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人間関係での困難を乗り越えるために
- 人間関係での悩みや困難を乗り越える方法について考えています。私は過去の出来事から自分自身に対して強い憎悪を感じており、その感情が私の行動を歪め、他の人を傷つけることもあります。しかし、過去の出来事にけじめをつけることは難しいと感じています。皆様のご意見をお聞かせいただき、どのようにしてこれらの問題に向き合えば良いのかアドバイスをいただければ幸いです。
- 過去の出来事が私の人間関係に影響を与えていることに困っています。過去の出来事から自己嫌悪を抱き、他の人に対しても嫌悪感を持ってしまっています。しかし、過去の出来事に対して謝罪やけじめをつけることは難しいと感じています。皆様のご意見をいただき、この問題を解決するためのアドバイスをいただければと思います。
- 私は過去の出来事から自己嫌悪や他人への嫌悪感を抱いています。しかし、過去の出来事に対して謝罪やけじめをつけることは難しいと感じています。皆様のご意見をいただき、過去の出来事と向き合い、自己受容や人間関係の改善をするための方法を教えていただければ幸いです。
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質問者が選んだベストアンサー
過ぎ去ったすべての事を ゆるす事です。 形はどうあれ、一生懸命に育ててくれたおばちゃんの事 質問者さんを産んで(この世に送り出して)くれたおかあさんの事 そして、一番憎んでいる自分自身の事 けじめをつける 質問者さんが一人でそう思っているだけです。 周りの誰も、今、謝ってくれとは言っていません。 今までの自分のすべてを、本当にゆるす事ができた時、その呪縛から解放されるのです。 あなたは、もう充分に傷付きました。 これからは、顔を上げて、明るい方を向いて、笑顔になりましょう。 そして、側に居てくれる人を大切にしましょう。 何よりも、今日まで生きてきた自分を、良く頑張った!!と認めてあげましょう。 素直な自分になりましょう。 過去は変えられません。過ぎ去った事は、もう良いではないですか?? 自分をゆるしてあげましょう。そして、未来を変えてゆきましょう。そうする事で、きっと、「あの経験」は自分にとって必要なできごとだったのだと、思える日がくるでしょう。 未来を変える事で過去も輝く これ、どこかで 聞いた事あるよ。
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- カルキノス(@Karkinos)
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>♯4です。 >不快にさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。 謝らないでください。別に不快な思いなんてしてませんから。 あなたのおかげで、僕も考えがまとまりました。 どうやら「荷物」の意味が、僕とあなたでは違うみたいですね。 僕にとって「荷物」は、「背負うべき過去」で「今まで生きてきた人生」だと思うので。 だから、あなたの「嘘」は荷物ではなく、手枷足枷だと思うんです。 僕は、あなたの荷物は「嘘をついてきた過去」で「無力だった自分」だと思います。 手枷足枷も、荷物も。前へ進む邪魔になるのは同じです。 でも、人生っていう長い旅を続けるには荷物が必要。 僕は「過去を切り捨てる」ことが「乗り越える」ことだとは思っていません。 忘れたい過去はあります。忘れたほうが楽になれることも分かっています。 だけど、忘れるつもりはありません。捨てるつもりはありません。 だってそれは、 辛い目に遭ったのが無駄になるってことでしょう? 苦しんだことが無意味になるってことでしょう? だから辛い過去でも忘れない。重たい荷物でも捨てない。 過去を切り捨ててまで前に進むくらいなら、一生立ち止まったままでいい。 乗り越えるって、きっと、辛いことを忘れずに抱えたままで、笑えるようになることだと思うから。 でも、前に進むって決めたから。 だから、 「重すぎて動けないほどの荷物を背負ったまま、それでも前へ進む」。 