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原発事故 二次三次対策
根本として、原子力なんてものは、人間如きが扱いきれるものではないと思っております。 今回の原発事故について思うのですが、電力が確保出来なくて冷却装置が作動しないとか何なんでしょう。 海に近い場所で建設される原発。 何でこういった対策取らないの?という疑問がいくつかあります。 (1)何故小さな水力発電でも作り、非常時にそこから電力供給できるようにしておかないのでしょうか? (2)海外には数十メートルという高さで上がる噴水があります。これと同様の設備を作り、非常時に噴射する事で冷却と放射性物質の拡散を抑える事が出来ないでしょうか? (3)それによって汚染された水が流出するのを防ぐために、専用に排水する設備は出来ないのでしょうか? 設備に費用がかかるのは分かりますが、事故が起こってからの対策費より安く済むだろうし、人命や環境を脅かすことも少なくなる。 それらの対策が万全に出来て初めて、原発だと思いますがどうでしょう? 水じゃなくコンクリートで覆ってしまう方法でも良いです。 何でも対策が後手後手に回ってる様に見受けられるのですが、事前にそういった対策は出来ないのか不思議に思います。 今回の様な災害が起こるのは想定外だったとはいえ、第二第三…いや、それ以上の対応策は検討されていなかったのでしょうか。
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- kenchin
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冷静に聞いていただけそうなのでもう少し。 >水力で電力確保の案は稚拙過ぎますかね…? 「稚拙」って、相手の方が一所懸命に考えられている時に使ってはならない言葉ですから、御提案については「そういう目的(想定)ならもう少し良い方法がありそうですね。」という感じでしょうか。 もちろん、想定が変われば小容量水力が最適の場合もあります。(要するに想定とか条件次第。) 上手く伝えられていない部分を補足。他の方を貶める意図はないのでご容赦を。 他の方が言われた案、例えば「山間に作っていざとなれば水没」ってのも条件次第では良いでしょうね。 でも、そういうリスクのある土地なら、「他の場所に作った方が良いんじゃない?」ってなりません? アメリカの学者の言う事も最もと思います。(私もある種同じ感想) でも、石油ショックが来たらどうしようもない国が、あの当時に原子力以外で頼れるエネルギーがあったのか?って考えたらどうなんでしょ。 今回の東電がイノセントって言ってるわけじゃないですよ。 「その位の事が想定されているなら」対策を取っておくべきだったと思いますし、経産省から「過去の津波を見たら、今の漕艇場のが来るかもしれないよ?」って、去年くらいに言われている節がありますから。 でも、いよいよ石油減少論が公的機関でも出だしたのに、生活様式とか産業構造の変化を考えずに技術に頼るのはどうなんでしょ? 今回のは、今までの枯渇論と違ってIEAが打ち出して英国立機関も肯定しちゃった、相当深刻な予測ですし。 今は自然エネルギーや再生エネルギーも安定して使えるところまで技術が練り込まれたから、国定公園をある程度潰すリスクとか節電って不便を甘受してくれたら電気は賄えそうです。(断言できます。) そうじゃないと原発改良しても石油枯渇で日本は死んじゃうでしょうね。 だって、先進国平均70%に対して原子力込み18%しかエネルギー自給率が無いし、貿易できなけりゃ4~5000万しか養えない国土なんですもの。(生活様式の退化って話じゃなくて人口削減の話) 出来るだけ多くの人に見方を変えてもらいたいな~って思って、先の回答をしたわけっす。 (あ、観念的自然万歳論者じゃないので念のため。) 参考URL貼っておきます。石油カテゴリーの「原子力発電はピークオイルから日本を救えるか?」「ピークオイルから低エネルギー化へ」がお勧めです。 http://ourworld.unu.edu/jp/
- maccha_neko
- ベストアンサー率33% (465/1379)
既にご存知とは思いますが、福島第一というのは日本最初の原子炉でして、基本設計は40年前のものなわけですね。その後にできた原子炉にはいろいろな安全対策がとられているようです。 http://www.patentjp.com/07/U/U100002/DA10072.html の、特許なんかを読むと、既に既知(ってことは実装済み?)な対策が見て取れます。たとえこれらで完璧とはいかないまでも、次の手を打つための時間を稼げれば話はだいぶ違うでしょうね。 http://www.toshiba.co.jp/nuclearenergy/jigyounaiyou/4s.htm にある東芝の4S原子炉(確か、ビルゲイツも出資したんだかって聞きましたが)の場合には今のように燃料棒全体を反応させるのではなく、ちょうど線香のように30年かけて燃料棒の端から少しずつ核反応を進めていくタイプで、燃え尽きるまで燃料棒の交換不要で、いざというときは人間が何もしなくても自然に停止・除熱されるとか。 ナトリウム冷却は果たして大丈夫?とか、まぁ考えるところはありますけど、「何か問題があって動作を継続するための条件のひとつでも満たされなくなったら自然に停止してしまう」というのは正しい方向だと思います。
