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中学のカリキュラムをこう改善したら
中学の授業の中で、英語と音楽と美術は みんながみんな学習する必要性はないように思われます。 英語の場合は、いくら国際化っていってもみんながみんな必要というわけではなく、日本では日本語さえ知ってれば 不自由することもありません。それに英語ほど人によって得手不得手がはっきりする科目もないでしょう。それから、音楽や美術というのは芸術を楽しむのであって、中学で必修にする必要もないように思われます。ですから、それらを選択制にして 選択した科目をみっちりやった方が効果的だと思います。英語なら英語の素質があって意欲のある生徒に集中的に教えた方が合理的ですし、音楽や美術は じっくり創作に取りかかる事もできます。 さて、この案の方向で考えるんだったら、こうした方がもっと良いとか、逆に この案には こういう問題点があるとか 意見がありましたらお願いします。
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- las8ty
- ベストアンサー率34% (35/102)
まず、音楽や美術の問題からで、今の学校の授業は一発勝負といった感じで練習がありません。あったとしてもほんのわずかですし、上達するための指導がないと思います。絵を普段まったく描かない人が授業で1,2時間で絵の描き方のコツを教えてもらってもうまくかけるはずがありません。それなのに成績評価をするのですから僕は嫌でした。「cherry77さんの音楽や美術というのは芸術を楽しむのであって」に賛成です。僕の意見は楽しむのは鑑賞するということです。もし、成績評価をされるなら実力がつく授業をしなければ経験の無い人は嫌だと思いますし、授業ではなくテストをしているだけだと思います。 英語の件は、英語だけに限らず、5教科全体にいえると思うのですが学校は内容を教えるだけで内容を覚えるのは塾や家で勉強ということになります。家で勉強しない人や部活なので忙しい人には苦になります。数学も英語も家や塾で復習しないから進んでいくとますますわからなくなり嫌いになるんだと思います。 結論をだすと中学生は義務教育なので家で勉強する必要がない授業をするべきだと思います。そして自分が必要だと思ったら勉強して高校や大学で自分が将来、働くに相応しい学力を身につけるのが良いと思います。 蛇足ですが、今の日本は学力が高いかもしれませんがトップと底辺の差は大きなものがあると思います。学校が足りない発展途上国ではないので底辺(中学卒業者)のレベルをもっと均一に上げて高校や大学で今の日本の学力を維持していけば良いと思います。
- may-may-jp
- ベストアンサー率26% (324/1203)
英語に関しては、2つの見方があると思います。まず、米英をはじめとした欧米で使われる英語。もう一つは、「日本国内他アジアを中心に使われる英語」です。前者は英語を母国語とする人を相手にした英語ですが、後者は最大公約数的な共通言語としての性格が強いと思います。 現在、私の身近に中国人が数人いますが、彼らは日本語をほとんど話すことができません。彼らとの共通言語はお互いに心もとない英語です。説明不十分になりがちですが、何を言いたいのかはお互い大体分かります。何も分からないよりは友達になりやすいとは思いませんか? > 高校では 中国語や韓国語の教育を積極的に実施するのも 私だったら断固拒否したいです。なぜなら、教える側の数の不足もさることながら、教えるレベルも未知数だからです。大学の教養課程でさえ、疑問符のつく先生も多いですからね。私立だったらある程度のレベルを保っているのでアリだと思いますし、先見の明のある学校は既に始めていることでしょう。 個人的な意見としては、中学生程度の英語はできて当然だと思います。なぜなら、大人になってからどうしても英語が必要になって英会話等習い始めた人でも、3ヶ月もすればそのレベルに達しているからです。やろうと思えばできるんじゃない、ということです。もちろん個人で復習などしているとは思いますが、中学時代の英語の授業がゼロだったら、使えるようになるためには大学入学後の第2外国語並の努力と時間が必要でしょう。 国際化というのは、好き嫌いに関わらず、日本が先進国になってしまった現在では避けがたい事実なのです。嫌いであっても、3年間英語をやることにそれなりの意義はあると思います。 音楽や美術に関しては、現在の豊かな世の中での学校教育では必要でなくなった科目かもしれません。 ●「ひきこもる小さな哲学者たちへ」(日本放送出版協会、小柳晴生著) をオススメします。今と50年前とでは学校教育に求められるものが変わってきている、という内容です。 私は、現在の義務教育はある程度意義のあるものだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >嫌いであっても、3年間英語をやることにそれなりの意義はあると思います。 その一方で得意な人にとってはひどく物足りなく、 伸びるところも伸びなかったりすると思いますが、、。 >だったら断固拒否したいです。なぜなら、教える側の数の不足もさることながら、教えるレベルも未知数だからです。 私の考えた案を導入しても最初の頃は混乱するでしょうが、きっちり指導要綱を決めて教師を育成すれば 安定するのは時間の問題だと思います。今でも、 パソコンの授業なんか まだもっとひどい段階にありますからね。
- bullfrog
- ベストアンサー率22% (302/1370)
ずれますが、メディアリテラシーについて。 これは現実的には難しいです。なぜなら、新聞の"誇張"や"誤報"、"もみ消し"なども取り上げなくてはならなくなり、新聞社が黙ってないでしょうね。 とのことですが、そういうのが常態化しているからこそメディアリテラシーが必要なのです。 新聞社が騒いでも、指導要領に盛り込んでしまえばいいわけなのですが、文科省にそれほどの根性はないかな?
