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日本の謝罪外交のはじまりは?
日本の謝罪外交は、 1いつから始まったのか 2誰が始めたのか 3その理由は 3成果はあったのか 4もうやめるのか などについて、おしえてください。
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第二次大戦に負けたからでしょう。 それ以降、欧米はもとより中国や韓国にまで干渉や文句を言ってこられるようになったんでしょう。 50年も前の戦争のためにこれから先も悪役にされつづけるでしょうね。 国を運営していくのに必要なのは仮想敵国の存在だと言われています。 仮想敵をつくることにより、軍備強化や徴兵がやりやすくなり、国民の不平を敵国にむけさせたりできます。 韓国では国家レベルで日本を憎んだり、バカにするよう教えてます。 韓国映画にはよく間抜けで卑怯な日本人が登場します。 教科書にも堂々と日本の悪口がかいてあります。 それに日本の作ったものを自国で作ったということにされています。 何度か聞いたんですが、韓国人は全てにおいて日本人より優れており、日本人の発明したもののほとんどが実際は韓国人が発明したものだと教え込まれ、実際それを信じている韓国人はたくさんいます。
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- tnb
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「歴史の真実」前野徹著によると、 1,1982教科書誤報事件に端を発した。ある記者の感違いで-「侵略」が「進出」になっていた。(実際は侵略)-と報じた。 2,時の鈴木善幸内閣の宮沢官房長は、誤報とは云わず、「政府の責任で修正します。」といった。 3,幼稚としか表現できない。幼稚とは、知識や教養がないことではなく、肝心なことがわからないことである。 4,中韓が日本に、「謝罪と反省要求」を求め、賠償代わりの経済援助、経済補償をむしり取ることを中韓の国家戦略とすることゆるした。 5,直ちに、止めねばならない。
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- ameshou
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専門家ではないので自信は有りませんが・・・ ■1・・・やはり、太平洋戦争後でしょう。 ■2・・・自民党単独政権の時は、謝罪外交の雰囲気が無きにしも非ずでしたが、明言はしていません。 ハッキリと謝罪を表明し、謝罪外交の方向を明言したのは、連立政権になってからであり、草分けは村山内閣です。その後の細川内閣もそうです。 連立政権でも、自民党総裁が首相になってからは、またハッキリ明言しなくなり現在に至っています。 ■3・・・ハッキリ言えば、自信がないからです。 アジアの国々からグチャグチャ言われるのがこわいのです。 太平洋戦争以前の戦争のトラウマかも・・・ ■4・・・もちろん成果などほとんど有りません。 謝罪外交をしても、同じように文句を言われ、逆に弱腰とみられて更に強く出られるという繰り返しです。 ■5・・・しばらく続くでしょう。今の政治家には、確固たる方向転換やこれから先の日本の進路を描ける人物はいません。 その一つの例が、戦後賠償やODAです。 いつまで続ければいゝのか、額はどうするのか、相手国での使途や成果の報告をどこまでチェックしているのか・・・ 日本は、無尽蔵に金を出せる状況ではないのに・・・ 謝罪外交による“どことでも仲良く”は、いゝかげん止めてキチンとした態度をしめさないと、この国は、世界のゴミ国になって壊れてしまうヨ!!!
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回答ありがとうございます。
- keyguy
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1戦後 2自民党員と社会党員 3日本人は米搗きバッタだから 4米搗きバッタという事実は変わらない刈らないでしょう ちなみに欧米は日本より遙かに現地人に対して長期間家畜並の扱いをしていたにもかかわらず謝罪どころか強い態度をとり続けているのに現地人はそれほど激しく対抗しません 日本が弱腰だから韓国挑戦中国はつけあがるのです
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回答ありがとうございます。
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