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国内損保20社体制の頃の業界
- 過去の損害保険業界は合併を繰り返し、現在の3メガ体制になる前は国内損保20社体制でした。
- 当時の国内損保20社は、大手5社と動産3社を含む複数のグループに分かれていました。
- ただし、20社体制には実際には19社しかなく、もう1社の名称は明らかになっていません。
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損保業界の「三国志」、あるいは「春秋」?でもお書きになるのでしょうか(笑) > 20社を4つくらいに区分けした呼び方 についてはわかりませんが、お書きになった19社以外で、その当時の損害保険会社であれば千代田火災海上だと思います。 その後、大東京火災と合併して、あいおい損保になり、ニッセイ同和とさらに合併してますね。
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- ag0045
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>上記以外の日産、興亜、同和、共栄、日新、太陽、第一、東洋、大成、朝日、大同等 他の12社はどのように分けられ、なんと呼ばれていたのでしょうか 中堅損保では? ただし、第一、東洋、朝日、太陽は新設4社と云われており、中堅損保からは 除かれてました。 したがって、大手4社、準大手2社?(日本火災、大東京火災) 中堅8社?、新設4社かな なお、千代田火災(→あいおあい→現あいおいニッセイ同和)、が抜けていますよ。 その他特殊な会社として、東亜再保険、日本地震再保険会社があります・
お礼
ご回答ありがとうございます。 "新設4社"、でググったところ見事ヒットしました。 手元の資料では日本火災を含めて大手5社となっていました。 非財閥系の日本火災が大手に入るかどうかは異論があるのでしょうが、一応入れるとします。 また沖縄県域でしか営業しないという特殊性や売上高で見ても、大同火災が、「中堅」に入るとも思えません。 8社ではなく、大同を抜いた"中堅7社"でこれもヒットしました。 大同火災はこれも戦後の新設ですが、新設4社の設立時には、復帰前の沖縄は「国外」扱いだったので、「新設4社」にも入らないのでしょう。 となると、20社体制のころは 大手5社:東京海上、安田火災、大正海上、住友海上、日本火災 中堅7社:千代田火災、日産火災、興亜火災、同和火災、共栄火災、日新火災、大成火災 動産3社:日動火災、大東京火災、富士火災 新設4社:第一火災、東洋火災、朝日火災、太陽火災 の19社プラス 番外1社:大同火災 という区分でしょうか。 なんとかうまくまとまりそうです。 有難うございます。
お礼
早速のご回答、有難うございます。 そうそう、千代田火災を忘れていました。 助かりました。 ここ10年の損保業界の合従連衡はほんとすごいですね。 小説が書けそうです。(笑)