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底意地の悪い人は、死んでも意地悪?
会う度に、意地悪な事を言ったり、したりする人がいます。 最初はかなり悩んでましたが、ターゲットが私だけではなく、気に入らない人に対して片っ端から意地悪している事に気がつきました。 それでここ最近は、どうして底意地悪く生きているんだろうと思うようになり、それから「この人、死んじゃったらどうなるんだろう」って、疑問に思い始めました。 意地悪な人って、死んじゃってからも同じなんですか? 魂が後悔したり、現世での罰を受けることは全くないのでしょうか。
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私は個人的にどちらかと言うと無宗教な人間なので(お墓の関係がありますので家族への弔いには宗教を使うことはありますし、クリスマスも除夜の鐘も初詣も普通に楽しみますが)、意地の悪い人であろうが善人であろうが「死ねば当人にはもう何もない」としか言えません。天国も地獄もないし、あったとしても生きているときのように五感で感じることはなく、それについて喜んだり悔しく思ったりすることもないと思うのです。 恐らく非常に熱心な宗教家の方のご意見も集まってくると思いますので、そういった方のご意見と私のようなフランクな意見を参照し、その違いを納得いただければ幸いです。 ただ、底意地悪い人には何か原因があります。 人間と言うのは知能に頼っているせいか動物の中でも妙に呑気な生き物で、ことに日本人は喉もと過ぎれば熱さを忘れるという民族だとも言われています。ですから普通、毎日毎日他人を謀略で貶めて笑いものにするような生活に喜びを感じるなんてことは面倒くさい生き方の部類に入っているわけで、これを続けている人は遠くから見たら一種の苦行者のようにも思えます。 私が知る限り、いわゆる「意地の悪い人」というのは、 1.子供時代親から適切な愛情を受け取れず、人間性が歪んだ 2.現在家庭内あるいは学校や勤め先でストレスを抱えていて、そこから逃げ出すことができない 3.何か物事を間違って覚えたことがあり、それが原因で世の中を錯視している の三点に集約されています。 1.は、よくいじめの背景でも語られることですね。適切な親子関係が築けなかった不幸な人々です。特にお子さんはその時期の親からしか受けられない特別な愛情をまともな形で得られないせいで、人間性がかなり歪むようです。 2.は、非常に古典的で、最も多いケースだと思います。小学校のとき意地悪をしていた子の生活環境はどうだっただろう、中学や高校で不良と言われてた子の家はどうだったろう、と考えると「あっ」と気がつくはずです。要はそこから問題ある彼ら自身が「逃げ出せない」ということです。それからフリーな人は、案外弱いものいじめなんかしないものです。 3.は、ちょっと特殊ですが、例えばいじめられっこがいじめっこになったパターンですね。世の中のいじめには法則性があり、そこで勝たなければいじめられてしまう、という、人生オール競争社会と間違って世の中を見てしまう人です。そんなに多くはないと思いますが、こういう人の抱えるストレスは本当に膨大なはずです。 ただ、1.2.3.とも、実際、被害者側にとっては迷惑千万な存在です。一番いいのはそんな彼らから適切な距離を置いて生活することです。意地悪をする人はすごいストレスがある人とも言えるわけですから、呑気さとはかけ離れた精神状態なわけですし、そんな人と長くつきあっても楽しくないでしょう。 上手に距離を置けることを応援しています。
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死んでまで意地悪な人がいたら、さぞ筋金入りじゃないかと、 一種の感動すら覚えます(笑) >意地悪な人って、死んじゃってからも同じなんですか? 善人も悪人も死んだら一緒だと思います。
お礼
死んだら一緒というのは、やっぱり無になってしまうという事なんでしょうか。ご回答して下さって有難うございました。
- 56kg
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死んだら無になると考える私が答えさせてもらいます 死んだら無なので意地悪も何も無いと思われます 閻魔大王に舌を抜かれたり灼熱地獄で拷問を受けたりなんてばかばかしくて想像ができません
お礼
閻魔大王に舌を引っこ抜かれてしまえばいいのに・・・、って思ってました。死ぬと無になるからという意見は、やっぱりそうかなぁとも思います。ご回答有難うございました。
お礼
底意地悪い人には何か原因がある、というご意見は非常に参考になりました。丁寧にご回答して下さって有難うございました。
補足
私も無宗教なのですが、嫌な事があったりすると時々考えます。自分自身に関しては、無意識に人を傷つけちゃって後悔した時とか・・・。 「意地の悪い人」の原因3点は、そうだなぁと感じました。特に「逃げられない環境にいる」という意見は、今回の相手にバッチリ当てはまってます。そう思うと、ちょっとだけ許せるような気がしてきました。