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モンスターペアレンツという問題についての質問
- 日本の教育におけるモンスターペアレンツという問題についての質問です。モンペ問題とは、子供の教育環境において親が過剰な要求や干渉を行い、教師や学校に圧力をかけることを指す言葉です。具体的な問題点として、生徒全員への苗字にさん付けの要求、運動会での撮影禁止、体罰の厳禁、生徒の服装や容姿への絶対的な文句付けなどが挙げられます。
- このようなモンスターペアレンツの問題は、教育現場における大きな課題となっています。一方で、モンペと戦うことが難しい教師や学校の立場もあり、教育の質の低下や教育ビジネス化の進行を招く懸念もあります。ただし、モンペの問題に対処するための対策として、教師や学校のサポート体制の充実や、モンペ対策の研修やカウンセリングの実施などが挙げられます。
- また、日本の教育がどのように変わっていくかについては様々な意見があります。一部では、モンペ問題により教師の働きやすさが悪化し、教育現場がますます厳しい状況になると懸念する声もあります。一方で、教育における親の役割が重要であることや、教育改革の進展により、より子供自身の成長に焦点を当てた教育が進む可能性もあるとされています。
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早速お礼を頂き、ありがとうございます。 >公立小学校が多く私立が少ない理由 かなり主観的な意見ですが・・・ 私立の場合は当然ながら学費は公立の比ではありませんから、そこに通わせることができる家庭は一般的に経済的に恵まれていて、親の学歴や教養もそこそこ高いレベルと推測されます。 学校も私立の場合は、「教育理念や方向性」がしっかりしていて、それに沿ったカリキュラムが用意され、入学する子供も親も、そういう自覚の元にやってきます。 当然校則も私学のビジョンや建学の精神に相応しいものとなり、違反した場合は親も子供も厳しく指導されます。 恐らく・・・ このような「化け物親」が出現するのは、まず親としての有様以前に、人としての自覚や常識・社会的規範にいささか欠けており、それが自分の子供を(過保護なほどに)思う時、非常識な行動となって出るのだろうと推測します。 公立の学校も、学習指導要領の元に極端な教育カリキュラムや指導は許されず、結果的に「金太郎飴」的な平準的な子供を“生産する”ことを本分とします。 ですから教師も、やる気やチャレンジよりも保身的にそれなりにやっていれば安泰という気持ちから、半ばサラリーマン化します。 私立でこういう親が少ないであろう理由は、(先ほどのレベルから言っても)親自体が成長している立派な大人であり、物事の分別が分かっているということと、もし「化け物化」した場合、私立学校は公立と違って平身低頭ではありません。 いい事はいい、悪いことは悪い・・と厳しく、場合によっては“辞めてもらっていいです”となり、そういう環境や雰囲気ができあがっているので化け物親の割合は少ないのではないかと思います。 公立はどうあっても、“じゃあ、辞めてください”とはならないでしょう。 校長は学校での揉め事を嫌います。それはいずれは教育委員会の長なり役職、県の教育関係の役職を狙っているからで、その出世の道が閉ざされるような学校の不祥事はとことん隠蔽、もしくは穏便に解決しようとします。 ですから、こういう親が出ても毅然とした態度が取れるところが極めて少ないということになります。 結局のところ、親のレベルと学校のレベルが合致したところで出てくる問題かと思います。
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- jorai
