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江戸時代の花火 本当に「たまやー」と言ってた?
- 江戸時代の花火で「たまやー」と叫んでいたかについて疑問がある。
- 拡声器がない時代に大勢の人が叫んでも限られた範囲でしか聞こえなかったと考えられる。
- 現在まで「たまやー」と声をそろえる風習が続いている理由について考えられる。
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玉屋と鍵屋の2つの花火師が、その当時に争っていた事は事実のようです が、確かに爆音や観客の声で聞こえていたとは信じがたいですね。 今からの時期は全国的に花火大会がありますが、最近では特等席を設置して 有料で見物出来る会場もあるようです。これは僕の推測ですが、観客よりも 一番見晴らしが良い場所に、それぞれの特等席を設けて、周辺の観客の声を 聞いていたのではありませんかね。 今は観客を楽しませる花火大会ですが、昔は2つの花火師が争うための花火 であって、観客のためでは無かったかも知れません。観客は2つの花火師に 対して、応援で駆けつけていたとも考えられます。 色んな説があるので、本当の所は良く分かりません。 昔は今のように何でもあった時代ではありません。花火大会で騒ぐ事も楽し みの一つだったかも知れません。今は花火を静かに見て楽しむものだと思っ ているので、おばさんは怒鳴られたのだろうと思います。 僕らの地域でも花火大会がありますが、「キャー」とか「ワ~」とかの歓声 はあがりますが、玉屋とか鍵屋などと叫ぶ人はいませんね。
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- Pinhole-09
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両国の打ち上げ花火を始めたのは鍵屋でしたが、のれん分け した玉屋が出来て二軒で分担しました。 両国橋をはさんで、上流が玉屋、下流が鍵屋でした。 玉屋の花火のほうが人気を集め、「たまやー」の掛け声の方が 多かったといわれます。 その後失火で火事をおこした玉屋が潰れ、鍵屋のみになり ましたが、それでも見物人の掛け声は、相変わらず「たまやー」 でした。 「花火千夜一夜」より。 当時の狂歌 「橋の上、玉や玉やの声ばかり なぜに鍵やといわぬ 情(じょう)なし」 川柳 「玉やだと 又ぬかすわと 鍵や云い」 今でも打ち上げ花火を見ると「たまやー」というのはその名残です。
- kadusaya2
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> それって本当でしょうか? スイマセン、その時代に生きていた人がいないので 誰も本当か判らないと思います。 でも、当時の話をいろいろと聞いた限りでは本当だと思います。 歌舞伎(芝居)で、「○○屋!」 と掛け声をかけるのは風習化していたので、「花火でも同様に」 と考えると納得ができます。 歌舞伎などでは その役者が 「決めゼリフ」 や 「決めのポーズ」 のときに声をかけていたのですから、花火だったら 「火花が開いたとき」 が該当するのではないでしょうか。 掛け声をかけるのは、(一般人もいたそうですが) ほとんどは 「ごひいきすじ」 、今で言うファンクラブやパトロンです。 今でも芝居やコンサートで、ファンの人たちが名前を呼ぶことはありますよね。 (アイドルのコンサートなんかだと節操も無く名前を叫んでるけど) まぁ、「掛け声をかけるのは、ファン心理」 ってことで納得してください。
花火打ち上げ場所の前の観覧席(審査席)ですね。 元々は、花火打ち上げ大会で審査する人は一箇所に固まっていました、打ち上げた花火がどこの店の物なのかを示す意味で、たまや、かぎや、と宣言していたわけです。 大勢居る観覧者に向けた言葉ではありませんでした。 観覧する人は、どこの花火屋でも関係ないので気にする必要はありません。 また、普通の花火大会なら、花火屋は一社ですから、たまや、かぎや、と分けるのは意味がありません。 ○○花火興業~ってのは言いにくいですし(^_^;
補足
>花火打ち上げ大会で審査する人 審査する仕組みがあったのですね。 なるほどです。
補足
>歌舞伎(芝居)で、「○○屋!」 と掛け声をかけるのは風習化していたので、「花火でも同様に」 と考えると納得ができます。 ホールならわかるのですが、屋外でどこまで聞こえるのだろう? 掛け声が他人に影響を与えられたのだろうか? という素朴な疑問はつきまといます。