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柔道の精神を冒涜?

柔道はスポーツである前に武道であるはず。 礼に始まり礼に終わるのが武道。 チャラチャラ赤髪にしてる選手は問題にされないの?

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回答No.10

柔の道に赤髪銀髪なし、ガイドライン作成(日刊スポーツ) 問題になりましたね^^;

damdamdam5656
質問者

お礼

なんか、ホッとしました。 当然ですよ。 日本の良心を守ろうとする人たちは健在なのですね。

その他の回答 (9)

回答No.9

「日本人の髪は黒」という固定概念が、「チャラチャラ」という発想に繋がっていると思いますが、もし突然変異で元々髪が赤い人だったと考えれば、髪の色はたいして問題ではないと思います。 監督・コーチの中にも当然快く思っていない人がいると思いますが、その選手を選んだということは、その他の選手はもっと弱いということだと思います。 私は髪を染める意味がよく分かりませんが、おそらく今回の場合は髪を染めることによって、気合いを最高潮に持っていく類のものでしょう。そうであれば、髪を染めることも集中力を高める1つの手段になると思います。その代わり、負けたときは惨めです。 髪を染めるなんて、自分で弱いと言っているようなものだと、個人的には思います。それよりも井上康生のようにザンギリ坊主頭の方が、絶対に強そうに見えると思うのですが・・・。 最後に柔道も格闘技ブームの影響で、それなりに華やかになってきました。今回の放映もプロレス並みまでは行きませんが、照明が凄かったです。「青色柔道着、効果、サドンデス」の導入も、結局、見栄えがする、見て分かりやすい方がいいというTV放映を意識した影響です。これから柔道はもっと変わっていきます。メジャーなスポーツになるためには、(1)TV放映(2)国際化の条件を避けては通れません。競技人口がフランスよりも少ないと聞いたときは驚きました。頑張れ、日本柔道!!

回答No.8

 こんばんは、damdamdam5656さん。  私もこの度の世界柔道選手権を見ていて少しばかり不愉快な思いを抱いた一人です。そしてやはり「時代の流れ」「武道観の相違」というものを考えさせられました。日本人というのは、その意味ではすぐれて生真面目な人種であるような気が致します。つまりスポーツに我が人生を重ね合わせて見てしまうのですね。  柔道をやっている人なら柔道に、剣道をやっている人なら剣道に、そして野球をやっている人なら野球に。王さんの求道的な野球人生はあまりに有名ですものね。それに比べて同世代を生きた長嶋さんにはその求道性が殆ど感じられません。「あっけらかんと野球を楽しんでいた」という印象ですよね。私は、スポーツというのはその両様があっていいのだと思います。サッカー選手などを見ていますと、まさにその感を深くするのです。楽しむためのスポーツ。そして道を極めるためのスポーツ。    こうした構図は私の好きな将棋の世界においても共通するものがあります。米長さんは「将棋は人生を背負っている」と言いましたが、羽生さんの世代からは「将棋と人生は無関係。将棋は純粋なゲームそのもの」となりました。今の将棋界において羽生世代の一人勝ちの様子を見ていますと、「人生を背負った将棋」の負けです。人生を背負った将棋をして勝っているのは辛うじて谷川さんぐらい・・・  昔の柔道は「柔よく剛を制す」という精神そのものでした。しかし今の柔道は「力対力」「パワー対パワー」のオンパレードです。そうした中で日本柔道がまだ強さを保っている秘密は、やはり「柔よく剛を制す」の精神が残っているからではないかと思うのです。「大きくて力のあるものが小さくて力のない者を倒すのは当たり前」という、言ってみれば「弱肉強食」の世界観は騎馬民族の根底をなしています。それに対して我が農耕民族は「小さくて力のないものが大きくて力のあるものを倒す」という、いわば「あり得べからざる」ことに多大な価値を見出だしているようなところがあります。赤髪の青年は恐らく「柔よく剛を制す」の精神を尊重するより「大よく小を制す」の精神を抱いているのかもしれませんね。「力さえあれば、相手に勝ちさえすれば、この俺の赤髪なんて何てことはない。むしろ『赤髪の柔道王』と賞賛されるかもしれな・・・とまあ、ここまで穿った見方をしないまでも、「力こそ全て」という思想に洗脳されているだろうことは想像に難くありません。  「礼に始まり、礼に終わる」- 直接的には「赤髪」は何の関係もありませんね。でも、damdamdam5656さんのおっしゃるような違和感を覚えている日本人は決して数少なくはないと思います。かく申す私もその一人です。でも彼がそういう姿形をしていても、礼儀を尽くす青年であるなら、やはり彼を支持してしまうのです。「勝って奢らず、破れて怖じず」・・・   柔道界も大変ですね。「勝ってガッツポーズ、負けて茫然」・・・そこにかつての日本柔道の精神はありません。ヘーシンクに敗れて以来、頭に血の上った柔道界のお偉方が、「何が何でもお家芸の復活を」と願った姿が今日の柔道界を象徴しているのかもしれません。