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>これは教師だけに求めるものでなく、相手方のお母様達にも持っておいてほしい物だと思っております。教師は教育のプロであると同時に、お母様方と同じく「人間」であり、教育を通して自身も学ぶことが出来る素晴らしい職業だと思っております。素晴らしい理想論ですが、現実にそういった子供の事を考えられる教師から先に、現状に耐えられず辞めていってしまうのではないか、と思います。 残念ながら、私はこのご意見には心底からは納得できません。 現実がどうあれ、自分の選んだ職業に理想論を求めることは どんな職業でも、私は必要だと思います。 確かに、現在の親たちが昔よりも人間的に未成熟で、 更に家事労働などの負担の軽減から 昔の親たちよりも時間的な余裕があるため、 過度に子供社会に関心を持ち、 昔だったら考えられないような口出しを 教育現場に持ち込むことは問題です。 「親の質がよくないから、熱血であることでかえって続けられない」 「レールに従っていた方が楽」という考え方は 仕事に熱意がなく、定時とともに退社するサラリーマンと同じです。 それで全く構わない職業も確かにあるでしょう。 しかし、「教員」というものも、そのような社会一般的な仕事と同じだと考えたら 終わりだと私は思います。 もしも、教育現場でそのような風潮が一般的で、 どの職員も「レールに乗っていった方が安心」と考えているのならば 教職界は末期的だと思いますね。 ところで、あなたの卒論の大テーマは何ですか? 「現在は親の質がよくない」という結論、およびそれに対する対処法というテーマが 先にありきなのでしょうか。 教員は現状、 教育学部を卒業して、比較的社会経験がなく教職につくことが多いと思います。 採用浪人中も、学童や塾など、「先生」と呼ばれて過ごすことは場面的に多いのではないかと思います。 本来、20代そこそこの社会経験のない若者に、 子供や親に対して適切な対応が出来るとは、私には思えません。 ですから、そのような人が「熱血」であった場合は かえって一般的に見たら空回りなことも少なくありません。 それこそ、テレビで見たような「先生像」を演じているような若い教員も、たまにいます。 これは非常にKYです。 じゃあ子供の一人ひとりに対しての細やかな配慮が出来ているか といえば こういう方は往々にして、一人ひとりの個性はまるで把握していなかったりします。 無駄に明るかったりする教員も、結局は演じているだけのことが多い。 現在の親は確かに昔よりは無分別で、幼稚な面は否めません。 しかし、そのせいで仕事がやりづらい としてしまうのは あまりに安直ではないでしょうか。 教員はそういう言い訳で、理想から一歩引いて良い類いの職種ではないと 私は思います。
補足
最初に断っておきますが、これは卒論ではないのでご安心を^^ >現在の親は確かに昔よりは無分別で、幼稚な面は否めません。 モンペの事は「まあ社会に適合出来ない人なんだから」と流すのに、その彼らの対応に追われて必死な教師の事は安直というのですね。モンペ問題はここ数年で急増しておりますが、減少はせず変わりに「対モンペ用ルール」がひっそり作られている事はご存知ですか?つまり理想論で現場は変わりません。それだけ脅威なんでしょうね。 >本来、20代そこそこの社会経験のない若者に、子供や親に対して適切な 対応が出来るとは、私には思えません。 ではどうすれば良いと?新卒で憧れの教師を目指す若者をそういった風に見下すのは如何なものでしょう?(KYとか空回りとか……)そういえば「20代の新任に私の息子は任せられないから担任を変えろ」という苦情もよくくるそうですよ。貴方と同じ考えなんでしょうかね。 教職は素晴らしいと思いますが、残念ながら今の私が属している教育学部で貴方のようなお母様が言うような理想の教師は居ないようです。 何度もご意見ありがとうございました。
こんにちは。 教育問題は家庭問題と表裏一体ですよね。 その子が親になりまた・・・の連鎖。 世の中が悪化するのは簡単ですが、並大抵の力では抗し切れない。 いつの時代にも理不尽極まる馬鹿者は多数存在します。 災禍とさえ言えるモンスターは、一言で言えば幼児性人格未熟者と 断定しても誤りではないでしょう。 他人を慮ったり、常識を弁える思考回路は全く期待出来ません。 下手をすると徒党を組んで攻撃してくる様は、暴力団にも匹敵する脅威です。 教師が自分の家族と生活を守るため沈黙することは決して責められません。 彼らの苦しみは、同じ教育の現場に立ってトンデモ親の脅威にさらされた人で なければ理解できないでしょう。 やるなら、法的措置からマスコミへの情報供与までやってのける 不屈の闘志と、職を追われる覚悟を必要とするでしょう。 世間からの攻撃も間違いなく相当のものだと思います。 昔と違って、今は闘うことを知らずに育ちます。 