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新しい都立大学
受験生にとりましても重大な事件でありますので、このカテゴリーにて疑問を提示させていただきたく思います。 新しい都立大学では、現都立大学人文学部にある文学科5専攻(国文学、中国文学、英文学、独文学、仏文学)が廃止される。 (詳細は書きURL参照) 確かに、IT技術などに貢献できる分野ではありません。しかし、実用的なものだけが人間を支えるものではありません。経済力、お金のことにしか思考が向けられない政治のもと、いったいどのような豊かな人間性が育つというのでしょうか。 皆様、どのように思われますでしょうか。 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/2076/
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少し話がズレるかもしれませんが・・・ 私も「当面役に立ちそうも無い学問は切ってしまえ」という風潮には疑問を感じます。偉そうなことは言えませんが、そもそも「何」が役に立ち、「何」が役に立たないか(これを「学問の価値」とでも呼ぶことにしましょう)などは、後の時代になってから分かるものではないかと思うのです。 ほんの数年前に、専門家でさえ「500年後くらいにはもしかしたら何かの役にたつかもしれない」と言っていた数論という数学の分野が、今や政治経済の情報戦の暗号として欠かせないものになっている、という話を聞いたことがありますから。 さらに問題だと思うのは、ただでさえ予測が難しいであろうその「学問の価値」を判断しているのが、ほとんど全て行政側だということです。法学部や経済学部出身の者ばかりの政治家に、理系の基礎研究の大切さが分かるとは思えません。 またご質問にあった文系の弱体化も気になります。臓器移植、再生医療、代理母、遺伝子組み換えなどの分野が発達するに従って、倫理というものがますます議論されるべき問題になってきていると思います。そしてその問題は決して理系の者だけで語られるべきではありません。文系の重要度はむしろ上がっていると思います。文系の衰弱は理系の暴走に繋がりかねないと思います。倫理までを輸入に頼るようなことにはならないで欲しい。 長文お疲れ様でした。全く個人的な、青臭い考えだとは思いますが、私は以上のような意見です。
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- ElectricGamo
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この問題、最終的にどう落ち着くかは分かりませんが、 >文学科5専攻(国文学、中国文学、英文学、独文学、仏文学)が廃止される。 もしこうなれば残念なことだと思います。個人的には学問とは役に立つとか立たないとは無縁の世界であって欲しいと思ってます。 ただ、このことと >しかし、実用的なものだけが人間を支えるものではありません。経済力、お金のことにしか思考が向けられない政治のもと、いったいどのような豊かな人間性が育つというのでしょうか。 この関連が分かりません。仮に大学から教養科目がなくなり専門科目だけの教育になるのであればおっしゃることも納得もしますが、国文学、中国文学、英文学、独文学、仏文学の専攻が廃止されることで豊かな人間性が育たなくなるとは思えません。私には文学がそこまで大したことをしているとは思えません。 各大学にも経営方針があるでしょうから、その方針に疑問を持つならば、その大学に行かなければいいのです。受験生にとっては、行きたい学科のある大学に行くのが一番幸せになると思います。むしろ現状で経営方針がはっきりしないのが問題と思います。 いろいろと問題は出てくるでしょうが、恐らく在学生に対しては不利にならないような処置がされるでしょう。教員は能力があれば他でもやってけるはずです。今の若い世代の研究者達から見れば、職があるだけましですし、今までがあまりに生ぬるいのです。
お礼
回答ありがとうございました。 文学系の学科と実用性との関連は、都の財政難から都立大学を再編成するのに際して、文学科5専攻を「無駄な」ものとして断じ、切り捨てることにあります。 >私には文学がそこまで大したことを >しているとは思えません。 そうですね。しかし、その箇所の小生のポイントは、お金・お金と言っている政治のもと、というところにあります。 >今の若い世代の研究者達から見れば、 >職があるだけましですし、 >今までがあまりに生ぬるいのです。 これもおっしゃるとおりですね。 しかし、若い世代の研究者である、 文学科の助手たち、若い講師には残念なことです。
- chi-kon
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それは違うと思いますよ。 専攻分野そのものが日本からなくなるといえば問題ですが、 どの大学がどの専門に力をいれるというのは関係ないと思います。 しいていえば数学物理学なんて実用で考えた場合 文学よりは役に立たないでしょ? (数学物理学の人ごめんなさい!でもこういうことはやっている本人が一番わかってますよね! ちなみに私も物理専攻でした。) あなたが学びたいところに力をいれている大学にいけばいいだけのことです。
お礼
新しい都立大学、豊かな人間性とは何か、ひいては、すでに15年前にも提示された「豊かさとは何か」という疑問に対する合理的なご意見。米国に追従する現代日本の精神の在りようの証左であると思われます。 今、学びたい大学として都立大学で学んでいる人たちについて。 たとえば、フランス文学を学ぶために入学した学生が、文学の面白さを学びながら他のヨーロッパ言語や歴史および精神を習得していくなかで、卒業する年にはその学科が消失していること。または、卒業してからさらに研究をすることを考えている学生が、その分野の専門家が指導する大学院の課程の消失に伴い進学できなくなってしまうこと。さらに、学部・大学院が消失することで、大幅な人員削減が行われること。2003年8月1日の都の突然の方針転換によって、この事態が現状となりつつあります。 そして、都がこのような姿勢を見せることにより、他の道府県もこれに倣うことが考えられるのです。問題は、大学を専門化して良い大学を作ろうというではなく、お金がないから合理化しようということにあります。都の理念としては、建前は違うようですが。ちなみに、国際的に活躍している研究者であっても、その人たちを東京都の予算よりも少ない(当たり前ですが)私立大学で新たに枠を設けて雇い入れることも現状から見て不可能なことです。よって、先生、学生ともに路頭に迷うことになります。 とは言いましても、小生の簡略な質問に対するご意見はもっともであります。 最後に一言 秋の夜長、精神の糧となるような書物と共に過ごすのも悪くないものです。
お礼
いえいえ、素晴らしいご意見のように思われます。 小生がにわかに知った事件に対する浅はかな考えよりも、むしろ深いご意見をうかがうことができました。 グローバル化が孕む問題はつくづく危険であると感じております。 ありがとうございました。