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死後の世界は無ではないかもしれないエピソード
- 亡くなった方からのメッセージが親戚に伝わる
- 亡くなった人が楽になったと感じられる
- 「無ではないかもよ」という可能性を感じる
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うちのじいちゃんが死んだ時。。。 霊感の強い従兄の子が、葬式で「あそこにじいさんいるよ」と言っていた。 自分は霊とか信じないタイプだから「ふ~ん」って流していたけど、その従兄の子は、葬式までうちに来た事がなかったんだよね。 んで、じいちゃんが生前、部屋の出入りに使っていた窓があったんだけど、そこから出入りしているよ~と従兄が教えてくれたのには驚いたよ。 そこの窓から出入りしているのを知っているのは、うちの家族だけ。。。 どう見ても、通常は出入りに使うような窓ではないから、従兄が知る訳ないんだよね。 「マジで。。。?」と思ったけど、それを聞いたうちの父ちゃんは「そうか、じいさんが歩いているか。。。」と嬉しそうにしていたよ。 うちのじいちゃん、死ぬ時はもう歩けなかったからね。 死んでから、膝の痛みも無く、歩けるようになったんだな~と思ったな。 怖い幽霊とかは見たくはないけど、家族とか「もう一度会いたい」と言う人であれば、幽霊でもいいから会いたいと思うよね。
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もう、だいぶ元気になられたのではと思いますが。 私も数年前に母を亡くし、立ち直れないでいた時、会社の先輩から頂いた本に救われました。 「ジュリアの音信―不朽の霊信」 「無ではないかも」と思える本でしたよ。 現在入手は難しそうですが、著者の 「ウイリアム・T. ステッド」 で検索すると本の内容や興味深い話がでてきます。
- 参考URL:
- http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4795291551/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1
お礼
ご回答ありがとうございます。 お陰様で、もとの生活に戻り、涙を流すこともなくなりました。 百箇日 「卒哭忌(そつこくき)」とはその通りだなと思います。 でもやはり、時々 母はどうしているのかな、母からのメッセージが欲しいなと思ってしまいます。 リンク先のレビューも、ウィリアム・ステッドという人もとても興味深く、是非読んでみたいと思います。 無ではなさそうだと思えます。 こうして、また新しいお話が聞けるのもとても嬉しいです。 締め切りはまだ少し延ばしたい思います。 ご回答いただいた皆様、ありがとうございます。
- eld3399
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死後の世界はあります。 もちろん身体を持っている人間には入ることは出来ません。なぜなら必ず障壁というものが形成されているからです。つまり次元と空間が異なる場所で、生と死の間にある世界です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「死んだら無」ではないと実感された体験談等を聞かせて頂ければ嬉しいです。
こんにちは。 >私のは脳の現象なんですね。 私も光の世界に居た時は、「躍動」とは思いませんでしたよ。 その前後にした色々な体験によってそういう答えになっています。 多分、そこには全てがあるのだと思います。一つではありえない静と動も、西と東も、過去と未来も、神と人も、人と人も、そこでは”一つ”として存在している様に思えます。 一つなんですが個々がある。その個々が一つ単体のエネルギーだけで宇宙を焼き尽くせると言われても特に驚かない様な本当にものすごいエネルギーだと思いました。 私はむしろ死後の世界はものすごくエキサイティングな世界だと踏んでいます^^
お礼
”一つ”として存在してるのに、個々がある。そこには全てがある。エキサイティングな世界! 私もその時がきたら、体験できるかしら?なんだか、楽しみになってきました! いつも、ありがとうございます。
こんにちは。 >おだやかな世界 そんな事は全然ありませんでした^^ 躍動の極みの様な世界です。それでいて興奮とかとは全く違う静かな状態で躍動の極みであれるのです。 そこに存在する要素一つ一つが、各々の単体エネルギーだけ宇宙が爆発するんじゃないかという位の大爆発的に大全開で躍動活動しているのに、何一つぶつかる事の無い完全な調和の世界で、その調和が私が静かと思った所以です。
お礼
再度コメント頂きありがとうございます。 >大爆発的に大全開で躍動活動しているのに、何一つぶつかる事の無い完全な調和の世界 イメージしたことのない世界です!面白いですね。 以前、ヨガの後の瞑想で、虹色の光の後、金色から白く輝く光を見て、それはこの世のものではないくらい美しく、死んでこの光の中に行くのなら死は怖くないと思いました。 私の光の世界はこんなイメージでした。 私の場合は脳の現象なんですね。 「躍動」とは、とても新鮮で興味深いです!