ガキ大将もいなければ、町内の説教爺さんもいません。 かつては義務が優先だった社会は、高度経済成長のために権利ばかり 声高に喧伝する歪んだ社会になってしまいました。 これから先、人々の二極化は凄まじい勢いで進んでいくでしょう。 常識のある家庭できちんとした思考が出来る育ち方をした人々と、動物然と 自分の欲望と感情に即応して生きる人々。 いずれも歳を取ります。 そうして決して相容れない社会の二極分化がすすむ。 そしてやがて、ある一定の割合を超えてそんな人が増えて、様々な社会での モンスター人種についての問題が、大きな一つの社会問題に統合された時、 排除しようとする運動が起きることも予想されます。 先の戦争が終結して六十余年。 世の中全体を巻き込む血なまぐさい世相は 長いことこの国では起きていません。 かつての学生運動でさえ、社会全体から 見れば、学生の一部と労働運動家達が起こした「事件」の域を出ないものです。 一人で闘うことは徒労と孤立、やがては絶望にも繋がります。 でも、古い言葉ですが「共闘」という風潮が動き始めるとき、感情に流されず 冷静に、かつ徹底的に粘り強く戦える心胆を鍛えておく必要は、あると思います。 今は、教師もまた思想について、教育界の仕組みや悪弊について、社会事例に ついて、いくらでも学ぶべき時代かと思います。 心に真剣を持つ。 それが出来るかどうかを試される時代が、そこまで来ているような気がします。 にゅ。 追伸。 「モンペ」という表現には違和感があるのでモンスターペアレントとフルスペルで 記された方が良いと思います。 説得力を著しく欠いてしまうので。
補足
客観的なご意見ありがとうございました。 >同じ教育の現場に立ってトンデモ親の脅威にさらされた人でなければ理解できないでしょう。 大変同意致します。更に苦しいのは、学校という後ろ盾も保護者にへつらって彼らの肩を持つため、やはり1人で戦っていかなければいけないケースが多いというのが実態ですね。 レポートにはきちんとモンスターペアレントと書かせて頂きます。ご指摘ありがとうございました!
- kyo-mogu
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公立が多いのは義務教育だから受け皿は必要。 我が子の行く小学校はあまりいないかな。まぁ傍目からみればそれっぽい人は居るけど、自分なりの意見を持ち、なおかつ我が子以外の子どもも含めての苦情とか意見を言える人はいますけどね。 この地域の特徴かな。のんびりムードが漂っています。おかげで先生も大変なんだけど親身になって考えてくれています。 運動会が終わった後片付けで親たちが手伝って子どもがする仕事を奪うほどです。 ほどよい密度だと関係も良いかなと。都会などはやっぱり多いのかな。
補足
何も「意見」する事は悪くなく、皆のために言わなければいけない時はあると思います。それはとっても素晴らしい事ですよね。貴方の住んでいる土地が羨ましいです^^) 都会…というか、何でしょうね?私自身が小学生の時はモンペなんて全く聞かず、そういった騒動も見た事なかったので(母に聞いても平和だったよー、と)今が不思議で仕方ありません。
- jorai
- ベストアンサー率57% (33/57)
こんにちは。 かつて、教員に対してある程度敬意が払われていた頃は、 男性というよりも、女性の社会的地位や学歴が低かった点が背景にあったと思います。 男性は仕事、女性は家庭という区分がありながら、 女性は教育に関してこれという自信や経験がないため、 たとえ理不尽だと感じても、ある意味「先生は絶対的存在」と考え、 必要以上にあがめていた面もあったと思います。 そのような時代は、親というよりもむしろ教員のほうが横暴で、 今から考えると「??」ということもあったのではないかと思います。 勿論、純粋な熱血漢もいらっしゃいましたが、 「先生だから勤まる。一般企業ならば通用しない」という人もいました。 「でもしか先生」などという言葉もあったように、 「教員の世界は一般社会とは異なる」という印象が昔からあるのは 事実だと思います。 昨今、女性の社会的地位や学歴も目覚ましく向上しました。 また、男性の家事協力を推進する社会的風潮から、 男性の子育てへの参加、教育現場に対しての関心というものも、昔から比べるとかなり高まりました。 