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苦手な言葉「神は乗り越えられる試練しか与えない」
20代、女性です。 私は「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が苦手です。この言葉を聞くたびに何だか切なくなります。 これから何かを成し遂げようとする人にとっては素敵な言葉なのでしょうけれど、 虐待の果てに亡くなった子供は? 孤独死した老人は? 難病で苦しいままの人は? 災害で命を落とした人は?どうしようもなくなって、自殺した人は? これは乗り越えられる試練なのか?と思ってやりきれない気持ちになります。 「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉に対しての皆さんの ・言葉のとらえ方 ・こういう風に考えたらいいのでは? など、意見・感想をお聞かせください。 よろしくお願いします。
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私は、先月、癌を告知されました。 告知された時は、ある程度覚悟を決めていたので冷静に先生と話をすることができましたが、 帰途につき、家に帰り、そして何日も、不安、恐怖、理不尽さ、哀しみ、 そのようなもので心はいっぱいでした。 これからしたいと思っていたこと、老後はこう過ごそうと夢見ていたこと。 それができないかもしれないこと。 親より先に死ぬかもしれないこと。 なぜ私が? 何も悪いことをしていないのに? インターネットを調べると、癌を告知された多くの人が思うことを、私も思いました。 告知されてから一週間後ぐらいに、ふとした時に、これはもしかしたら全部悪い夢じゃないのか、 今、覚めるのではないか、今、覚めるのではないかと、本当に、そう思いました。 そんな状態でいる時、ふとした瞬間に、テレビで子供がこの言葉を言って、 誰かを励ましていたのを思い出しました。 「神様は、乗り越えられる試練しか与えないんだ」 もしかしたら、いつか病気に負けて、思っていたより早く死ぬかもしれないですけど、 生き延びることだけが、乗り越えることじゃない。 私は独身なので、一人で死を迎えることになるかもしれないけど、 それが必ずしも惨めな死とは限らない。 私なりの「乗り越え」が。どこかに・・。 そう思い、この言葉を思い出したことで、私は、得難い勇気を得ることができました。 とりあえずの勇気かもしれませんけれど、今、私は、1日に何度か気持ちの凹みが来るたび、 この言葉を思い出すことで顔を上げようとしています。 質問者様が言われているように、そのように思う機会さえ与えられずに居る人がいることは知っています。 だから、質問者様の疑問もよくわかります。 ただ、勇気や希望をなくしかけている人の中の、少なくともある人たちにとっては、 この言葉は、後押しとなる力をもっているのではないかと思います。
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おそらく、普通の感覚の方には理解できないことでしょうが・・・スピリチュアルでは虐待をするような親の下に生まれた子は、その試練を乗り越えられると思っていた楽観的な魂であるとか、孤独死は逆に誰にも迷惑を掛けたくないと思っている老人の覚悟の死だとか、難病で苦しいままの人はその苦しみがカルマの借金の返済であるとか、災害で命を落とした人はそのときが寿命だった、とか言われております。自殺した人は、ただ少し我慢が足らなくて、逃げてしまったことになります。 「神は乗り越えられる試練しか与えない」というのは励ましの言葉ですね。被災された方もこの言葉を上げて、「神にこの試練を感謝している。」と言っておられた方が居られました。またこの言葉は、神の愛を実感されている方にはごく当たり前のことなのです。例えば、私たちは地球や自然のうちで生命体として生きていますが、ほとんどの人はこれを当たり前と捉えています。生活そのものが人間の人工物に囲まれているがゆえに忘却しているのです。このとき、自然の大きな力=神であり、これに逆らえる人間などいないのです。人がもし、人間的な感情、例えば幸せでいたい、とか苦しみは嫌だ、とかいう執着を捨てたとき、人間は健康であるべきである、とか孤独は悪いものだという観念を捨てたとき、この言葉は大きな力を持ってきます。そこにある状況を甘んじて受け入れる、そういった体験を人は失ってきました。欲望で身の回りを快適にしすぎたために。そして、多くの試練は人間が自分のうちで作り出したものであるということも、いえるのです。動物は、自然の中に生き死ぬことに理不尽さを感じるでしょうか?人だけが、その自然の営みに、あるいは自分の苦しい運命を受け入れることに文句を言っているのではありませんか?人間としてではなく、生命としてこの言葉を捉えたなら、ほんの少し分かるのかもしれません。 参考までに。
- azd13
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>これから何かを成し遂げようとする人にとっては素敵な言葉なのでしょうけれど これから何かを成し遂げようとする人への言葉なのでしょう。 人は自分の必要なときに必要な言葉を選ぶものです。
まぁ、神を信じる人にとっては『進化論』も間違いなんですから、そのようなことを議論するまでもありません。 『神は乗り越えられる試練しか与えない』なら「乗り越えられない試練を与える」神以上の存在を認めざるを得ないって事でしょう。「都合が悪くなったら俺を引っ張り出すな!」って神様が怒ります!
