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友達との差について
友達と自分との間に差がありすぎて悩んでいます。 他の友達と食べに行くと、自分以外のみんなは手を合わせて「いただきます」といいます。 自分も慌てて言います。メニューを選んでいるときも、みんなは結構悩んでいるのに対し、 自分は適当にさっさと決めてしまいます。食べているときはみんな「おいしい」と言います。 自分は言いません。(何故か) この時初めて、食事を楽しむとはこのことなのかと分かりました。 自分は友達のようにおしゃれもしたいとは思わないし、好きなアーティストのライブに行きたいと思わないし、彼氏がほしいとは思わないし、積極的に出会いを求めたいというわけではありません。 カラオケで歌う曲も何か違うし、車の走行距離なんて気にしたことがありません。 自分と友達と感じている世界が違いすぎます。常識が全然分かりません。 今までの人生で、家で「いただきます」なんて言ったことがありません。 知識としては知っていますが、身についてはいません。 どう考えても向こうが正常で、こっちが異常です。 友達のことは好きですが、一緒にいると、自分の「おかしさ」が次々と明らかになっていくようで 少し怖いです。 今までの人生が間違っていたのかという考えは日増しに強くなっていき、自分のやることに 自信が持てません。 今さら、友達と同じように振る舞うのも出来そうにありません。 なにか、いい解決策など教えていただけたら幸いです。
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- YmdHis
- ベストアンサー率10% (10/99)
貴方と友達との間に差があるのは事実だとは思いますが、それが「異常」だとは思いません もし貴方が自分自身を「異常」だと思うのなら「正常」だと思われる友達を真似てみればいい なぜ「今更出来そうにありません」なのか 習慣を変えるのに遅すぎるなんてことはありませんよ 友達がしているのに自分がしていない事に違和感を感じるのならやってみればいい 「おいしい」と言ってみて、ライブに行ってみて、車の走行距離を気にしてみればいい そしてそれを「良い」「楽しい」と感じたなら続ければいいし、 「必要ない」と感じたならやめればいい 友達といると差が明らかになって怖いとありますが、 「正常」なお手本が身近にいるんですから変えるには良い環境だと思いますよ
- coopy_72
- ベストアンサー率25% (8/32)
私も、おしゃれもライブも興味ないし、彼氏欲しいと思ったことはない。 走行距離なんて見たことないし、カラオケはアニソンや音ゲの曲が多いのでほとんどの友達は知らない曲ですよ。 例えば4人いて3人の意見が合ったからって、それが正しい/違うから異常とは限りません。 私と質問者様が友人だったら、「おしゃれとかどうでもいい」が普通だと感じるかもしれないですね(笑) 単純なことですが…「いただきます」って、言った方がいいと思ったら真似する。とかどうでしょう。
「常識」と言うのは、自分と周りの違いを自覚する為にあるのではないですよ。 右も左も分からない、まだ小さな子供であるならば、親が手取り足取り「しつけ」として「常識」を教えて行くのだと思いますが、常識とはそこまでの事なのです。 何の為に「常識」を身に付けると思いますか? 本当に良い事、本当に正しい事であるならば「習慣」として身に付いているに越した事はないでしょう。 でも、先日の松本元復興大臣の例でもあるように、自分の中では常識だと思っていた事で、他の人間を傷付ける事もあるのです。 大切なの「周りに気遣う事の出来る自分の目線」です。 それは何も、幼い頃からの躾けだけでなく、今の自分の視点からも十分培う事は可能です。 例えば、お友達の例にもあるように「いただきます」と言う作法。 あなたがそれを見て「これは見ていて気持ちの良いものだ」と思えば、あなたも取り入れれば良いだけです。 「それが常識」という観点だけでマネしようと思えば、動き方が分からなくなっても当然です。 「おいしい」と言う事だって、おいしくないのであれば、無理して言う必要もありません。 そこまで「器用」にならなくても良い事なのです。 でも、仮に自分が料理を作ったとして、それを誰かに食べてもらった時に「おいしい」と言ってもらえば、やっぱり嬉しいもんだな、とか思いませんか? そう言う「些細な事」だと思うのです。 考えなくてはいけないのは「常識」ではなく「常識になった意味」なのだと思います。 そんなに難しく考える程、窮屈なものではありませんよ。 常識を得る事は「個性を失う」事ではありません。 「常識」と「協調性」は別物ですし、周りと違う行動を取るからと言って、自分の信念を曲げてしまえば、自分をおかしいと思えて来ても当然です。 人に「合わせる」事も時には必要ですし、「合わせなければいけない」事もあります。 でも「そのままで良い」時もたくさんあるのですよ。 もっと、柔軟に、取り入れたいもの、取り入れる必要のないものを見分けて、「自分」を見失わないで下さい。 頑張って下さいね!