このような現状を考えると 「親が学校に言いたいことを言えない」という昔の雰囲気がガラッと様変わりすることは ある程度やむを得ない事態であると思います。 あなたが、ご質問の中で挙げた教員間のルールは 全国的にどの学校でも適応されているものではないと思いますが、 教員が現在、親をある程度脅威に感じているのは当り前のことだと思います。 私は、現在二児の母ですが、 正直に申し上げて、教員に求めることは多くありません。 ただ、教育のプロとして自覚を持って教室運営にあたってほしい、その一言です。 あなたが挙げたようなルールに、もし教員が添っていなくても 本当に子供たちを思う気持ち、教育に対する熱意、 「私は教育のプロである」という確かな自覚が感じられれば 怒鳴りこもうとは全く思いません。 怒鳴りこむ人もあるのかもしれませんが、 それは、実は昔も多少はあったことで、 先生に対してというだけでなく、そもそも社会的に不適格な人ということです。 ちょっとしたことで学校に相談に行くことも 現在では「クレームをつけられた」「早く帰れないじゃないか」と 教員側が後ろ向きな対応をする場合も、実際はあるのではないかと思います。 社会人として、教育者として給料をもらうという現実を 先生方にはよく自覚していただきたいと思います。 教育学部は就職率もよく、世間体もある程度良い、 また、多くは公務員であることなどから、 特に教職志望者ではなくても、進学する現実があります。 しかし、私は教職ほど「適性」が求められる仕事はないと思っています。 実際の学力、物を教えるスキルというものは勿論必要ですが、 それ以上に、「子供の未来」を切実に考えられる人でなければ 実は教職に就くべきではないと思います。 モンスターぺアレンツは昨今の問題で、 確かに成熟していない大人が増えたことは一因であると思います。 しかし、教職は「人を育てる仕事」という点で 他の社会的な仕事とは全く別の性質のものです。 子供だけではなく、「親も育てる」と考えていなければ 正直、やってられない仕事なのではないでしょうか。 それを「バカらしい」と感じるならば、教員にはならないほうがいいということです。 ある意味、自己の生活を犠牲にしてでも、子供や親と向かい合って とことん話し合う気概のある教員ならば乗り越えられることも、 「これはノルマ以上のことだ」「教室で教えることの範疇を越えている」と 教員が脅威に感じてしまうのならば、何処に子供たちを預ければいいのでしょう。 教員すべてがそう考えるのなら、「義務教育」をやめて、すべて家庭教育にするしかないでしょう。 教員は、真剣に取り組もうとすればするほど 割にあわない仕事です。 正直、何かのプロフェショナルという仕事については この側面はたぶんにあると思います。 適当にやっている人と、真剣に取り組んでいる人の差が大きいということです。 >皆さんはこれから日本の教育はどうなっていくと思いますか?またそれらの親の「対処法」も教えて 下さると嬉しいです。 私は、教員に対して、学力ばかりではなく(採用試験とやらばかりではなく) しっかり適性を見極めた採用をしていただかないと、教員と親との衝突は今後ますます増えると思います。しかし実は、親との衝突は教育の本質ではない。親の顔色を見ることは本来、教育の主軸ではない。教員自身が見聞を広げ、教育学部で教わったささやかな知識に頼るのではなく、「人間」の見本として恥ずかしくない社会経験を積み、様々な価値観を身につけることで、親との関係は十分に円滑なものにしていけると考えます。たとえ、非常識な親がいた場合でも、教員側に社会的経験や精神的な幅があれば、現在言われているような深刻な事態は必ずしも招かないと考えます。教員の「社会人採用」は、教職以外の世界も見てきたという点で、私は意味があると思っています。 理想論ですかね??…(^^; ちなみに私は教育学部卒です。身内にも、教員が多いです。 教育実習の時、子供たちは可愛かったです。しかし、自分にはとても30人以上の子供に対して平等な対応や考え方はできないだろう、何を置いても子ども達について親身に考えることはできないだろうと判断し、教職につくことは辞めました。だから今は尚更、理想論を追ってしまうのかもしれませんね。 長々すみませんでした。
補足