僕は僕が嫌いだ。これはたぶん、一生変わらない。 「生まれてきてごめんなさい」 だから何? 「だから生き続けます」 罪は消えない。過去は無くならない。 誰が赦しても、決して僕は僕を赦してはいけない。一生その罪を背負い続けなきゃいけない。 辛くて当然。でも、前に進んでやる。 苦しくて当然。でも、闘い続ける。 嫌われて当然。でも、幸せになってやる。 呪いの苦痛だって生きる糧にしてやる。 失敗してもいい。後悔してもいい。裏切られてもいい。騙されてもいい。 それでもこの道を進んでやる。 誰に負けてもいい。昨日の自分にだって負けていい。 だけど「一瞬一瞬の弱い自分」には絶対負けてなんかやらない。 結果、間違いだったと後悔することになっても、 「少なくともその時はその選択が正しいと思って選んだんだ」って、胸を張ってやる。 ……これが僕の答えです。
お礼
度々の御投稿、本当にありがとうございます。 こう申し上げてはナニなのですが、 本当にKarkinos様と私はよく似ています。 これでもか、という程よく似ています。 もしお会いするような機会があるならば、 是非一杯やりながら人生について 語り合いをさせて頂きたいものです。 改めて御礼申し上げます。 ありがとうございました。
この場で私の補足なりお礼なりに 少年時代の友達に向かって謝罪をしてけじめをつけたら如何ですか 自分へのけじめなのだから そして呪いを解くことです もう呪いがない分 今度は自力で今の自分を好きにならなければならない 自分を好きになれてこそ 人もあなたを好きになるのですよ これが今までの自分にけじめをつけることになりませんか そして呪いが解けた今新たな出発となって 1から始められる気がします
お礼
御回答ありがとうございます。 形は当初想定していたものとはやや異なるものになりましたが、 どうやらきちんとケジメがつけられたようです。 幼いころの、自分の責によらない事柄に罪悪感を抱いていました。 なんだか、最初から心のどこかで引っかかってはいたのです。 「自分が謝るべきなのか?」と。 人の心とは、不思議なものですね。 どこで聞いたかは失念しましたが、 「不愉快なニュースを見ていたところ、後ろで男性がぽつりと呟いた。 ”みんな私が悪いんです”」 という説話がありました。うろおぼえですが。 本人、それでも本気なのですよね。 どこをどうしたら、そういう結論が導き出されるのか。 人の心とは、本当に不思議なものですね。 改めて、御礼いたします。 御回答ありがとうございました。とても助かりました。
- カルキノス(@Karkinos)
- ベストアンサー率30% (146/486)
>♯4です。 なんか誤解されているようなので。 僕は前に進むために「自分を呪って生きる」生き方を望んで選んだんです。 例えるなら、 「重力100倍の状態で前に進む」というけじめのつけ方を選んだワケです。 ……バカみたいですけど、これが僕が進める唯一の道だと思ったので。 過去を切り捨ててまで前に進むくらいなら、一生立ち止まったままでいい。 でも、前に進みたい。 だから。 「重すぎて動けないほどの荷物を背負ったまま、それでも前へ進む」ことにしたんです。
お礼
度々の御回答恐縮です。 改めて自分の御礼を読み返し、かなり失礼な文章になっていたとようやく気付きました。 不快にさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。 >「重すぎて動けないほどの荷物を背負ったまま、それでも前へ進む」ことにしたんです。 御回答者様の覚悟に敬意を表します。 私の背負った荷物は「嘘」でした。 嘘なのに大重量で、そのくせ中身は空っぽで。 ただ重いだけの空虚。 それが私の一生背負っていこうと覚悟した荷物の正体でした。 石にかじりついてもやり遂げる。 石を食べることが目的なら、砕いて粉にしてから飲めばいい。 石の上にも三年。 石を温めるのが目的なら、石の下で火をたけばいい。 重荷を背負っても、前へ進む。 前へ進むのが目的なら、捨てられる荷物は捨てる。 私は前に進もうと思います。 だから、役立たずの空虚な重荷はもう捨てます。 本当に恐縮なのですが、御回答者様を見ていると、 どうにも数年前の自分を見ているように思えて仕方がないです。 今回は度々の御回答、本当にありがとうございました。 もし機会があれば、また相談に乗ってください。
