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相手を許すこと
- 恨みや憎しみが湧いてくる日もあるが、私は彼らや学校側を許すことに決めた。
- 相手や学校側を憎んだり恨んだりすることでは何も解決しないし、辛いだけだ。
- 彼らに対して思いやりを持ち、自分自身を変えるきっかけにするために相手を許すことに意味があると信じている。
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あなたの生き甲斐ともなる思いが学校や生徒たちには伝わっていなかったのでしょう あなたが母校の卓球を思う気持ちだけが空回りしてついていけない人がいたんだと思います 生き甲斐としていたものを失う辛さは私も経験してるのでよくわかります でも振り返っても仕方ないですよね もしまだあなたにコーチとしての未練があるのなら別ですけど もしまだコーチをやりたいとしたら今のあなたの卓球への思いを学校側に伝えもう一度 とは考えられますが これは裏切りとか許す許さないじゃなく あなたの思いが伝わっていなかっただけだと思います そう考えれば気が楽になりませんか
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>相手を許す=自分を許す、自分自身を変えるきっかけになると信じています。 そういう考えはおかしいことでしょうか?皆さんの意見をお願いします。 理解できません。 貴方の質問、いくつか見ました。 知恵袋のも。 全体的にみて、貴方、オカシイです。 貴方というコーチがストーカーになって生徒を苦しめたのに、あなたが被害者ですか? 質問文をみても貴方、自分がしたことを全然反省できてない。 こういったネットで質問するのも関係者がみればすぐわかる。 まして、あの卓球部になにがおきたのか?とまで他人にきく。 自分が一番わかるでしょう。 相手が貴方に許しを請うことがあるのでしょうか? 若い子がコーチだとおもった信頼できる相手から、死ぬだのなんだの言われ実際実行され彼女が怯えないとおもいますか? 彼女こそ心に傷を負ったのです。 向こうが貴方というコーチの起した罪を許すことで自分自身を変えるきっかけになることをつかむというのならわかりますが、今、貴方にできることはこれ以上ネットでもこういう質問をしないことです。 地名、学校名、をあげてさらにその卓球部を困らせているのは貴方ですよ。 何もしないで、静かになるまで耐えることです。 貴方は精神が不安定です。 人に必要以上に関わる、感化される。 そしてコントロールがきかなくなる。 もういい加減、自分の大人としての世界観を持たないと誰も相手にしなくなります。 10年やってきた世界を切るのはつらいとはおもう。 しかし、相手も傷ついていることを考えたらネットでこんな質問はできないといわざるを得ない。 人格否定というより貴方は正真正銘の精神病です。 だから罪にならない・その程度の問題です。 病院にかかり怒りの矛先や、その昇華について教えをこうべきです。 ですが、自分に都合よく、物事を受け取るのはいかがなものでしょうか?
お礼
私は男で、相手も男です。本当は彼のことが好きで、その彼に嫌われるのが嫌でした。本当のことは親にも友人たちにも学校側にも言えませんでした。言ってしまえば二度とコーチとしても友人としても誰も相手をしてくれなくなるだろうと。だからと言って私の行動は社会的にも人としても許されないと思います。 警察沙汰にまで発展しましたが、心の中では私自身、自分の暴走を止めたかったのだと思います。その結果相手との関係が修復不可能になって自分自身傷つくことになったとしても。 私は発達障害だそうです。そんな人間が学生に何かを教えること自体間違いだったです。 私がコーチとしてOBとして来ていましたが、部員は誰も感謝もしていなかったのだと思います。存在自体ウザイのだと思います。
補足
そうですね。こんな精神障害者は生きていてもおかしいですね。
- bekky1
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#1です。 【部員を駒と思ったことはありません。】 当然です、しかし、彼らの存在に10年しがみついたとあなたは書いた。 あなたが楽しいからでしょう? 彼らが楽しいからではなく、自分が楽しい励みになるから、楽しいだろうと思ったに過ぎないでしょう? 【あなたに何が分かるのですか?】 あなたの書いたことが私の知ることのすべてです。 あなたにとって、都合のいいことを、都合のいいように、そして、自殺未遂を何度も繰り返すと書くことで 高校生を追い込むことはないと? '相手を許す'ことで'自分を許す'ことにつながるとは書くが、なすことは自分がいないほうがと自殺未遂ですか? 【あなたの言い方は単に私の人格を否定してとしか聞こえません。】 人格ではなく、あなたの「コーチング」を否定しているのです。 スポーツのコーチとして存在したかったし、そうであるべき10年のはずだから。 「コーチの仕事をしていない」と指摘されているではないですか? するべきは、食事をおごることや、目をかける(ヒイキ?)ではなく、正しく、スポーツそのものの指導ではないですか? それだけをいっているに過ぎません。 人格否定ととるのは、あなたが人格勝負しかしてないからです。 「コーチング」で勝負してください。 「『もしもウサギにコーチがいたら「視点」を変える53の方法』という本がお勧めです。 ふざけたネーミングですが、それなりに面白いです。 まずは、ウサギの立場からものを見るということですから。 相手はかめに負けたウサギです。 そして、変えるためには視点が53もあるということです。 コーチするなら、いろいろと模索することも必要でしょう? 「コーチ」であるなら、「コーチング」の内容で語るのは当然です。 人格は否定してません・・・というより、人格なんかどうだっていいのです。 コーチとしてあるべき、10年としてのあれこれをあなたが書いたからです。