- iwashi01
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>事故が起きてから慌てるのではなく、無駄に終わってしまうかもしれないけど無いよりは有った方が良いという方向性で全て対策してこれなかったのかなと思って。 事故があったから、こういう考えを表明されてるわけで、 事故前にはあえて声をあげることもなかったわけですよね(私もそうですが) それはそのまま、原発の管理者側にもいえると思うんですよ。 自動車事故で死ぬ確率はゼロじゃないってみんな知ってるけど、車に乗るじゃないですか。 絶対100%安全!なんていっていってたら、どこへもいけない。 影響の度合いが違いすぎるっていえばその通りかもしれないけど。。 >被害を考えると設備投資なんて安いものだと思いますけど…。 被害があったからこその考え方かなあ、と思いました。。 個人的には、想定が実際におこったことよりも低かったのはやむをえない気がします。 前の方が書いておられるように、隕石まで想定するのか?っていうことになったら、もはや何にも作れないと思うんですよ。 それよりも、対応がマズすぎることに幻滅しました。 到着した電源車のプラグが合わなかったとか、 見回り中に非常用ポンプの燃料切れをみのがしたとか、 首相が視察にきたからベントを開けるのが遅れたとか(まあデマかとは思いますが) 非常用電源で動いてる間に、そのあとの対策が二重三重に失敗することも想定して、全力で持てる力を結集したのかなあ・・ そこがどうにも、まだ真相はわからないですが、全力で対応する体制を作ってほしいとは思います。
- y0OilIo1lm
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具体的な方法論はともかくとしまして、 「設備に費用がかかるのは分かりますが、事故が起こってからの対策費より安く済むだろうし、人命や環境を脅かすことも少なくなる。」 この部分、まったく同感です。 昔アメリカの原子力関係の学者でしょうか、詳細は分かりませんが、『アメリカのような広い国ですら原発事故が起こったときに大変なことになるのに、日本のような狭い国で、もし事故が起こればどこに逃げるのでしょう?』と言った人がいたらしいです。 原発がコントロール出来なくなった時の恐ろしさを考えればコストなどとは言っておれないはずです。立地条件を満たす土地は非常に限られるでしょうが、流量の多い川の流れている山間部の地下に原子炉を作り、最悪の場合は水没させるような方法があります。これは海岸部の高台にもあてはまります。その場合は海水を引き込めるようなごくシンプルなシステムを用意しておきます。要するに最後手段はまさにシンプル イズ ベストで用意しておくべきだと思います。 今回も世界的に原子力政策を見直す動きが表面化してきました。原子力の利用に際しての事故が、人類の歴史を変える可能性があるほど大きな問題であることを考えれば常に最悪の場合まで考えておく必要があります。 もっとも確実な方法は『ウランちゃん、さようなら、地下深くで昔のようにおとなしく眠っていてね』なのですがそうはいかないでしょう。日本で言えば明治時代やさらには江戸時代の生活、西洋で言えば中世時代の生活、個人的にはそのような生活が人間としてのもっとも幸福な生活だとは思いますが、ほとんどすべての人がそれは嫌だというはずです。 今回も一時的かつ世界的に原子力利用の見直し運動が広がっています。しかし何年か経てばもう忘れ去られていくのが目に見えています。危惧を抱いてもどうにもならないのでしょうね。
- kenchin
- ベストアンサー率56% (398/700)
