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京都五山送り火 震災松を返送

京都の五山の送り火で、東北の津波で流された松を燃やすということで、東北から松に一本一本祈りの文言を書き入れたものを送りました。 京都の主催者の求めに応じて送ったわけです。 ところが、京都市民から放射能が心配という抗議の声が出て取りやめになりました。 質問:京都のお人は、昔から、やさしさのない、ムゴイ鬼のような性格の人の集団だったのでございましょうか。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110809-00000501-san-soci

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  • rowena119
  • ベストアンサー率16% (1036/6310)
回答No.8

京都は1,400年日本の中心として、文化を創り、日本を代表する都市です。そして5山の送り火も、伝統行事です。それに、田舎の松を燃やしてやろうというのに、放射能汚染を心配される松を送るとは、この偉大なる京都を馬鹿にしているのか、と腹の中で思っているのが京都人です。自分達は観光で潤っているのに、他所モノが観光に来ると、『田舎もんがうろうろしやがって』と腹の中で思っても『おこしやす』と作り笑いを浮かべることなど平気で出来ます。これが真の京都人です。東京生まれの京都人の私は、戸籍だけしか京都人になれません。推理作家の西村京太郎氏が、祇園で下駄をはいて、歩いて店に入ったら、下駄の音が煩いと噂になり、お茶屋の女将は『先生の下駄、いい音しますなあ』と、腹の中では馬鹿にして、褒めたのも、京都人の典型です。こんな京都人たちが、放射能松など何でうけいれますか。

ShiroganeMadam
質問者

お礼

ご名答!!! 素晴らしい!!! ありがとうございました。 お見事!!!

その他の回答 (14)

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.4

>京都五山送り火 震災松を返送 質問:京都のお人は、昔から、やさしさのない、ムゴイ鬼のような性格の人の集団だったのでございましょうか。 ↓ 残念ながら、どんなに心優しく、被災地の復興支援に積極的な人でも、全員が全てではなくても『一部だとは思いたいですが』・・・ 正しいか正しくないのか? だからどうすれば? の明確・明快なアンサーは、私自身持ち合わさないが・・・ ~私見・独り言~ ◇自らが、安全・被害を受けない状況下での優しさ・同情・支援であり、現実に火の粉が身近に、自分に振り掛かると,消火・鎮火の為の消防ホースを防火バケツを、我が家・我が身に向けるのでは? 被災地の農産物や魚貝類を被害状況を心配はするが、一方でどんどん積極的に取り寄せ食する家庭は、それほど多くは無いと思います。 ex,重篤・重症の方をお見舞いに行って、「代われるものなら代わって上げたい」本当に心から申し上げてる積りでも、そこには代わる事が無い現実・実態が無意識に存在しており、仮に代われる場合には、何割かの人は前言を覆し辞退したり忘れた振りをするだろう→(自分の安全が前提)善意・好意の限界」 ◇万一、もしも、将来に、少しでも・・・との疑念や迷いや不安や恐怖があれば、善意も好意も同情も、我が身・我が子・我が孫の健康や成長に影響・ダメージをリスクがあるならば、その危険性や安全性にハッキリとした根拠とレベルとリスクヘッジ対策が示されない場合には、気持ちは有っても何時しか消極的になり、話題を忌避し、風向き潮目の変化を様子見したり、傍観者的な態度になるのでは・・・ ex,ゴミや葬儀は避けて通れない重要な事柄だけれど、いざ、我が家の横にゴミ処分場が出来たり、斎場や火葬場が建設されるとなれば、多くの周辺住民は反対運動に立ち上がるでしょう。 人間には社会的な立場と個人や家族としての立場を持っている。 そのテーマーや問題に応じて、2つの立場が優先順位やウエートの差となり、意見や見方に影響し、さらに価値観や感性で発言のスタンスや距離感が異なって来るのでは・・・ 例えや表現は不適切であり、的確に気持ちを思いを表現できませんが、人間の良心・思いやり・親切は無制限・無条件では無いのだと思います。 優しく思いやりの気持ちは、美しく、大切であり、皆が持っていても、それが何処まで負担・分担・提供を出来るのか、建前でなくホンネで・・・ 今回、質問の、大文字の送り火に被災地の松を鎮魂や復興への思いや願いを込めて使うとのアイデア・心は、背景に遅々として進まぬ復興に被災地・被災者の方の厳しさや苦しさに思いをはせる時、胸を打つ心温まる話題であっただけに、誠に残念ですが・・・ 放射能汚染の実態や影響、松の燃焼による放射能成分の排出や放出拡散の可能性が知らされず分からない住民の不安や<政府・経産省・東電・学者>への不信は、距離を置いて客観的に冷静に考えれば、杞憂・過剰反応・エゴに見える面もあるだろうが、また善意の腰折れ感・中途半端な感がするけれども→私にはその思いや気持ちを全否定・批判・過誤だと指弾・非難する事も出来ない。 それは、問題の始まりは善意・好意であり、計画を転向や断念させたのは住民不安への配慮だからです。 一部の住民の過剰反応・オーバーな心配だと一笑に付すとか無視出来る問題ではなく、多数決や実行委員会の独断では、現実の実行しても断念しても、当事者・関係者・国民全体が理解納得、満場一途の解(ベストアンサー)を出す事は叶わない、出来ない問題に至ってしまったからです。 救いは、問題の話題に対し、多くの国民が関心を寄せ、被災地の状況や復興への支援をボランティアを改めて知り認識を持ち、色んな地域で色んな形で思いを気持ちを復旧復興に寄せている事です。 そして、何よりも実行委員会の会長始め幹部の方の誠意や真心が次善の方策かも知れないが、被災地での迎え火に、鎮魂の思いの文字・言葉を模写しての供養が行われた事です。 遠くから見て、報道を聞いてる私から言えば考えれば、種々の感慨や思い、意見はありますが・・・ 当事者の無念さ・やるせなさ・懸念を簡単に忖度・批評は出来ません。 大文字5山には責任が無いし、宗教行事・慰霊の心・歴史的な伝統にまで、このような形で影響したとの感慨・思いが、私の心にも、ベストアンサーの見出せないテーマーとして、現実の進まぬ復興の姿の一部として、改めて今も重くのしかかってきます。

ShiroganeMadam
質問者

お礼

>全員が全てではなくても『一部だとは思いたいですが』・・・ 実行委員会関係者の大部分の気持ちがそうだったから、実行委員長も決定したはずです。 こういうものは京都人の総意と取られても仕方ありません。 関係者は良く知っているんですよ。京都人はどう言うひとなのかを。

  • 10en-2
  • ベストアンサー率26% (44/164)
回答No.3

返還には正直びっくりしたのと、京都が嫌いになりました。

ShiroganeMadam
質問者

お礼

はい、ありがとうございました。

noname#229064
noname#229064
回答No.2

織田信長の気持ちが少し理解できました。 回答 昔から、自分さえよければよいと思う集団でしょう。

ShiroganeMadam
質問者

お礼

はい。ありがとうございます。 そういう評判は昔からありますね。

  • hmcke213
  • ベストアンサー率28% (298/1049)
回答No.1

昨日のニュースでは、放射能が心配という意見はたった40件、中止を決定後の批判意見は400件ということでしたから、昔は知りませんが、京都の人の大多数は鬼のような性格ではないのではないでしょうか。

ShiroganeMadam
質問者

お礼

>40件、中止を決定後の批判意見は400件 この比較は?ですね。 条件(時間など)は同じでしょうか。 いずれにしても常識を持っているはずの「主催者」が決定したのは大きいと思います。

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