補足
少し冷静になりましたので、回答させていただきます。 本来はコーチとしてではなく、いちOBとして部活に参加させてもらっていました。地元にいて現役で卓球を続けていたので、その流れでコーチになった形です。 私の母校の部活はOBと部員との仲がよく、OBも時々来て後輩と練習しています。和気藹々としていた部活です。 私はコーチとしても人としても失格だと思います。ただの卓球好きなOBとして頑張っている後輩たちの力になりたかった。仲良くなりたかった。ただそれだけでした。 コーチなんかならなければ良かった・・・
- bekky1
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'皆さん'の一人だと思ってください。 特に、スポーツは、指導者(たとえボランティアでも)のありようでかなり、違ってきます。 あなたは、卓球、私はバレーボール、娘は水泳と種目は違いますが、「コーチ」と呼ばれる人の 「人生」そのものにされると、「選手」はとても悲惨です。 それは、目をかけてもらっても、もらえなくても、どちらにしてもです。 だから、ここを間違えてます、最初からあなたは。 【相手を許す=自分を許す、自分自身を変えるきっかけになると信じています。そういう考えはおかしいことでしょうか?皆さんの意見をお願いします】 相手を許すとか、自分を許すとかでなく、あなたのありようとしてのスポーツのあり方しか、認めなかったという一点において 反省をしたでしょうか? 相手は、生きている人間です、あなたのコマではないです。 プロスポーツのように、指導陣ガ、選手に勝つことを要求するそれが「仕事」であると双方が認識しているわけではない。 タダ、スポーツをする。 それだけのために、双方の思惑がそもそも違うのです。 だから、あなたが一生懸命には、それはあなた自身のためであり、誰のためでもない。 だから、許すとするなら、相手があなたを許すことがあれば、それに相当しますが、 どうもそうではないようですね? 【彼らと一緒に卓球がしたいという一心から、彼らが頑張るようにご飯をおごったり、練習試合を段取りしたりしていました。自分の母校であり、たくさんの思い出がある部活の後輩の為に卓球の楽しさ、思い出を作ってほしいという気持ちで仲良くしようと接していたつもりですが、裏切られて、見捨てられてしまいました。】 あなたがやりたいからやったことであり、 やってほしくてやったことと勘違いから始まってます。 【学生から「ウザイ」「コーチの仕事をしていない」「来ると雰囲気が悪くなる」「死んでほしい」と言われました。】 コーチというものをどのように位置づけるかですが、第一義としては「技術指導」そのものではないですか? それができないで、ただ、熱心さで・・・というのは、いかがなものでしょう? 食事をおごることはすなわち、懐柔策のひとつではないでしょうか? 【その学生達は熱心に練習していて、目を掛けていたのですが、そういう事を言われたのが非常にショックで裏切られた気分でした。】 (死んでほしい)は言い過ぎとしても、目をかけるというのはあなたの勝手です。 【言う学生がおかしいのか、言われる私の人間性が悪いのでしょうか? 私は10年コーチを続けていましたが、いつの間にか自分の生きがいになっていました。だからその場所を失いたくありませんでした。でも何もできず待つことが不安で、私はどうすればいいのか分かりませんでした。行き場の無い思いが問題行動になってしまいました。そしてそんな自分が嫌で、私がいなければ彼らも学校側も喜ぶと思い、自殺未遂を何度もしてしまいました。】 あなたの要望どおりにならないからといって、好きなスポーツを好きなようにできないうえに 「行き場のない問題行動」を起こした後の自殺未遂ですよね? 自殺未遂をされたほうにすれば、もう、勝手にしろという気分になったとしてもいたし方ないでしょう。→死んでくれ?デスカ。 10年コーチをして、技術指導はしましたか? 試合の展開など戦略指導はできましたか? そもそも、人間性を指導するのが「コーチ」だと勘違いしてませんか? 先輩なら、必ず従うものだと、仲良しクラブであるべきとのあり方ではなかったですか? スポーツ方面での向上を目指すのが本位。 そのために、役立つ自分であったかどうかを「コーチ」としてあるべき存在として見直すのが先でしょう。 学校が、生徒が、後輩があなたに何をしたかではなく、彼らは、スポーツをする存在として あなたにかかわってきたのです。 あなたは、スポーツの技術、体力、気力としてスキルアップに役立つ人材でした? それだけのことです。
補足
部員を駒と思ったことはありません。あなたに何が分かるのですか? あなたの言い方は単に私の人格を否定してとしか聞こえません。
お礼
私が現役のときは、部員みんながやる気があって、勉強そっちのけで一生懸命やっていました。私も当時は嫌々練習していた部分もありましたが、今は大切な思い出になっています。その思い出のまま、今の学生たちに同じことを求めて押し付けていたのだと思います。もう少し練習内容について部員と話し合いができれば良かったですね。それだけが心残りです。今回の経験は悲しいですが、次への糧にしたいと思います。ありがとうございました。