No1さんが良い答えをしてもらえていると思うので、もう少し離れた所から見ていただけると問題が解ると思うんです。 御質問者様の(1)~(3)の質問って、全て「こういう技術面の対策を何故採らないの?」って事ですよね。 でも良く考えてください。 技術面の対策って、全て「どこに想定を置くか?」ってことですよね? その想定(発生確率と絶対量)をどこに置くのか?が今回問われている訳ですよね。 結局技術ってのは「想定外」ってアキレス腱を永遠に抱えるんです。 ですから「前もって想定して対策できなかったのかと思うわけです。」というのも、想定外なら対策の「打ちようがない。」となります。 好例が隕石の問題。「隕石が落ちる事を考えるべきなのか否か。」 これは「隕石が落ちたら世界が破滅するんだから同じ」って感覚的切り捨ても可能ですけど。 「某政党の議員がブラックアウト(電源喪失事故)の危険性を言っていたじゃないか?」という議論もありますが、それも今回の事象とはちょっと違うだろうし。 ですから、「想定の限界という”原則論”」を考えた場合、「質問文の冒頭に書いた様に人間如きが扱える代物じゃない」ということは正解でもあります。 原子力の安全性について、この部分など「安全の原理と決定の過程」を説明せず、結論だけを説明した姿勢は反省すべき点だとは思います。 ただし、「だから導入しない」ってことは別の問題。 世界の趨勢を見ても解るように、1960年代以降国内電力の急増とエネルギー安保を考えた世界各国が、軒並み揃えて(石油資源を十分持つアメリカでさえ)原子力に流れた所を見ても納得出来るでしょう。 まして、経済開発協力機構(OECD)加盟国のエネルギー自給率は平均70%であるの、一次エネルギー自給率は原子力発電を含め18%、一次エネルギーの44%は石油に頼っている。さらに石油の90%以上を不安定な中東諸国から輸入している、しかも国内に輸出出来る資源は無い、活用できる資源は人しかないって日本では。 1950年代に現在のような多種の技術があって、経済発展の必要性が無いか石油資源の安定性が確実であり....なら原子力も回避できたと思います。 上から目線でもなく、「諦めムード」を提示すると云う訳でもなく、皮相的な自然万歳を唱えるわけでもないです。 強硬なニーズが技術に負担を掛けると、どうしても想定ってネックが大きくなってくるってことです。 あと、蛇足ですが。 原発も問題ですが、海没した核兵器だとか原潜の原子炉も問題となるでしょう。
お礼
ご回答有難う御座います。 隕石などの場合はある意味 不可抗力ですから納得できるんですけど、こうして人造的に原発を作ってるんだから、最悪の事態まで想定して造るのが、在るべき姿勢じゃないかと思ったのですが違いますかね^^; テレビでもよく「その想定さえも遥かに上回る未曾有の大震災だった」なんて耳にしますけど、極論を言うと粉々に破壊されてしまった時の事まで想定して運営する必要があるように思うのですが… No.4様の御礼で書かせて頂こうと思ったのですが、 今回のように電力供給が出来ない為に冷却できないとか、外部に放射線物質が拡散してから対応策を試みるとか、言ってみれば初歩的なもんだと思うんです。 自転車で例えるなら、パンクした、チェーンが外れた、どうしよう。 車で例えるならオーバーヒートした、ガス欠になった、どうしよう。 この様に簡単に想定できる、基本ともいえる範囲内の出来事ではないかと思うんですよ。 それは地震の規模に関する想定ではなくて、あくまでも原発自体に想定事項は無いのでしょうか? 環境のによるトラブルの想定ではなく、原発自体が最悪このような事態になった時の想定とでも言った方が分かり易いでしょうか。 それがあって初めて、今回の様な大震災の想定に移れると思うんですけどね。 事故後ののらりくらり二転三転する対応にしてもそうですけど、素人目で見た限りでもあまりに対策・対応が取られてない様に感じます…。 水力で電力確保の案は稚拙過ぎますかね…?
- trajaa
- ベストアンサー率22% (2662/11921)
>小さな水力発電 じゃ、容量に限度があるんでは? ディーゼル発電機なら燃料補充すれば長時間運転も可能だしメンテナンスもずっと楽。 水をためるダムから水を流す経路など考えたら広大な敷地が必要になるし、海岸沿いで高低差の無い場所では、発電できるような貯水池をどこに作るのか? どっか遠くからパイプラインで水を引いてくるのなら、地震でパイプラインが壊れたら一巻の終わり。 >噴水があります そもそも冷却系として備わっている。 電力とポンプが稼働しないので、どんなに強力で有っても同じ >専用に排水する設備 冷却水は本来建屋外に漏れ出る事が想定されていないので、そこまで備えられていない。 >水じゃなくコンクリートで覆ってしまう 水よりコンクリート案というのはさんざん質問されて、その都度否定されています。 今の段階ではそもそもそんな工事など出来ないし、冷却して燃料が安定しなければ何で覆っても意味が無い。
お礼
