私は両極端と言われる性格をしています。私を知る人は、ある人は努力家と思い、ある人は怠け者と思っています。何故こうなるかといいますと、私は好き嫌いの激しい性格をしていまして、したく無いと思ったらとことん何もしない、逆に打ち込む時は狂ったように打ち込みます。事実、あることに必死で打ち込んでいたとき、家族は私を鬼のような顔をしてやっていた、と言ってました。
やるべきこと、というのが、やりたいことと同じでない場合、恐らくそれはやるべきことをやることによって何らかの見返りがあるのでやっていい思いをしたい、という事なのでしょうから、本当にしたい事をするわけではないので精神に大きな負担を与えることになるでしょう。で、ああ、面倒だ、やりたくない、となるわけです。
楽をしたく感じるのは誰しもそうだと思います。色々なことをしていて行き詰った時、自分の限界を感じた時、疲れ果ててしまった時、何で私はこんなことをしているのだろうと自問自答してみたり、楽をしている人達が妬ましく思えたり、自分自身が楽をして目標を達成したいと夢想することでしょう。でも、やるべきことをせずに目標達成できないと分かっていますから、再び努力を重ねるわけです。楽をしたいと感じて夢想に耽るのは、ある種の清涼剤、心を健全な状態に保つための精神作用かもしれませんね。
私の場合、やりたいことをやるタイプで、仮に必要であってもやりたくなければ全く気力が起きないという最低最悪のタイプですので(笑)、やるべき事柄の必要性が低いと認識しているからやらない、ということは経験したことがないですね。逆に、必要度が高いのにやる気になれずノイローゼの一歩手前まで悩んだ経験ならありますが。
人にはそれぞれタイプがあって、必要と感じればやり遂げるタイプと、本当にやりたい事しか気力の起きないタイプがあるのだろう経験上思っています。
だから、kanekokanekoさんは、自分自身をしっかりと見つめて、自分がどういうタイプの人間なのか見極めるべきだと思います。
そして、もし、自分のしたいことならまわりから異常だといわれるくらいに取り組めるのでしたら、自分はそういうタイプの人間だと認めて考え方を改めてしまうということだって出来ます。みんながみんな、あらゆることに対して努力して、必要度さえ高ければ習得しなければならない、と言うわけではありませんので。
普通は自分の嫌な事でもやらなきゃならないだろう、といった、一般論なんて捨ててしまっていいんです。普通といわれる人達があらゆることを並程度の集中力でしかこなせないのに対して、一つのこと、したいことしかやる気が起きなくても、驚異的な集中力を見せて普通の人達の何十倍もの能力を発揮するならそれは立派な個性なんですよ、あらゆることに奇妙なバランス感覚を求める世の中ではなかなか理解されない個性ですが。人間に個性が無いと考える人達の方がおかしいわけですし。
お礼
お礼が遅れたのにもかからず、再びお返事を頂きありがとうございます。 私の心理の曖昧さが、行動に影響していることに気付きかされました。 まずは、自分の人生観を整理して確立し、それに添って役立つものと役立たないものを分けていきたいと思います。 その上でやる気が出ないのであれば、自分が必要としていない事柄、つまり自分の人生に必要性が無く、自分が望んでいないということですね・・・。 結局、自分の中にありましたね・・・。 どうもありがとうございました。