- peko_1982
- ベストアンサー率23% (266/1142)
私も嫌いです。 だってそんなわけないですもん。 運命という言葉も嫌いです。 人生なんて結果論だと思ってます。 「乗り越えられる試練しか~」といいながら、都合が悪くなると運命だとか前世だとか信心が足りないだとかいいますよね。 神とか宗教とか不完全なものです。突っ込みどころ満載なんです。 でも女の子はスピリチュアルなお話が大好きな人が多く、話したところで賛同は得られないので、乗っかっておきます。自分に都合がいいようにそういうふうに言っていれば腹も立ちますけど。友人に中絶を何度もしておいて「亡くなった赤ちゃん、いつか帰って来てくれるよね!」と言う人がいます。自分で殺しておいて、何をヌケヌケとと思いますが濁します。 でも、今回の震災などではきっと乗り越えられると思いたいです。事実がどうであれ、頑張っている人達の希望の光となるでしょうから。 「乗り越えられる~」はこれから乗り越えられる目標に向かってる人には適していると思いますが、万人に説くような話ではないと思います。 言われたら、そういう考え方の人もいるのね。私は違うと思うけど。と心の中で言います。 価値観が違うことはこれに限らずたくさんあります。 なので、ただの価値観の違いの一つと思うようにしています。
お礼
万人に説けることではない…その通りですね。 >言われたら、そういう考え方の人もいるのね。 >ただの価値観の違いの一つと思うようにしています。 そうですね。考え方・価値観はひとそれぞれですもんね。自分の考えを無理やり押し付けたり、相手の価値観に無理やり引きずられることのないよう気を付けます。 回答ありがとうございました。
- RX-8TypeS
- ベストアンサー率50% (136/272)
こんにちは。 私は、神とか宗教とか好きではないです。理由は、その宗教も多かれ少なかれ、“不幸”を食い物に しているからです。今回の東日本大震災だって、どの宗教も、時が経てば、自身の神や教祖の存在を 正当化する為に利用するでしょう。例えば○○は予言していたとか、○○の教えどおりにしていれば助か ったとか… 世の中の出来事を全て、方程式の様に理論立てて説明など出来ないと思います。 それをしようとしても、質問者様の言われてるよな、 じゃあ、虐待の果てに亡くなった子供は? じゃあ、災害で命を落とした人は? って壁にぶち当たると思います。それでも人は(無理に)解答を求めるから、神とかいう存在に頼る のではないでしょうか? 神ってのにちょっと反応してしまって、話が反れましたが >こういう風に考えたらいいのでは? 私はこう考えてます。 苦境に立たされている人に、『大丈夫!乗り越えられる。ガンバレ!』っと、勇気付ける言葉… 例え、その苦境が末期ガンで乗り越えられないものであったとしても、『後○ヶ月…、別れが悲しい…』 と心では思っても、そんな言葉をかける事なんて出来ないし、なんらか元気付ける言葉を声をかけると 思います。 だからシンプルに、勇気付ける言葉って事で良くないですかね。
お礼
無理に答えを求めている自分に気付かされました。もっと柔軟に考えていきます。 回答ありがとうございました。
- yuki360679
- ベストアンサー率10% (152/1427)
難病に苦む人は、試練に負けたのか? 災害で命を落とした人は、試練に負けたのか? 貴方が勝手にそう決め付けているだけなんじゃないか?