  • somatech
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回答No.7

柔道は近代において発生したものですので、江戸時代にはありませんでした。明治以前に発生した柔術がベースになっているとはいえ、まだ歴史の浅いものです。 柔術を卓越した工夫により近代化して講道館柔道にしていったといえばいいかもしれません。 当時としては革命的なものですから、その革命精神を尊重することも大切ではないでしょうか。(柔術という髷をといて散切り頭でやったのが柔道かもしれません) 個人的には試合で優劣を競ったり体重別を取り入れたりしたことで体育としては世間に広まったと思いますが、同時に精妙な技術や礼節はあまり見られなくなったと思っています。 (でも形が残っているので、ぜんぜん無いよりましだと思います。また大会などに出場する選手の技術も高いとは思いますが、昔日の柔道に比べると寂しさを感じます。) 礼に始まり礼に終わるのが武道であり、それを強調するなら競技(選手権など)をすること自体に問題があると思います。髪の毛の色など枝葉末節に過ぎないと思います。

  • nozomi500
  • ベストアンサー率15% (594/3954)
回答No.6

髪の色と礼は次元が違うと思いますが… 道場で染めているわけでもなし、 むしろ、この前の田村さんみたいに、審判の判定もでていないうちにガッツポーズしているようなのが見苦しいと思います。

  • oni888
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回答No.5

単なるスポーツですよ。 ルールが違うだけで、ボクシング、レスリングと同じ一種の格闘技に過ぎないわけです。 髪を染めているか否かなんぞどうでも良いわけで 大切なのは勝てるか否かです。 どうしてもと世の皆が思うのであれば 国際ルールに入れて貰えば宜しいわけです。 髪染の参加不可・タトゥー参加不可と 多分却下でしょうね・・・ あとは、国際大会全てボイコットし 日本人の決めた作法で行うもののみ柔道とし それ以外の大会に日本人は参加させないってことでしょう それ以前の問題として髪を染めている=チャラチャラ チャラチャラは髪の問題ではなく本人自身の問題であり 髪型同様、自己表現方法の違いに過ぎない訳ですよ

  • zepbbc
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回答No.4

私は経験者として申しますが、「礼に始まり礼に終わる」これのみ守ればいいだけのスポーツですから、別にチャラチャラ赤髪にしてようが問題ないです。気にしない気にしない・・・。

  • nyazira
  • ベストアンサー率21% (56/256)
回答No.3

「オランダの赤鬼」こと、アントン・ヘーシンクが 世界チャンピオンになった時点で、日本伝統の武道である 柔道は終焉したと思っています。 今あるのは柔道に似て柔道にあらず。 スポーツのJUDOかと思います。 したがって、赤髪も金髪もあるでしょうし、青い柔道着 もあるのでしょう。 個人的には嘆かわしいものがあります。

  • kotiqsai
  • ベストアンサー率23% (10/43)
回答No.2

死んだ母ちゃんの遺影を、表彰台に持ってあがったり、優勝が決まると騎馬戦みたいに喜んだり、いくら審判がドジだからって、判定が出てからも執拗に抗議をしたり。 柔道が道を究める武道であったのは、東京五輪以前の話ではないでしょうか。 スポーツとしても、けっこう品のない部類だと思います。

noname#4923
noname#4923
回答No.1

>柔道はスポーツである前に武道であるはず。 これはあくまでも古来の柔道のことで有って,今の柔道(特に国際ルールの柔道)はスポーツそのものですね。 でないと青い柔道着なんて有るわけないじゃないですか。

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