お礼
この問題は メディアかマスコミのカテゴリーに新たに質問を出した方がよさそうですね。あとで、補足で リンクを張っておきます。
補足
こちらの質問にも是非回答くださいね。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=668306
- ricchin
- ベストアンサー率38% (38/98)
質問者さんはまだお若いように読み取れますが、もしかして、当の中学生ですか?だとしたらすごい文章力ですね。(もし違ってたら失礼しました) さて、ご質問の「英語と音楽と美術」ですが、嫌いですか?苦手ですか?多分そうなんでしょうね。(これまた違っていたら失礼!) まず英語についてですが、はっきりと「みんなに必要です!」といえると思います。 当人さえまったく予想していなかった人が、突然海外転勤になる例をいくつか見てきました。 仕事上どうしても必要になって、英語の専門書を調べなければならない羽目になった人も知っています。 輸入品を買ったら、説明書が全部英語で、辞書と首っ引きで数日過ごした・・・これは私自身の経験です。 毎日、どれくらいの大人があわてて英会話教室に駆け込んでいるでしょうか?もし中学校でまったく英語を学んだことが無かったら大変です。 >日本では日本語さえ知ってれば 不自由することもありません それは思い違いのように思いますが。 音楽と美術についてです。実際にこれらは、高校では質問者さんのおっしゃるとおり選択制になります。 ではなぜに中学では必修なのか? これについては、はっきりとは自信がありませんが、音楽にせよ美術にせよ、中学校で学ぶ程度の内容がその分野の学問の基礎だから、ではないでしょうか。 基礎を勉強し、自分の向き不向き、好き嫌いなどをよくつかんだ上で、高校で選択する・・・と、こういうシステムになってるのではと思います。 私の高校時代は、音楽と美術と書道のうちの「どれかを選択しなければならない」というシステムでした。私は全部選択したかったくらいでしたが、それはできず、反対に何にも選択したくなくても、何かを選ばなくちゃなりませんでした。その辺は「高校生以上の段階であれば」もう少し柔軟であってもいいかと思います。 なぜ中学校段階で基礎が重要か? 私の考えはNo2さんと重なるところがとても多いのですが、一つ違った面から指摘してみたいと思います。 それは、「すべての学問は、何かしらお互いにつながりあっている」ということです。教科とは、便宜上決められたものであって、いろんな教科の分野をまたがる学問は珍しくありません。歴史を学んでいれば、音楽史や美術史の知識はそのまま生かせますし、むしろ、「中学校の教科書に出ていたあの絵が描かれたのには、こんな背景があったんだ!」などと理解を深めるのに役立ちます。 国語、文学史で「北原白秋」が出てくれば、音楽を学んでいれば、「あぁ『からたちの花』を作詞したあの人ね」とピンとくるかもしれません。 嫌いな人には何の役にもたちそうも無い音楽、しかも小難しい楽典や音楽理論も、物理学や数学に通ずる場面があります。 学習が進めば進むほど、ほかの「教科」で勉強したことが関係してくる・・・。そんなご経験はありませんか? もしまだ中学生くらいでいらっしゃるなら、これからそんな場面に出くわすことが多くなると思いますよ。 最後になって今までの逆を言うようですが、私は日本の中学教育は「教科」に偏りすぎているように思います。大多数の人が高校、大学を目指す現状ですが、もっと職業技術的な教育も必要で、高校、大学に行っていない人もきちんと評価され(金銭的な面でも)、尊敬され、誇りを持って働きやすい社会になる必要があると思っています。 質問者さんにとって、今は勉強すなわち「教科」すなわち「テスト」となってしまいやすいのだと思います。 テストを離れれば、「学問」の広ーくて、深ーい「つながり」をお感じになられることもあるのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >仕事上どうしても必要になって、英語の専門書を調べ>なければならない羽目になった人も知っています。 現状の教育もまあ それなりに ricchinさんのいう メリットはありますね。でも、外国語で考えると、 私の住んでいる地方では 韓国人が多いんですよ。 中国人も多いです。でも、中国語や韓国語を学ぶ人は ごく僅か。私は逆に 高校では 中国語や韓国語の教育を積極的に実施するのもよいかと思います。
- bullfrog
- ベストアンサー率22% (302/1370)