こんにちは。 私の体験です。 よく臨死体験をした人は「木があって、動物がいて、花が咲いていて~」などと景色を見ますが、私は景色は一切見えず、ただただ光のみが見える世界でした。光と言ってもかなりの光量なのに全くまぶしいと感じない光です。 その光は心でした。 その光が私に何を伝えるでも無く、ただそこに居るだけで伝わってくる心がありました。 それは、たとえ自分をなぶり殺しにした人であろうとも、この世界に入れないのはとてつもなくかわいそうだから、自分をなぶり殺した事など全く構わないので是非この世界に入ってきて欲しいと願う様な世界/心でした。 時間も空間もない(全く異なる観念)心の世界でした。 その世界は今私たちの隣にある。次元が異なる世界の事が認識できてないだけで、多分ここに同時に存在している様な感じでした。 別の体験ですが、私が学生だったころ、建築業でアルバイトをしていて、3階建てを建てている時でした。 お昼になって、親方などは先に定食屋に行ったのですが、一番下っ端だった私は3階で後片付けをして皆を追いかけました。 すると、もう私一人の筈なのに、3階から降りる階段の音(まだ建築中なので鉄むき出しの階段)が私の後ろにもう一人分。 普通なら直ぐに振り向きそうなものですが、その時の私は1階まで降りたら見てみようと何となく思いながら降りていき、1階に着いた時に振り向きました。そこに居たのは冬服を着た私(その時は夏で、自分自身は夏服でした)が私の方をニヤニヤしながら見ているのです。 普通はここで仰天しそうなものですが、その時の私は「あ、オレが居るな。。。あ、ご飯行かなきゃ」と直ぐさま振り返って定食屋に向かいました。 私は不思議な体験を沢山しています。 それらが死後の世界の存在を保証するものではありませんが、私は確信しています。 というより、多分死後の世界といってもどこか違うところに行くのではなく、あの心の世界、つまり今ここに同時に存在しているのであろうお隣の世界に行くだけなのではないかなと思っても居ます。
お礼
Apostleさん、ありがとうございます。 いろいろ不思議な体験をされたのですね。興味深いです~! 「その光は心でした。」 「あの心の世界、つまり今ここに同時に存在しているのであろうお隣の世界・・」 なんだかわかる気がします。穏やかないい所のような気がします。 「死んだら何もない!」と元気な時には言ってた母でしたが、だいぶ悪くなった時、「あっちの世界に行ったら本当に楽になるのかしら・・」といいました。 私が「あっちって、光の世界の事?」と尋ねたら、しばらく考えた様子で頷きました。 なんだか光の方に行って欲しかったから、「光の世界」を印象付けたかったんです。 ちゃんと行けたかな? また、不思議な話聞かせて下さい。 こんなに遅い時間なのにコメント頂きありがとうございました。
- tadanokuma
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無ではないかも…経験をされたことが実際に無いと、こうした質問では信じてもらえる可能性が低いと常日頃から思っておりますが、体験で良ければ記させていただきます。 私の体験では、亡き祖母の遺言である百日目に京都本願寺へ分骨後、京都を知らない私たちにとって修学旅行以来の京都見物となり、その夜に自宅へ帰宅した明け方に見た夢であります。 祖母が枕もとに立って、“折角、京都の本願寺に連れて行ってもらったが、自分の知っている者が本願寺には誰もおらんかった。寂しいから、お前の後ろに着いて帰ってきた”と言うのです。そして、家の仏壇の正面からではなく、仏壇と横壁(側方)の隙間から仏壇の裏に回るように消えて行く夢でした。 私とすれば、遺言通りに実行し精神的にもようやく安堵したことに、反する夢でした。 その夢から11年経った今でも、どこからか、いつも見守られているように感じます。 大難が中難で済み中難が小難で終わること、自分だけの知恵やスキルではない他の力というか目に見えない何かに救われる…そうしたことが何回か起きましたので、亡き後は必ずしも無ではないと信じています。 貴女様にも、無とは言い難いことが、百箇日を過ぎた頃から、あるいは既に気付かないながらも起きている可能性があると思われます。亡き方が、貴女様を慕った情(愛)が深ければ深いほど、より強く現れることとなると私は思います。亡くなられても、どこかで見守っていますから安心して普段の生活を営んでください。
お礼
ありがとうございます。 夢で伝えられたリアルなメッセージですね。 百箇日を前に仕事の合間、母がお世話になった色々な方にお礼を伝えてまわっています。 通夜や葬式その後も、母だったらきっとこうしたいだろうという事が、そのまんまかなえられているように思います。 色々なアイデアが思い浮かび、ちょっと困難と思える事もすんなり事が運びます。 明日は実家に帰り、母の思うような片づけと模様替えをし、明後日百箇日を迎えます。 こうやって記す事で、心の整理がついてきました。 優しい応援を頂き、本当にありがとうございます。
- uchi-
