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人は何故面倒くさくなる(楽をしたくなる)のか?
人間は、やるべきことややりいたいことがあるのに面倒に感じたり、楽をしたくなるんでしょうか?。 やるべき事柄の必要性が低いと認識しているからでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
何か、問答のようになっていますね? 私の疑問点は私の感情の中に「やりたい事なのに、やる気が起きない」という感情があるのです。 答えはあなたの中にあります。 「やりたくない」感情が行動を否定しています。 究極の心理を追求しようとなされているのかどうか解りませんが、今後の人生観に役に立つなら「やるべき事柄の必要性が高いと認識する」でしょう。
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- taroimo_hasami
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私は両極端と言われる性格をしています。私を知る人は、ある人は努力家と思い、ある人は怠け者と思っています。何故こうなるかといいますと、私は好き嫌いの激しい性格をしていまして、したく無いと思ったらとことん何もしない、逆に打ち込む時は狂ったように打ち込みます。事実、あることに必死で打ち込んでいたとき、家族は私を鬼のような顔をしてやっていた、と言ってました。 やるべきこと、というのが、やりたいことと同じでない場合、恐らくそれはやるべきことをやることによって何らかの見返りがあるのでやっていい思いをしたい、という事なのでしょうから、本当にしたい事をするわけではないので精神に大きな負担を与えることになるでしょう。で、ああ、面倒だ、やりたくない、となるわけです。 楽をしたく感じるのは誰しもそうだと思います。色々なことをしていて行き詰った時、自分の限界を感じた時、疲れ果ててしまった時、何で私はこんなことをしているのだろうと自問自答してみたり、楽をしている人達が妬ましく思えたり、自分自身が楽をして目標を達成したいと夢想することでしょう。でも、やるべきことをせずに目標達成できないと分かっていますから、再び努力を重ねるわけです。楽をしたいと感じて夢想に耽るのは、ある種の清涼剤、心を健全な状態に保つための精神作用かもしれませんね。 私の場合、やりたいことをやるタイプで、仮に必要であってもやりたくなければ全く気力が起きないという最低最悪のタイプですので(笑)、やるべき事柄の必要性が低いと認識しているからやらない、ということは経験したことがないですね。逆に、必要度が高いのにやる気になれずノイローゼの一歩手前まで悩んだ経験ならありますが。 人にはそれぞれタイプがあって、必要と感じればやり遂げるタイプと、本当にやりたい事しか気力の起きないタイプがあるのだろう経験上思っています。 だから、kanekokanekoさんは、自分自身をしっかりと見つめて、自分がどういうタイプの人間なのか見極めるべきだと思います。 そして、もし、自分のしたいことならまわりから異常だといわれるくらいに取り組めるのでしたら、自分はそういうタイプの人間だと認めて考え方を改めてしまうということだって出来ます。みんながみんな、あらゆることに対して努力して、必要度さえ高ければ習得しなければならない、と言うわけではありませんので。 普通は自分の嫌な事でもやらなきゃならないだろう、といった、一般論なんて捨ててしまっていいんです。普通といわれる人達があらゆることを並程度の集中力でしかこなせないのに対して、一つのこと、したいことしかやる気が起きなくても、驚異的な集中力を見せて普通の人達の何十倍もの能力を発揮するならそれは立派な個性なんですよ、あらゆることに奇妙なバランス感覚を求める世の中ではなかなか理解されない個性ですが。人間に個性が無いと考える人達の方がおかしいわけですし。
お礼
そうですね~、自分の個性というものを正しく認識して、考え・行動する。 これが一番大事ですね。 人それぞれに性格も違い、ひとくくりに「人間ってこうですよね・・・」と断言している私の考えが浅いという事に気づかされました。
- ozisan
- ベストアンサー率11% (154/1339)
あなたがそうなのですか?やるべき事があるのにやらない。それは、現実からの逃避です。やるべき事柄の必要性が低い、それは、いい訳です。結果、何もしないのです。価値観が行動を制限してしまうのです。
お礼
うーん。確かに、「やらないいけない事なのに、やらない」これは私の逃避行動でしょう。 その点はozisanさんのおっしゃることは正しいと思います。 しかし、私の疑問点は私の感情の中に「やりたい事なのに、やる気が起きない」という感情があるのです。 これは何故でしょう?。
- yu-taro
- ベストアンサー率39% (3209/8203)
kanekokanekoさんこんばんは。人間は生まれつき面倒くさい、楽をしたいというものなのです。つまり極端な言い方をすれば「生悪説」というものでしょうか。 誰でも、楽して仕事をはないで生活したいですよね。宝くじとか大金持ちなどに憧れますよね。私も一攫千金をいつも狙っていますがなかなか叶いません。 やる必要性が低いものは後回しとか、いつでもできるなどとして、結局やらずじまいということになります。 大事なやるべき事があれは誰でも優先度を付けて行うでしょう。 つまりは、楽をしたいという気持ちを持ちながら、やるべき時はやるというメリハリを付けて、事に当たるように意識してやれば良いと思います。 いつも楽していると堕落してしまいますが、頑張れるときに頑張って努力して結果をを出せば、自分にはできると自信が付きます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「生悪説」とはなんでしょうか?。 人間は何故堕落をする生き物なんでしょう?。 yu-taroさんはこの点について、どう思われますか?