今日、この投稿をされたのには 何か理由があられますか? それぞれの人が様々な悩みを抱えて生きています。 自分ほどではない、、と思うときも 自分以上の悩みを抱えている人もいるものです。 本当に悪かったと思うのなら 今ここで謝ってみられてはどうでしょう? 心の中でも口にだしてもいい。。 あの時はごめんって心底言ってみてください。 真剣な思いは相手に届きます。 たとえ目の前にいなくても、誰だかわからなくてもです。 それを馬鹿馬鹿しいと思うなら 本当に悪かったとは思えていないかもしれないですね。 無かったことにしたはずなのに 無くなっていないから苦しんでおられるんでしょう。。。 ではあったことにしましょうよ。 濡れ衣をきせた、いじめられた、持て余されていた。 その苦痛に耐えられない。。自分が許せない。。。 そう思っているとそうなります。 そのときは小学生です。当たり前です。 今は30代です。昔より耐性も育っています。 主様は自分で答えをだして生きてこられましたか? 人に強いられて自分を抑えてきませんでしたか? 人はある日爆発することがありますね。 それは自分をおさえ込んでしまっているからですよね。 ですが、一気に解決しようと思っても無理な話しです。 何年そうやって生きてきましたか? シミを消すにはシミができた倍の時間がかかるそうです。 だから焦らないでくださいね。 自分でかけた呪いなら自分でとかないと誰もといてはくれません。 呪いをとく方法は呪いの言葉を替えればいいだけです。 自分が辛いとき本当は人に言ってほしかった言葉に。。 主様はそんなに弱くはありません。 その苦しみに30年近く耐えてこられたのですから。 苦しみを知る人間は人にも優しくなれます。 どうか自暴自棄になられず 人の声に耳を傾けてみてください。
お礼
御回答ありがとうございます。 皆様の御回答のお陰で、ようやく分かりました。 「私は自分自身が憎い」 これは嘘でした。 あの時、私には祖母の暴走を止めることができなかったのです。 今後、学校で生きていくことが難しくなるだろうことを十分認識していながら、 止めることが出来なかったのです。 「自分の人生に係る重要事項を、自分の意志で決められない」 その現実を受け止めきれず、 これは自分の責任で招いた結果だと、 自分に嘘をついたのです。 その嘘により「自分が憎い」と思うようになって。 「自分が憎いのではなく、他人が憎いのだ」とさらに嘘を重ねて。 「他人が憎いのではなく、他人が憎むのだ」とねじ曲げて。 「そもそも憎しみなんか、はじめから無い」と誤魔化して。 やがて何が本当で何が嘘すらも分からなくなって。 でもそうやって生きていくしかありませんでした。 「自分の人生に係る重要事項を、自分の意志で決められない」 この現実は、私にはやや重すぎました。 今、私は私の人生を自分で決められます。 脅威はもはや過去のものとなり、恐怖が残るだけとなりました。 脅威の無い恐怖など、恐れるに足りません。 >自分が辛いとき本当は人に言ってほしかった言葉 どんな言葉だろうかと、少し考えてみました。 残念ながら、思いつかなかったです。 自分に無限の責任を負える今、もはや慰めの言葉は必要ないのかもしれませんね。 お蔭様で自分の心の問題がだいぶん片付いてきたようです。 本当に助かりました。 有難うございました。
- カルキノス(@Karkinos)
- ベストアンサー率30% (146/486)
あなたは、僕と少し似ていますね。 「自分を呪いながら生きる」って生き方が。 ただ、違うのは、僕はその生き方を「自分で望んで受け入れた」ってことでしょうか。 僕は僕が嫌いで、いつも死んで楽になりたいって思っていて。 でも、僕は僕が嫌いだから、死んで楽になんかさせてやるかって、そうやって生きている。 罪は消えない。過去は無くならない。 誰が赦しても、決して自分は自分を赦してはいけない。一生その罪を背負い続けなきゃいけない。 辛くて当然。 苦しくて当然。 嫌われて当然。 これは僕が僕に科した罰です。 僕はそういうけじめのつけ方をしました。 もし、僕が僕を嫌いな理由が気になったら、回答履歴でも参照してください。 僕の過去とか生き方とか考え方とか全部書いてもいいんですけど、確実に2000字じゃ足りませんから。
