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ウツの苦しみを知る者は幸せである
当事者の方からすれば勝手なことをと思われるかもしれませんが、ウツの苦しみを知る人は幸せであると私は思います。 なぜなら、道徳的な意味で言うところの悪人にはなれないからです。 もちろん悪という要素を含まない人間という意味ではありませんが、警察のお世話になって刑務所暮らしを繰り返すということはまずないのではないでしょうか。 自分自身の苦しみはあるでしょうが、汚れない存在という意味で幸せであると言えないでしょうか。 他者との関係において自分自身を形成していく【私】という存在は関係次第でどのような存在にもなりうるものです。 この関係性はもろ刃の剣で、場合によっては非常に強いストレスを発生させる要因です。 その関係に強いブレーキをかけるのがウツではないでしょうか。 現代は他者との関係が希薄と言われますが、むしろ私は関係する数からすれば過多だと思います。 数が過多であるから一つ一つの関係が希薄になるのだろうと思うのです。 むやみに関係数を増やさずにいったん立ち止まって整理しろとウツは教えてくれているのではないでしょうか。 当事者の皆さんはどのようにお考えでしょうか。
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- yogi1965
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noname#160321
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お礼
ご回答ありがとうございます。 ウツになった理由について考えたことはあるでしょうか。 不都合な結果には不都合な理由があるのです。 その不都合さを悪と呼んでもいいでしょうね。 ですからうつ病の人を善人とは言っていません。 しかし、これ以上の悪に染まることはないという意味で幸せだと思うのです。 >それに、刑務所暮らしばかりが「悪」ではありません。 例外をあげて100じゃないから0だというのですか?