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
一人で乗り越えようとする、急いで乗り越えようとする。それはさすがに無理だけども、沢山の人の協力があり時間をかければ、乗り越えることが可能だと言っているのだと。 結果論的な物だと思います。当事者にとっては無理としか感じられませんが、必死になって、努力して、あがいてみたりして諦めずに進んで、ふと気がつくと乗り越えていた。犠牲は有るだろうけどね。 途中で諦めたりしなければという前提が必要でしょうね。諦めれば当然乗り越えられないから。
こんにちは。 tomo002さんは私の感じる所、 『感受性豊かな、他人思いの方』なのだな…と思いました。 >「神は乗り越えられる試練しか与えない」 この言葉は『何方の言葉かは存じません』が、 『誰かが誰かに』送った言葉であって、 『神』という単語に対する意識が共有(共通の認識が不可欠)されていて、 『通じ合った、通い合った』台詞だと思います。 したがって、『万能』でもなく『真理、真実』でもない…と感じます。 ですから、『嫌悪感』や『思考、嗜好の差』で、 『受け手』の感情や、価値観を刺激する事になるのではないでしょうか? また『神』という語句は、一単語、一表現であって、 その『一文字』で『神の実体、実相』を表現している訳ではありません。 >・こういう風に考えたらいいのでは? 『ひとは何時でも“未知なる可能性”を秘めている。 今までのひとは…、今までの人生は…既知である。 しかし、これから先は“未知”であり、そこは“未知ゆえに”、 既知である過去の価値観や、判断基準は意味を成さない。 未知に向う勇気がやがて“新たな可能性”を気づきとして与えてくれるだろう。 それは、『常識(=現在、過去)』を越えるモノである。』 …旅先より…。それでは。
- kaiyukan
- ベストアンサー率15% (482/3140)
必死で頑張れば何とか乗り越えられそうなレベルの悩み限定の 応援言葉と割り切るしかないかと。 なので治らない病気の子とかには、別の言葉をあげないといけませんね ジュピターの歌詞の、愛を学ぶために孤独があるなら意味のない事など起こりはしない、 も似た感じですね
お礼
「限定のある応援言葉」。 シンプルかつ最もな捉え方です。 回答ありがとうございました。
- driving_trick
- ベストアンサー率34% (16/46)
こんにちは。20の女です。 私もその言葉好きではありません。両親から「神は乗り越えられる試練しか与えない」で済まされないようなことをされたので…(今は絶縁状態。もめることすらしません。) 「ふざけんなよ!神様も両親も幼い頃の私の味方になってくれなかったじゃないか」というのが私の気持ち。 自分が真剣に相談して「神は乗り越えられる試練しか与えない」と相手から返ってきたら、「あ、この人はもっともらしい一般論(?)を言ってるけど、私個人の話を聞こうとしてない」と思いますね。ま、相手は励ましてるつもりなんでしょうが、、、 普段宗教感を持ってないのに都合がいい時だけ神様をもってくるのもなんかいらっとしますね。 ただ、そういう「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言うタイプは性格がいい人が多い気がします。 「神は乗り越えられる試練しか与えない」 というのが苦手なのは、tomo002さん自身何か乗り越えられないような理不尽な体験をしたのではないですか?(的外れだったらごめんなさい。私自身がそうなので…)
お礼
>人は自分の必要なときに必要な言葉を選ぶものです。 確かに…私はまだ必要な言葉を選べてない状態ですが、 苦しんでいる相手にとって必要な言葉をかけれる人でありたいです。 回答ありがとうございました。