人として、とりあえず一通りの知識を持っているのは悪いことじゃないのではないかと。 もちろんそれを身につけるのは難しいのですが「聞いたことがあるな」程度でも違うものです。そこをとっかかりに勉強しなおせますからね。 成績が絡むのが問題だとは思うのですが、成績を絡めないとまじめに取り組まず授業崩壊になるんじゃないかなと。 メディアリテラシーは必要だと思います。これだけ多様なメディアに触れているわけですから、そのメディアを吟味する能力は絶対に必要です。「インターネットに載っている情報は早くて正確だ」と思っている大学生もたくさんいます。そんなバカな大学生がたくさんできてしまっている現状には、大きな問題があると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >成績が絡むのが問題だとは思うのですが、成績を絡め>ないとまじめに取り組まず授業崩壊になるんじゃない>かなと。 つまり極端であってはいけないが、かといって中途半端でもいけないということでしょう。私の考えでは 必修の授業と部活との中間的な存在に位置づけ、大学のように単位を設けたりして インセンティブな要素を 持たせることも必要でしょう。 >メディアリテラシーは必要だと思います。 これは現実的には難しいです。なぜなら、新聞の"誇張"や"誤報"、"もみ消し"なども取り上げなくてはならなくなり、新聞社が黙ってないでしょうね。
- fine_day
- ベストアンサー率70% (6285/8867)
中学校ぐらいまでの教育は「必要性」や「合理的さ」だけを追求すればいいものだとは思いません。 まだまだ知らないことも多くて、いろんな可能性を持っている時期だから、一見不必要に見える音楽や美術にも触れて欲しいですね。その中の誰が芸術家になるかわからないんですから。 専門的な分野で活躍している人でも、中学や高校の授業で学んだことが基礎になっていることが多いですよ。それまで興味のなかった(あるいは知らなかった)分野に目覚めるのもこの時期が多いですし。 生きていくために必要なもの以外は選択性…ということになると、全教科で小学生レベルの知識があれば何とかなってしまいます。 業務で使う専門知識以外…たとえば、 ・国語はしゃべれてそこそこ書ければいい ・算数は四則計算さえできれば生活はできる ・社会は歴史なんて知らなくても困らないし、地理その他も調べれば何とかなる ・理科なんざ日常生活でなくても全く困らない …なんてことになりかねません。 中学生ぐらいで「これは自分の将来に関係のないものだ」などと判断して欲しくありません。 小学校・中学校でいろいろなものに興味を持ち、高校・大学と進むに連れて専門的になっていく…それでいいと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 >一見不必要に見える音楽や美術にも触れて欲しいです>ね。その中の誰が芸術家になるかわからないんですか>ら。 音楽や美術が不必要という意味でもないんですよ。 音楽や美術の教育のあり方とも関係してきますが、 本来 芸術的なものを楽しむのが目的のはずなのに、 音楽が"音が苦"になるような教育は首を傾げます。
- kashi__
- ベストアンサー率10% (40/380)
英語はともかく音楽や美術は同感ですね あと体育、技術、家庭科なんかもいるのかな? そう考えると国語も読み書きさえできれば問題なさそうだし、(特に古文、漢文は不必要ですね) 社会も世界史はあんまりいらないし、地理なんかどこで使うの?ってところでしょうか というわけで数学と物理、化学だけにしてしまうっていうのは今の社会にマッチしてよさげw
お礼
回答ありがとうございます。 >そう考えると国語も読み書きさえできれば問題なさそ>うだし、(特に古文、漢文は不必要ですね) 国語なんかは文学重視よりも「メディアリテラシー」 を教えた方が実用的ですね。
お礼
回答ありがとうございます。ですから、私の案を導入すれば、音楽にしろ 美術にしろ 十分に時間を取れますからね。英語っていうのは 週3時間(それさえもあやうい)の授業で薄っぺらい教科書を1年かけてひとつひとつ文法的に解釈し文法を中心とした練習問題の宿題を出されても力がつかないんですよね。それに、著しく人によって向き不向きもありますし。
補足
英語の習得ってたいへんなんですよね。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=668400の 質問でのGanbatteruyoさんの回答も頷けます。