お礼
御回答ありがとうございます。 確かに、Karkinos様と私は似ていますね。 私も全く同じ発想で生きてきた時期がありました。 でも、それでは先に何も無いのですよね。 「生まれてきてごめんなさい」 だから何? それで私は何がしたい? それで君は何を得る? 無意味に苦しいだけでアウトプットがゼロ。 あまりに不毛なので、私はその生き方をやめ、前に進んでみようと思ったのです。 正直、前に進むことがこんなに苦しいものとは思わなかったです。 前に進むには、自分の人格を疑う必要があって・・。 自分に騙されていると分かった時は、親に騙されていると理解したときよりキツかったです。 私が自分の人格を疑いだしたのは、もともとは「彼女ができない」でした。 彼女ができない。 なぜか。 なぜなら、他人に嫌われる性格だから。 それはなぜか。 なぜなら、他人が嫌いだから。 それはなぜか。 なぜなら、自分が嫌いだから。 それはなぜか。 過去に忘れていたこんな事柄があって、それをずっと引きずってきたから。 自分の心のかさぶたをはがしてみたら、ウミが出るわ出るわ・・・。 よくもまあこんなに大量にためこんだ、と思うくらいで、この問題もそのウミのひとつです。 心のウミって、傷跡をかきむしってはじめて出てくるものなのですね。 すみません、脱線しました。 そのような訳で、前に進めないけじめの付け方は、申し訳ないのですが今の私には使えないです。 それでも、親身になっていただけたお陰で、私も考えをまとめることができました。 深く感謝致します。
- sunsowl
- ベストアンサー率22% (1025/4491)
私もいじめたりいじめられたりという経験をしましたが、その後、仕事でもっと辛いことがたくさんあり、トラウマが払拭されました。 質問者の日常は、多分暇で平凡すぎるんですよ。様々な経験や人との付き合いを通して、古い経験を捨てることができると思います。
お礼
>質問者の日常は、多分暇で平凡すぎるんですよ。 このお言葉には正直カチンと来ました。 反論したくてたまらないところです。 ただ、このように感じるということは、実際に 私の日常は暇で平凡すぎると心のどこかで感じているのでしょう。 人生の密度を他人と競っても無意味なのに。 御回答者様が、私の悩みについて「取るに足らないこと」と 捉えてらっしゃる事は理解いたしました。 実際、私も「取るに足らないこと」だとは思います。 ただこの問題は、けじめもつけずに記憶の彼方に押し流すことは、私には出来なかったようです。 先送りに先送りを重ね、問題の存在自体を忘れていました。 そして問題は解決されないまま、私の行動にほんの少しの悪影響をずっと与え続けてきました。 密度の濃い日常を送り、さまざまな経験や人との付き合いを通して問題を先送りしても、 解決はしないのです。 御回答ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
こんばんは。 “ひと”って未だ『不可思議』な存在ですね。 ですから、様々な事態に、様々な感情を持ち、 様々な反応としての言動を起こしてしまう。 >私は、どうやってけじめをつければ良いでしょうか。 けじめ…それは『自己満足の範疇』ではないでしょうか? 例え、『ENKOTUME』、『HARAKIRI』して、 けじめを付けたと思っても、周囲が賛同するかどうかは不明ですよ。 >濡れ衣を着せられた子が誰だったか、もう分かりません。 ええ、そうでしょうね…。 しかし、『おそらくその方も現代社会に生きている』と思われますよ。 そう考えれば、その方も私たち全ても生存している、 この『フィールド(=社会)』に最大限尽力し、 皆が笑い合える社会を目指して、 日々を自分のペースで生きて行く事が、 結果として『全ての贖罪になる』…と思いますよ。 そうすれば『その方も、この社会の何処かで“笑っている”』はずですから。 それでは。
お礼
