amidon さんこんにちは、初めまして。
同じ悩みを持っていたので、今回amidonさんの質問に、「同じ境遇の者」だという視点から回答を投稿させていただきたいと考えております。
私も恐らくamidonさんに負けないくらいの
極度のあがり症です。
現在大学生の私のこの症状は高校時代から始まりまして、
国語の時間に朗読を当てられたり、
英語の時間に音読を当てられることが最大の恐怖でした。ほんの1、2行の朗読ならいいのですがそれを超えてしまうと息継ぎすらできない状態になってしまい声の震えがどうしようもなくとまらないのです。
私の場合も、通常の会話は大丈夫なのですが、
とにかく大勢の場で話すということが滅法だめなのです。シーンとした空間の中で自分の声だけが響いているという状態が、嫌で辛くてたまりませんでした。
そのため私は、できるだけそういった状況に遭遇しないように生きてきました。
前もって当たることが分かっている場合は
必ずその時間仮病を使って授業に出ずに過ごしたりしました。高校時代そんなことが度々ありまして、友達にも次第に疑われるようになりましたが、私にとってはそんな疑いよりも、当たることそのものが最大の恐怖だったんです。ただある時、国語の時間に不意に当てられ、
自分としてはかなり長い2ページを読まされることになってしまいました。その時は全く逃げ場がなかったため、仕方なく読み始めましたが即おかしくなってしまい、その時限が終わるとすぐに友人から
「さっきの声一体なんだったの?」と言われ、ショックを受けました。このとき、もう二度と音読なんてしたくないという気持ちが更に強くなりました。
それから暫くは、
そういったことに直面せず過ごすことができました。
けれども、大学に入ってからは更につらい状況になりました。演習という科目が必ずどの学年でもあり、
プレゼンを行わなければならないんです。
しかも、それは朗読などと比べたらはるかに喋る量が多いんです。
学生生活が始まって暫くはそのことをできるだけ考えないようにして
過ごしていましたが、あと一週間ほどで自分の担当であるプレゼンの日がくるというところになって、
うつ状態に近い状態になりました。
食欲が出ず、夜になると怖くなり、眠れず、
いつも口が渇いて緊張している状態になりました。
友人ともきちんと話すことができなくなり、さらに数日すると今度は夜泣き出すようになってしまいました。この時私はどうにかしてまたプレゼンを避けるしかないと思い、結局私だけプレゼンをせずにその授業は終わりました。
文章が長くなり申し訳ないのですが、
もうしばらく続けさせてください。
どのようにして避けたかというと、
直接担当の先生に自分の状態をアポをとってお話しました。人前で喋ることがダメだということ、
そのことを考えただけでおかしくなりそうだということを全て話しました。
先生は私の話を一生懸命聴いてくださり、
またその時提出した私のレジュメ内容を見て成績を考慮してくださり、私はプレゼンをせずにその授業の単位をとることができました。授業では生徒に、私のプレゼン時の不在を「風邪だ」といって説明してくださったそうで、あとから他の生徒に「風邪だったんだって?大丈夫だった?」と言われました。
私は先生に理解してもらえたことがとても嬉しかったのですが、それより何よりはじめはプレゼンを避けることができたことがとても嬉しかったです。
結局こういった経緯でプレゼンはやらずにすみ、
私の恥はさらさずにすんだことはとても嬉しかったのですが、プレゼンは卒業までにまだ何度かしなきゃならないことは明白でしたので、次はこの先どうしようかと思うようになりました。
と同時に、ここまで来てしまうと、
私は今までとはまた別の意味で本当におかしくなってしまうのではないかと思うようになりました。
今までは、自分が人前で喋ることを避けることだけ考えて過ごしてきました。それが自分にとって最善の策でした。プレゼンの日が近づくにつれて泣いたり悩んだりしたのは、それなりに自分に、プレゼンをちゃんとやらなければ、という思いがあったからでした。けれども最後には、だめだ、どうしてもできない、という思いが強くなって、そこにしか気持ちがいかなくなるのです。とにかく声が震え、おかしくなる自分にこれ以上直面させられるのはしんでも嫌だという気持ちでした。
それでも、もし今後このままの考えで過ごしていったら、私は多分取り返しのつかないところまでいくんじゃないかと思うようになりました。プレゼンを避けたところで、もうその道に入りかけたんだなとようやく気づきました。もしこのままいけば、自分に不都合な状況そのものを避け続けてしか生きられない人間になってしまうということに気がつきました。今まで、人前で喋れない自分にコンプレックスを抱いていましたが、人前で喋れないからといって