ご回答有難う御座います。 発電装置の呼称が分からないので少々誤解を生んでしまった様です、すみません。 ここでいう水力発電とは、海底で潮(波)の流れを利用して発電するシステムの事です。 どこかの国では実用化されてたと思います。 これなら潮(波)の力でいつでも半永久的に電力を供給できる為、停電で冷却装置が作動しないという事がなくなるんじゃないかと。 ただ、津波がこの装置にどの様な影響を及ぼすかは専門家じゃないので分かりません。 大きさについても原発にトラブルがあった時の為であるので、各システムを作動させることが出来るだけの(小規模な)もので良いのかなと思いました。 噴水はそもそも冷却用として備わっているとは知りませんでした。 あくまでも素人の発想ですのでご容赦下さい。 でも結局はヘリや陸上から人力を使って放水しているのを見ると、機能してないのでは? また、建屋内部の事ではなく、今回の様な爆破が起きた時を想定しての物で、これを前述の水力発電で放水できるようにすれば、対応の遅れや人的被害も極力避ける事が出来たのではないかと。 内部の冷却装置は勿論の事、二次被害を想定して外部からも噴水出来るようにしておけば、ヘリなどで散水せずとも済んだと思うし、放射能の拡散を防ぐ意味でも有効だったのかなと。 結局は現在慌てて人力で行われていることを、前もって想定して対策できなかったのかと思うわけです。 原発といっても今まで気にもしなかったし、今回の事で多少意識が向いた程度ですが、これぐらい想定してなきゃ何を持って安全と謳ってるのか疑問なのです。 原発の職員が肩肘ついて他人事のように記者会見しているのを見ているので(別件で質問済)、余計にでも疑問に思うわけです。 >>冷却水は本来建屋外に漏れ出る事が想定されていないので… これについても他国の原発事故の教訓があるわけですから、想定すべきでは?? いくら古い(40年?)原発だとしても、本体に手を加えるわけではないので後の設備工事はいくらでもできたはず。 提案した設備だけでは素人考えなので不十分かもしれませんが、でも最悪そこまで“想定”した上での原発じゃないと、質問文の冒頭に書いた様に人間如きが扱える代物じゃないのではないでしょうか? それを今になって想定外だったと言って慌てふためいているのが素人目に見た感想ではありますが、少し準備不足に感じました。 今となって言っても遅いんですけどね、でも唯一の被爆国日本が、それさえも想定できずに原発なんて扱っているんですか? 安全を謳って?? おかしくないですか? どんな皮肉なんですか。 >>>水じゃなくコンクリートで覆ってしまう の件は、確かにまず冷却ありきの話で、コンクリート云々の段階ではないんでしょうね、すみません。 でも結果として前述の発電・冷却の話とリンクしてきますよね。 地震の影響で電力が供給できないという、初歩的ともいえそうな原因で冷却がままならないと考えた時、何でもっと二手三手…いや、更に先の事を想定できなかったんだろうと素人ながらに思ったわけです。 事故が起きてから慌てるのではなく、無駄に終わってしまうかもしれないけど無いよりは有った方が良いという方向性で全て対策してこれなかったのかなと思って。 設備が増すと予算の問題や住民の不安を煽る結果になるかもしれないけど、それがクリア出来て初めて原発の導入とならなきゃマズくないですか? (提案したシステム以外でも良策があればそれでも良いです) いくら後で国や電力会社を相手取っても、失ったものは返ってきません。 被害を考えると設備投資なんて安いものだと思いますけど…。 因みに私は被爆地広島で生まれ育ってきました。 両親は被ばく2世、その上の代は被ばく者です。 原子力ってそもそも人間が扱うべきものじゃないのでは…そう漠然と考えています。 いろんな事情や影響があるのも分かるのですが…
お礼
ご回答有難う御座います。 正に言いたいのはその部分です。 代弁して頂いた様な気持ちですね。 事後対応を見ていると、本体に対していくら何重にも対策が施されているとはいえ、最終的な対策が破られた時の想定が出来てない様に思うのです。 原子炉が建屋にはそれなりの対策が施されている。 しかし放射線物質が万が一拡散した時の対策って取られてるのかなと思いまして。 自衛隊や東電・下請けが身を盾にして命懸けで頑張っているのは分かります。 でも身を盾にしなくて済む方法があったのではないか。 それが素人考えですが前述の水力発電による電力確保、水を噴水する事による拡散防止、その最後の始末としての排水設備であるのです。 考えればもっと実用的な案も出てくるでしょうが、素人の私がそこまで想定できるのに何たる無力さなのかと。 で、命を懸けてやっている時点で、人間の扱える域じゃないといいますか…。 最悪の事態になった時、結局は指をくわえて見ているだけしか出来ない様な気がして。 そんな物を本当に造って良いのか…もう神の域じゃないと扱えない代物ではないか…そう思うのです。 本当コスト云々の問題ではないと思いますね。 それもクリア出来ないなら、作って管理できる体制以前の問題といいますか…。 国家レベル、いや世界規模の大問題からね。 自然保護団体には属していませんが、こういった成長期における身勝手さが地球上ならず地球そのものを蝕み、冒涜している気がしてなりません。 自分もその恩恵は充分に受けていて発言できる立場ではないんですけどね、最終的にはそういった方向性にまで及ぶ話だと思うんです。 やはり人間は地球という母体に寄生する存在であり、そこに共生の文字は無いのかなと。