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meido369さんこんにちは。 >百箇日過ぎたら、より前向きに生きて行きます いいですね。ポジティブにいきましょう。 「無ではない」という意味では、輪廻という思想もあながち間違いでないと思いますので、 そのことについて考えてみましょう。 輪廻転生(りんねてんせい)は、たぶんキリスト系および一部の宗派以外では、 土着(ネイティブ)信仰にいたるまで幅広く信じられている根本思想です。 ご存じでしょうが、輪廻は簡単に言えば 人が死んだら魂だけが次の生命として誕生するという意味です。 この輪廻転生の謎に、現代科学で取り組んだ人物がいます。 ブライアン・L. ワイスという人です。 この人は、エール大学医学部で医学博士号を取得、 その後、マイアミビーチにあるシナイ山医療センターの精神科部長と マイアミ大学医学部精神医学科の教授を務め 、 現在はマイアミ市にワイス・インスティチュートを設立し、 スタッフとともに患者の治療を行っているという経歴のれっきとした精神科医です。 ワイス氏は、退行催眠(催眠療法の一種で少しずつ過去にさかのぼって心の病原を探る)の最中に、 前世までさかのぼることに成功し、前世が外国人のばあいは全く行ったこともない他国の言葉を流暢に話したり、治療中に語られた前世の町並みが、後日調べてみるとピタリと符合したなどという臨床例がたくさんあります。 詳しくは、『前世療法』―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫) という本に書かれています。興味があったらどうぞ。 もし本当に輪廻があって、あなたのお母さんの魂がこの世に生まれ変わるのだとしたら、 きっとあなたの人生の中に、あなたを支えてくれる大切な人として登場するのかもしれませんね。 死んだら無になるなんていうより、こっちの方が優しげな夢があるように思えます。 人の死にはみんな意味があるのですから、 涙を人生の糧にして少しずつあゆんで下さい。 (けっこう力入っちゃった…汗)
お礼
ありがとうございます。 『前世療法』読んでみます。 カイロの先生から勧められたマッサージオイルの流れで、 エドガーケーシー療法について調べた事があります。 やはり無ではない、何かがある気がします。 おや、ちょっと元気になってきました。
- takoyaki1966
- ベストアンサー率34% (556/1619)
40代女です。 大好きな母が亡くなって20年以上たつのですが、今から10年くらい前だったか、私の結婚問題で父と大きないさかいが起きました。 そんなときに、突然、母が生前私に宛てた小さなメモがひょっこり出てきて、「お父さんをよろしくね」とと書かれていたもので。 死期が近いことを悟っていた母が、私の誕生日のプレゼントに添えて書いてくれたものでした。 ずっとどこかにまぎれていたのに、こんな時期に出てくるなんて…父の気持ちをもっと分かろう、私の気持ちも喧嘩にならないように伝えよう、と、反省したり、お母さん、ずっと見ててくれてるのかなあ、と何ともいえない、嬉しいような、切ないような、たくさんの気持ちになりました。 お互い、天国から見ていてくれる人たちを安心させられるように、生きていけたらいいですね。 がんばりましょう。
お礼
ありがとうございます。早くにお母様を亡くされたのですね。 「お父さんをよろしくね」に涙が出ました。 母もずっと父の事ばかり気にしていました。 心拍数がだんだん下がってもうだめなんだと思った時、母が思いを残すといけないから、ありがとうの言葉と「お父さんの事は心配しないで!」と伝えました。 そのタイミングでお母様からのメッセージ、きっとどこかで見守っていてくれてるんですね。嬉しいですね。 安心させられるように生きていきます。 応援ありがとうございます。
とある本の話ですが。。 亡くなった方に、また会いたいと思えば…来世でまた会えるそうです。 現世での出会いも過去世で、縁のあった方と再び巡り会ってるとも書いてました。。 気持ちだけでも、前向きに持つといいですね。
お礼
ありがとうございます。 日々、忙しくしているのですが ふとした時に色々思い出して涙します。 百箇日を区切りにしたいと思っています。
- cliomaxi
- ベストアンサー率33% (2921/8736)
私は死後の世界とか霊感等を一切信じないタイプの人間です。 どちらかと言うと「無」の方がしっくりきます。 しかし墓参りにはよく行きます。 子供の頃は亡くなった祖母に可愛がってもらいましたから、何かあるとそれが何時であろうと祖母の墓に行きます。 高台にある墓地に夜中に行くのは普通なら気持ち悪い筈ですが、祖母のところに行くと思っているので全然平気なんです。 報告したいことがあったりとか、辛いことや人生に疲れた時に励ましたり叱咤激励して欲しい時など色々です。 勿論何の返事もありませんが、私にはそれで充分です。 昔から言われていることですが「死後の世界はある」とか「無ではない」なんか考えなくても自分を含めた多くの人の記憶に存在しているで良いじゃありませんか。 物質や世俗から昇華したんです。
お礼
ありがとうございます。 昇華したんですね。潔くていいですね。
補足
お礼の所に書き込みたかったのですが、先に閉じてしまったのでこちらで失礼します。 私も百箇日を過ぎたら、cliomaxiさんのように 「自分を含めた多くの人の記憶に存在している」と気持ちを切り替えることができると思います。 もちろん、時々母に話しかけると思いますが。 早くにコメントいただきありがとうございました。
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お礼
そうなんです。幽霊でもいいし、夢でもいいから会いたいんです。 気持ちをわかって下さって本当にありがとうございます! 母も膝を悪くして、亡くなる前は車いすだったので、 姪っ子の夢で、忙しそうに歩きまわっていて「ばあちゃん、もう病気治ったよ」と言ったという話がとてもうれしかったです。 それが夢の話でも、keitisanのお父さんのように嬉しいです。 従兄の方のお話、興味深いです。不思議です。