- nyao-nao
- ベストアンサー率15% (96/610)
人それぞれです。 「いただきます」「おいしい」を言うのも言わないのも。 貴方が挙げられている友達と合わないと思っている部分もです。 全てを右に倣えをしなくても良いんですよ。 「こういう時はこうした方がいいんだな」と良い刺激になった時に、倣えば良いんだと思います。 なんでもかんでも「異質」だなんて思ってたら生き辛くなってしまいますよ。
- mafylory
- ベストアンサー率50% (4/8)
個性です。 友人は貴方の事を友人と認めてるんですよね? だったら良いじゃないですか。 いただきます、ごちそうさま、うちも言わない家庭でした。 おいしいも言わない家庭でした。 三人兄弟ですが賑やかではない家庭でした。 私は不思議でたまらなかったのですが 親がそういう性格の親だったのでそうだったんです。 それに気付いたのはつい最近、もう私アラサーです。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
食前にいただきます、食後にごちそうさま、 なぜそういうのか 調べてみてはいかがでしょうか。 日本人ならではの、美しい心遣いですよ。 >メニューを選んでいるときも、みんなは結構悩んでいるのに対し、 自分は適当にさっさと決めてしまいます。 これは悪いことではないんじゃないですかね。 >食べているときはみんな「おいしい」と言います。 自分は言いません。(何故か) この時初めて、食事を楽しむとはこのことなのかと分かりました。 ではそういう機会を増やしてみましょう。 他の友達を観察してみましょう。 違いが興味深いと思います。 食事マナーも人によって違います。 >自分は友達のようにおしゃれもしたいとは思わないし、 →したくないならいいと思います。 おしゃれは、自己演出の一種ですので、 それを放棄するのも自由です。 >好きなアーティストのライブに行きたいと思わないし、 →無理に行くものでもありません。 >彼氏がほしいとは思わないし、 →無理に作るものではないです。 >車の走行距離なんて気にしたことがありません。 →自分の車を持っていませんか? 車を出してもらうのならガソリン代のことを 考えませんか。 >今までの人生が間違っていたのかという考えは 日増しに強くなっていき、自分のやることに 自信が持てません。 知らなかったことを知ることは尊いことです。 自分の人生をよりよくしていくために 他人とのかかわりはあったほうがいいですよ。 いい解決策は 他人ともっと過ごして色んな発見をすることです。 その中で自分が見えてくる、ということも ありますよ(^_^)
- ho_orz
- ベストアンサー率13% (209/1603)
別に良いんじゃないの? 自分とは全然違うっつーのは面白いよ。 「こんな考え方もあるのか!」って良い刺激になる。 友達ってさ、相手の良い所を知って、認めて、学んで、最終的に自分の糧に為のする存在だと思うんだよね。 ただ楽しいだけじゃあ無いって事。 常識が分からないなら友達から学んでいけば良い。 今はおかしいと思う自分でも、友達と一緒に生活してく事でおかしさは徐々に消えてくから問題ない。