京都府宇治市の小学校は、なぜ宇治と兎道が逆になっているのか
現在の宇治市は、色々と辻褄の合わない地名になっております。自分なりに調べているのですが、良くわかりません。
おおむね宇治川が旧郡の境界となっており、京阪沿線の東宇治地域が旧宇治郡、近鉄沿線の西宇治地域が旧久世郡、但し宇治橋周辺のみ旧久世郡が川向かいまで出っ張っております。
兎道稚郎子皇子の名前にもなっている「兎道」(地名は、とどう)は、旧宇治郡兎道村→合併し旧東宇治町。一方、宇治橋周辺と縣神社や平等院のある宇治市中心地は、旧久世郡宇治町・宇治郷→統合し宇治町。つまり、旧宇治郡には「宇治」の地名はなく、中心地「宇治市宇治」は旧久世郡にあったという不思議さです。
さて、本題ですが、兎道稚郎子皇子の朝日山伝承墓は宇治紅斉=旧久世郡の出っ張り部分にあり、また兎道小学校は宇治塔ノ川、兎道第二小学校は宇治琵琶にあり、いづれも兎道ではなく宇治=旧久世郡のエリアにあり、兎道の名に拘ると辻褄が合いません。逆に宇治小学校は五ケ庄三番割にあり、宇治=旧久世郡ではない旧宇治郡エリアです。ちなみに宇治中学校は宇治矢落にあり、地名と一致しています。
宇治郡兎道と久世郡宇治でただでさえ不思議なのに、なぜ小学校の名前まで地名と逆転しているのでしょうか。