御回答ありがとうございます。 >けじめ…それは『自己満足の範疇』ではないでしょうか? 私もその通りだと思います。 相手にとっては、星の数ほどもある理不尽のひとつでしかないでしょうから。 これは、私にとって大問題ですが、私にとってのみ大問題です。 私の個人的な問題に他人を巻き込めません。 全て自分で完結させるつもりです。 >この『フィールド(=社会)』に最大限尽力し、 >皆が笑い合える社会を目指して、 >日々を自分のペースで生きて行く事が、 >結果として『全ての贖罪になる』…と思いますよ。 自分を呪う今の私にとって、これはとてもとても厳しい贖罪です。 日々前を向いて生きていこうと思います。 御回答及び暖かいお言葉、確かに頂戴しました。 ありがとうございました。
- 510405
- ベストアンサー率29% (7/24)
永い間、苦しんでこられたようですけど。。 ふと思ったのですが、「けじめ」とは何でしょうか? 自分の生きてきた人生をやり直す事などできないのですよ。 だったら、これからの人生で後悔のないようにすれば良いのではないでしょうか? 人から嫌われたり、自信が持てないのは、一概に幼い時のいじめが原因だったとは思えません。 厳しい事を言うようですが、物事の対して、真面目に向き合ってこなかったからではありませんか? 何に対しても、向きあった結果として「自信」や「人間としての魅力」が見につくのではないでしょうか? 自分を変えるチャンスが来たのだと、前向きに考え、明日から行動してみては?
お礼
遅くなってしまいましたが、御回答ありがとうございました。 510405様をはじめ、いろいろな方々の御回答をいただき、 ようやく問題の本質に辿りつけました。 >物事の対して、真面目に向き合ってこなかったからではありませんか? 確かにそうだったようです。 今まで一生懸命生きてはきましたが、 本当に悔しいことですが、真面目には生きてこなかったようです。 生きるって、難しいですね。 心の底から、そう思います。 ありがとうございました。
補足
御回答ありがとうございます。 全くもって、仰るとおりです。 私は、あらゆる物事に対して真面目に向き合ってきませんでした。 私は、これから真面目に生きていくために、これまでの自分を断罪しなければなりません。 私の「けじめ」とは、自分への断罪のことです。 以上、補足いたします。 どうぞよろしくお願いします。
お礼
御回答ありがとうございます。 あの時、どう行動するのがベストだったのか。 いろいろ考えてみましたが、どう行動してもなんともならなかった様に思えます。 子供であるということは、恐ろしいことですね。 子供であるということが、こんなに恐ろしいことだとは、今まで考えてもみませんでした。 自分の行動に責任を持てなかった。 謝れない、動けない、怒れない、悲しめない、 なにひとつ能動的に行う自由も能力も権限もなかった。 自分の人生を生きる自由も能力も権限もなかった。 この世に地獄があるとすれば、もしかするとそれは子供であるということなのだと思う。 自分の人生に責任を持てない。 自分が自分であることに責任を持てない。 この世に地獄があるとすれば、地獄とはきっとそういうことなのだと思う。 自分の人生に責任を持てなかった子供に対し、責任追及できるのか? あの事柄について、過去の自分に責任はあるのか? 面倒だからと、すべてを自分に押し付けていないか? 自分に嘘をついていないか? ・・また、よく分からなくなってきました。 ああ、そうです。 私は自分の行いを責めていたのではありませんでした。 自分の無力さを責めていたのでした。 あの時、祖母が怒鳴りこみに行くのを 何としても止められなかった、自分の無力さを、呪っていたのでした。 無力であることは、無力であることは。 あの時、あまりに小さくて。 あまりに無力で。 ただひたすら無力で。 なにもできなかった。 自分の行動が他人を傷つけるのを、ただ指をくわえて見ているしかなかった。 ・・駄目ですね、ただ単純に自分を断罪しただけでは片付かなさそうです。 6歳の坊やに責任を求めるには、少々事が複雑すぎるようです。 過ぎ去った全てのことを許せば、問題は解決するのでしょうか。 ・・たぶん、そうなのでしょう。 もう少し時間をかけて、記憶を掘り起こしつつ熟考してみます。 ここまで記憶を掘り起こすことが出来たのも、皆様の御回答あってのこと。 深く感謝致します。