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世間に、あれ、と思う事。

私の身近では、子供のほうが、あれと。 思う事が有ります。 感心する意味でです。 思い知る事象の中ではです。 守る意味と、守る事をおしえることを勘違いしている親御さんが、 多くいるようです。 どう思いますか?

みんなの回答

noname#134608
noname#134608
回答No.2

早速のお礼文感謝いたします。 またお褒め頂いた事…お恥ずかしい限りです。 私それなりの旅路が在るようで、 『血縁者、肉親者は既に誰も居りません。』 そして『子孫の種まきをしたことは在っても』、 それが結実した事はありません。 孤独といえば孤独です。 しかしまた『孤高と言えば孤高です』…だから、 未来を担うお子さん、またこれまでを支えてきた 先人である老若男女の先人の方々に『無邪気』になれるのかもしれません。 これも私の旅の過程、途中なのです。 ですから、『もしこの子が自分の子であったら』、 『もしこの方が人生の先人、親であったなら』そう感じやすいのかもしれません。 少子化対策には非協力な、たんなる『風来坊』なのかも。 たから、視点を変えた時、 『すべてが吾が子、全てが先輩』そう感じられるのかもしれません。 お褒めの言葉感謝いたします。ありがとうございました。 またよろしくお付き合いお願いいたします。 おやすみなさい。

noname#149158
質問者

お礼

正直なお答え。嬉しく思いました。 私が言う事は在りません。 ありがとうございました。

noname#134608
noname#134608
回答No.1

こんばんは。 “親が子の肉体を育て、子が親の心を育てる”… そんな『共育』が、どこかに忘れられてしまったようです。 時代、世相と言う波間に 『知らぬ間に落としてしまった』そんな気がします。 お子さんは『無邪気』ですから、邪心がありません。 お子さんに『欲』はあっても、 損得計算まではしていないから、 無邪気で居られるのかナァ…そう感じます。 世間の波にもまれると、 知らぬ間に“損得計算が悪癖に”なっているんでしょうね。 そんな時、『お子さんと触れ合うと』… “あれっ?”何か忘れてきたぞ!って感じるのかと思います。 “あれっ!?”すら 感じない親御さんの存在は、 社会全体の責任かもしれませんね。 その社会を構成している “ひとり” が他ならぬ、私です…。 …(自省)。

noname#149158
質問者

お礼

お子さんを守ってください、 おじさんは。おかしいと思っても当然あるものだよと。 ひけらかしているおじさんです、いいか悪いかは別にして、 有るんだという事を、おしえることが、だいじですよね。 お子さんにとって、お父さんでいてください。 あなたの、言葉は、いいお父さんでしか無いです。 そのままでいいとおもいます。

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