お母様からの生のお声をありがとうございました。 「社会的に不適格な人」が現在増えている現実に嘆くばかりですね。 熱血で子供の事を一番に考えている人から一番に「教師」を休職、辞職していっており、教員が足りなくなってきているのが現状ですね。姉がいっておりましたが、これからは機械のようにルールだけに従って生きられる人間こそ教員に向いている、と言っていました。そうでなきゃストレスでつぶれてしまうと。 >人間」の見本として恥ずかしくない社会経験を積み、様々な価値観を身につけること これは教師だけに求めるものでなく、相手方のお母様達にも持っておいてほしい物だと思っております。教師は教育のプロであると同時に、お母様方と同じく「人間」であり、教育を通して自身も学ぶことが出来る素晴らしい職業だと思っております。素晴らしい理想論ですが、現実にそういった子供の事を考えられる教師から先に、現状に耐えられず辞めていってしまうのではないか、と思います。
- nobita60
- ベストアンサー率29% (193/644)
モンスターは本当に多いですね。 反論されても別の反論があると思います。 交通事故にあいそうになっても声をかけないほうがいい。危ない!と叫んだから気が散漫になった。と反論されるかも。 誘拐されそうになっても知らんふりを。せっかくの出会いを台無しにしたと問題にされる。 お腹が痛い、気分が悪いと子どもが言っても無視。痛みを知る機会、気分が悪いとはどういうことかを学習している機会を奪ったことになる。 極論はそういうことになります。 給食費を払わないモンスター。食べたくて食べているのではないなど。 給食をいただきますと強要しないと文句を言うモンスター。 結論は学校の先生にはならないこと。先生受難の時代ですね。(国民の学歴が低い時代の先生は大卒であるということだけで尊敬されていましたけど、今では大卒は当たり前の時代だから) そこら辺のコンビニ(失礼)のお兄さんだって博士号所持者(就職先がないって) (訳が分からん大学が増え、訳が分からん大学が博士号を安売りするから博士号にも地に落ちてきている。大学を価値ある教育機関にしなければこの問題は持続する)
補足
常識さえも捻じ曲げようとする彼らの姿勢にびっくりします。今の時代、正直大卒の何が偉いのか分かりません。大卒でもニート、短大、専門卒でも一流企業就職は普通の時代ですよね。学歴関係なく立派な人は沢山居ます。 大学自体も何かアクションを起こさなければこのままどんどん落ちていくと思いますし、企業もさっさと学歴フィルターをはずしていかないと優秀な人材を取り損ねていく気がします。
- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
一般常識的に考えておかしいことを、親が平然と要求することは、向こうがやっぱりおかしいわけです。 親自体にそういう常識がなく、「果たして言っていいのか」という一歩止まって考える回路ができていない、感覚が麻痺していると言わざるを得ませんから、こういう「化け物親」に対しては、常識的に毅然と対処するべきだと思います。 ただ校長を始め、教頭や古参の教員などは教育委員会の方ばかり見ている「ヒラメちゃん」ですから、そういう構造的な組織改革や意識改革がないと、なかなか毅然とした態度はとれないでしょうね。 学校の規則をきちんと周知させて、それに従わない生徒はその学校を辞めてもらって他に移ってもらう位の厳しい接し方が必要と思います。 当然「化け物親」は教育委員会やマスコミに言うとか大騒ぎすると思いますが、規則に従わない以上は淡々とことを進める、そして教育委員会がどうのこうの言ってきても社会的な正論を通すくらいの学校が生まれてほしいものです。 多分、こういう「化け物親」が出現するのは公立小学校だと思います。 私立の場合はまずあり得ないと考えます。 (あったとしても、公立と比べたらかなり少数だと思います) なぜ公立で出現して私立では出現しないのか・・そこにヒントがあるような気がします。
補足
斬新な回答ありがとうございます!公立小学校が多く私立が少ない理由を出来れば教えて頂ければ、と思います。わが子が可愛い、もっとハイレベルな教育(といったら弊害がありますね)を受けさせたい、といってお受験させ、私立に入れるもんぺが多いイメージですが…。
お礼
なるほど。大変説得力のあるお言葉でした。私立と公立の姿勢の違い、是非参考にさせて頂きます。