- Rose-quartz
- ベストアンサー率17% (205/1162)
一生懸命は体に悪いから(笑) イヤでも、嬉しくても、一生懸命やってテンション上がっている時は、体にとっては同じようにストレスなんだそうです。 ストレス溜まると体に悪いし、寿命が縮まるので、防衛本能かな?
お礼
ありがとうございます。 へー、楽しくてもストレスなんですか?。 これは、初めて聞きました。 医学的な証明があるんでしょうか?
- Bergamot
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やるべき事とある時点で、「したくない」というニュアンスが含まれてますね。 する事=ほしい結果なら、すると思うんです。 だから食欲・睡眠欲などの本能以外の部分でも、したい事ならやっていると思います。 ところがそのする事が、ほしい結果を得るための手段であったりすると、億劫になるのだと思います。例えば片付け。これは片付け自体がしたい事ではありません。片付いた後の爽快感がほしい訳です。 結果がほしい場合、したくない手段や準備とほしい結果とを両天秤にかけ、結果が勝った時人は動きます。つまり動機の強さだと思います。
栄養の問題もあるかも知れません。充分な栄養素が採れてないと無気力を呼ぶ事は一般によく知られています。仕事率から考えて、できる/できない を無意識で判断しているのかも知れません。 また栄養のバランスが重要視されている昨今ですが、サプリメントをとればいいのかと言えば、そうとは限りません。人間も本来、自然の一部です。規則正しい食事習慣や自然の甘みを享受し、メンタルな面からも満たされるべきが本来の満腹感だと思います。 必要性と言えば、仏教の前ではあらゆる物事が必要ない事だとされたりします。必要性を見限ること。それは必ずしも「楽」に繋がるとは限らないでしょう。
お礼
なるほど。私も栄養摂取は重要だと思い、献立を栄養学を研究し、作っています。 サプリメントも摂取しています。 それ以上の点は、個々の価値観で成立する点ですので、一概には断言できないですね。 仏教の話は、初めてききました。 ありがとうございます。
- BIGMAC
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その通りです。 人間として生きていくためには食って寝て出す。 これさえ出来ていれば生きていけます。
お礼
心理学者で有名な富田氏も同じ事を言ってました。 人間の三大欲求である食欲・性欲・睡眠欲が成立すると(性欲は個人差がある。特に食欲・睡眠欲)、生きるのに必要な条件そろうのでそれ以上の、欲求はやる気が出にくいんだそうです。 お返事ありがとうございます。
お礼
お礼が遅れたのにもかからず、再びお返事を頂きありがとうございます。 私の心理の曖昧さが、行動に影響していることに気付きかされました。 まずは、自分の人生観を整理して確立し、それに添って役立つものと役立たないものを分けていきたいと思います。 その上でやる気が出ないのであれば、自分が必要としていない事柄、つまり自分の人生に必要性が無く、自分が望んでいないということですね・・・。 結局、自分の中にありましたね・・・。 どうもありがとうございました。