識家は「一年間は喪中です」といい、江戸時代の文献を出してきています。
しかしこれは公文書で、しかもその公文書は正式に廃棄されています。
正式に廃止された制度を根拠に常識ぶっているんです。
「江戸時代にはみなチョンまげを結っていたんだから、成人式には月代をそるべきだ」と言っているのと同じです。
現在の服忌規定では多くが最大49日です。これはもちろん四十九日の法要(忌明け)を以って「喪明け」としているのです。
従って忌明けと同時に普通の生活に戻る事ができますから、最短49日を過ぎれば祝い事をしても構いません。
それにこれはあくまでも風習でしかありませんから、期間に関係なく普通の生活をしてもいいんです。規則じゃないんですから。
なぜ「最短49日」と言ったのか、「喪明け」と「忌明け」はなにか。
「忌」というのは忌日です。これも誤解されていますが、忌むとは特別なと言う意味でしかありません、忌み嫌うと言うのではないのです。
忌中は死者を弔うべき特別な期間だから「忌」なのです。
仏教では49日で次の転生先が決まるとされています(全宗派じゃありません)。なのでこの期間は動かしがたい特別な期間なんです。
神道では50日で、一説にはイザナギが黄泉の世界から逃げていた時間だと言われますが、これは甚だ怪しいと思います。
一方「喪」は本来悲しみに打ちひしがれて社会生活の出来ない期間を言います。従って元々は期間が限定されていませんでした。
でも、いつまでも喪に服していても生活が成り立ちません。国民が働かなければ国も滅びます。公人であれば政務にも支障をきたします。そこで喪の期間を定めて強引に社会復帰させたわけです。
これはやがて忌中も同様に期間を定めるようになってきたわけです。
明治までの服忌規定は正式に廃棄され、現代では多くの企業などが最大49日に服忌規定を設けています。この「服」は「喪」の意味です。喪と忌の期間が別にされて居ない場合は同一と見ます。
私は思います。
七五三の祝いをしなかった子供が大人になったとき、「不幸があったから祝わなかった」と聞いたらどう思うでしょう。
亡くなった人を可哀想に思うでしょうか?それとも「そいつの為に私の写真が無い」と悲しむでしょうか。友達はみんな可愛い写真があるのに自分だけ無かったらどうでしょうか?
例えばお爺さんやお婆さんが孫の七五三を楽しみにしていてなくなってしまった場合、喪中だからやらなかったらどう思うでしょうか。
だからどんなにずらしても49-50日を越えれば支障は無いと考えていいと思います。
それに自分の信仰や思想によって決まるものですから、あまり気にする必要は無いです。
だいたい「喪」の定義で言えば、その期間はとても祝う気にはなれない、というか「七五三だと言う事すら思いつかない」はずですから、祝ってあげようと思うときが喪明けだと、一歩前進の機会だと思うべきじゃないでしょうか。
ちなみに「一年の喪」も現代では全く意味のない因習です。(根拠となる規定は廃棄されたのですから)
よく「現代でも天皇家は一年公務を控えるからそれに倣っている」と言う人が居ますが、それこそ日本人の習慣を知らない非常識です。
日本には目上の人より控え目にするという慣習があります。つまり天皇だから亡くなった際には1年間は質素にしていなければならないのであって、一般人が1年も喪に服したら「お前は天皇様か」と叱られるでしょう。一般人はそれより少なくするのが日本の慣習なのです。
これもあくまでも慣習であって、守らねばならない規則ではありません。
個人の主義思想に従って判断すべきものなのです。
お礼
大変詳しく丁寧に教えていただきましてありがとうございます。」 大変参考になりました。