>日本の再軍備はなぜあいまいな形をとったのか。より明確な国民的合意の下で再軍備を行うプランはなぜ採用されなかったのか教えてください。
にわかに、認めなくない人もいるでしょうけど、日本は結果的に天皇の国です。もう少し分かりやすく言えば、為政者(崇拝される者)によって何とでも変わってしまう従順な国民性を特徴とする国なわけです。アメリカはその辺りを熟知しておりまして、戦後の日本統治にそれを活用するわけですね。
したがって、天皇陛下が軍備をお望みにならないのなら、軍国にはならないわけです。しかるに、戦前・戦中は天皇陛下の力を実質的には軍人が奪ってしまい、天皇陛下はまさにかごの鳥状態にあったと言えます。天皇陛下のお考えから反してはいたけれども、軍人が勝手に戦争を始めてしまった(太平洋戦争の遠因は満州事変です)。それを天皇陛下が追認せざるおえなかった。そういうことだと思います。もっとも、軍人の戦争政策はそんなに間違っていたとは言えません。アメリカに対する敗戦は早期終戦ができなかったというミスでしたが、ある程度の戦争は、増え続ける人口と向上し続ける生活水準を賄うためには当時のブロック経済下の状況ではせざるおえなかったことも事実であると思います。
戦後は、天皇陛下そのものにも権限はなくなってはおりますが、その精神には国民は従うわけです。と、いうより、国民は戦争はこりごり状態になっていましたし、軍部は解体されてしまい、天皇陛下はもともと平和志向なわけで、そんなところに、GHQとの利害が一致してその具現化された政策がいわゆる”吉田ドクトリン”だと思います。
もっとも、一部では、再軍備(Y委員会など)の話しは全くなかったわけではありませんでしたが、そもそもが、それを画策していたのが元軍人でしたから、多くは公職を追放され力も失っていたものと推測されます。もちろん、後に自衛隊となってその思いは復活しますが・・・。
つまり、あいまいにしたのは天皇陛下のお考えを汲み取った軍備を嫌う国民の目から、逆に政府が再軍備政策を隠すためだったと思います。
したがって答えは、結局は、天皇陛下の考えに国民が従ったために、再軍備のプランは、国民合意の下で行われるはずもなかった。そして、憲法も押し付けとは言われながら、日本国民の考えとも一致していて、法の面からもタガをはめた。そういうことだと思います。
ちなみに、軽武装という方針は経済復興への資金を重点配備することを可能にして、安全保障はアメリカに任せてしまい、効率の良い経済発展をすることができたのは言うまでもないことです。天皇陛下のお考えを具現化したともいえる吉田ドクトリンは大成功を収めたと言えるでしょう。
最後に、再軍備をもししたければ、天皇陛下にそう言ってもらえれば、あるいはそうお考えであろうと流布できれば、おそらく、国民はその方向に動くでしょう。今でも天皇陛下の力を侮ることはできません。あの被災地に天皇・皇后両陛下が訪問されれば、みんな大歓迎、涙を流して感激している人もいました。一方、管総理が行けば、罵声が飛ぶのも納得できます。少なくとも、マスコミは天皇陛下のお考えを否定することはできないはずです。日本は今でも天皇の国です。
玉音放送の一部を現代語訳で出しておきましょう。
「...先にアメリカ、イギリスに宣戦したのも、日本を守り東アジア全体の安定を願うためであり、他国の主権を犯し領土を侵略するようなことは、もとより私の意志ではありませんでした。...思うに、今後日本の受ける受難は尋常ではないでしょうし、日本国民の心の奥底で感じていることは私にもよくわかります。しかし、私は時代のおもむくところ、堪え難きを堪えて、忍び難きを忍び、このようにして今後の永遠の平和をもたらしたいと思います。...」
戦後の再出発はすでにこの玉音放送から始まっていると言っても過言ではないでしょう。