喋ろうとしない自分のほうがよっぽど情けないのだと思いました。私の周りには、家族にしか相談していなかったためか、それまで幸いなことに、「無理にでも喋ろうと努力しろ」と言ってくる人はいませんでした。先ほどの先生にしても親にしても、「無理にまではしなくていいんだよ」と言ってくれたんです。
私の親も、私がスピークフレイカーでプレゼンを避けたことを知っていますが、それを親に伝えた時も、
「真剣にきちんと考えてそういう結論に達したんだから、それでいいじゃない。」というような言い方をしてくれました。
私は、周りの人がこういって接してくれたことに本当に感謝しました。でも、私はもうどうにか自分を人前で話すという状況に持っていかなければならないと強く感じました。もし今自分で自分をそういう方向にもっていかなければ、いつか自分で自分の感受性を調節できなくなる日がくると思いました。
それまでは人前で話すこと自体を考えるだけで自分が壊れる思いでしたが、今後は自分が人前で話す機会を作らなければ自分で自分を壊すことになるだけだと思いました。
とはいえ理屈ではそう思っても、実際簡単ではありませんでした。頭に気持ちがついていかず、
どうしても人前で話すという場を避けようとする方向に考えが何度も行きました。頭では逃げ場を作ってはいけないと感じるのですが、感情がどうしても逃げ場を作りたいというふうになってしまうんです。
そこで、翌年からプレゼンの授業を、一人でではなくグループで発表するものをとり、そこでまずとにかく一度やろうと考えました。グループなら一人ずつの担当が短いというのが一番の理由です(私にとってはそれでもとても長いんですが)。それから、グループにすれば必ず他のメンバーに対して責任が生まれますので、逃げ場を作らないで済むというのも大きな理由です。
実際のグループ発表ではやはり悲惨でした。
私はグループ発表を終えて、二度と今の発表を思い出したくないとか、このまま消えてしまえるならすぐ消えてしまいたいと何度も思いました。
それでも、一番のドン底は「ただ避けたいと思いながら時間を過ごすことだ」ということだけはわかったので、これからはその都度その都度緊張して声がおかしくなりながらも、少しでも喋っていくしかないんだと思っています。
というわけで個人的事情を
お話しさせて頂きました。
正直私にとって、人前で喋ると言うことは
「気にしなきゃいいんだよ、気楽にやりなよ」とか
「聴いている人をモノだと思えばいいんだよ」とった
精神論で片付くものじゃありませんでした。
その上克服できたといえる立場ではないので、
具体的に差し上げられるアドバイスもありませんが、自分で「これを試したらどうか」と思うものは
試してみることが大切かと思います。
お薬で和らげることができる方もいらっしゃるでしょうし、カウンセリングなどで症状を緩和される方も
いらっしゃると思います。
ただ私の場合、あがり症は私の性格や人生観の問題点に直結している(極度のマイナス思考など)と途中から気づいて、あがり症という一つの症状をどうこうするというよりも、性格の根本を自分で見つめることと、それを改善するよう行動を起こせるように努力することをしなければ改善の余地はないと思ったので、
それに気づいて以降友人や親に相談したりカウンセリングに行ったりすることはしませんでした。(一度相談すれば私の性格上愚痴になり、結局は逃げ道を用意しようとする方向にいってしまうと考えたので)
先に書きましたように私は克服できたわけではなく、
(「克服」という言葉を使うほど劇的に状況が変わることは自分の場合ですが今後も決して無いと思っています。)
そのため具体的なアドバイスを差し上げることはできませんでしたが、amidonさんが、この悩みを持っているのは自分一人じゃないんだと少しでも感じていただけたら幸いです。
私自身、自分と同じ悩みを抱える人が傍にいたら
なあとずっと思っていたので。
長文にお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。
お礼
返事送れてすみません ありがとうございます 開き直りですか? 重要ですよね 私の場合プレゼンのために皆さんの前に立った瞬間に 一気にそれまで考えていた事が飛んでしまいました。 UglyKidさんの経験を生かさせて頂こうとおもいます。 ありがとうございました。