- 締切済み
世間に、あれ、と思う事。
私の身近では、子供のほうが、あれと。 思う事が有ります。 感心する意味でです。 思い知る事象の中ではです。 守る意味と、守る事をおしえることを勘違いしている親御さんが、 多くいるようです。 どう思いますか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
早速のお礼文感謝いたします。 またお褒め頂いた事…お恥ずかしい限りです。 私それなりの旅路が在るようで、 『血縁者、肉親者は既に誰も居りません。』 そして『子孫の種まきをしたことは在っても』、 それが結実した事はありません。 孤独といえば孤独です。 しかしまた『孤高と言えば孤高です』…だから、 未来を担うお子さん、またこれまでを支えてきた 先人である老若男女の先人の方々に『無邪気』になれるのかもしれません。 これも私の旅の過程、途中なのです。 ですから、『もしこの子が自分の子であったら』、 『もしこの方が人生の先人、親であったなら』そう感じやすいのかもしれません。 少子化対策には非協力な、たんなる『風来坊』なのかも。 たから、視点を変えた時、 『すべてが吾が子、全てが先輩』そう感じられるのかもしれません。 お褒めの言葉感謝いたします。ありがとうございました。 またよろしくお付き合いお願いいたします。 おやすみなさい。
こんばんは。 “親が子の肉体を育て、子が親の心を育てる”… そんな『共育』が、どこかに忘れられてしまったようです。 時代、世相と言う波間に 『知らぬ間に落としてしまった』そんな気がします。 お子さんは『無邪気』ですから、邪心がありません。 お子さんに『欲』はあっても、 損得計算まではしていないから、 無邪気で居られるのかナァ…そう感じます。 世間の波にもまれると、 知らぬ間に“損得計算が悪癖に”なっているんでしょうね。 そんな時、『お子さんと触れ合うと』… “あれっ?”何か忘れてきたぞ!って感じるのかと思います。 “あれっ!?”すら 感じない親御さんの存在は、 社会全体の責任かもしれませんね。 その社会を構成している “ひとり” が他ならぬ、私です…。 …(自省)。
お礼
お子さんを守ってください、 おじさんは。おかしいと思っても当然あるものだよと。 ひけらかしているおじさんです、いいか悪いかは別にして、 有るんだという事を、おしえることが、だいじですよね。 お子さんにとって、お父さんでいてください。 あなたの、言葉は、いいお父さんでしか無いです。 そのままでいいとおもいます。
お礼
正直なお答え。嬉しく思いました。 私が言う事は在りません。 ありがとうございました。