ムバラク大統領とイスラエルについて語るには、戦前からの歴史が重要になります。
第二次大戦の時、現在のイスラエルの地はイギリスが支配している場所でした。そして、このとき、イギリスは、ユダヤの人々に対して、こういう約束をしました。
「この戦いで、イギリスに協力をしてくれたら、イスラエルの土地で独立して良いよ」
ご存じの通り、イギリスはドイツ、イタリアなどを破り、戦勝国となりました。そして、ユダヤ人は、約束通りに、イスラエルの土地を手にして、そこに国を作りました。これが、現在の「イスラエル」という国です。
ただ、このとき、大きな問題が発生しました。それは、既にイスラエルの土地には、アラブの人々が暮らしていたのです。しかし、ユダヤ人は、そのアラブの人々をそこから追い出しました。このとき、追い出された人々は「パレスチナ難民」と言います。
このイスラエルの行動に、パレスチナの人々だけでなく、周囲の国に住んでいたアラブの人々も怒ります。
そのため、このイスラエルの土地を巡って、何度も戦争が起こることになりました。
ここまでが、話の前提です。
ムバラク大統領は、元々、この戦争にアラブ側として参加していた軍人でした。
そして、サダト大統領というエジプトの大統領に引き立てられて副大統領となりました。
サダト大統領は、大統領として何をしたのか、というと、イスラエルと和平交渉を重ね、平和条約を結んだのです。これは、エジプトとイスラエルは隣国同士であり、しょっちゅう戦争をしているわけにもいかない、などの事情もあったでしょう。
とにかく、この平和条約が結ばれたことで、サダト大統領は、ノーベル平和賞を貰うなど、諸国から賞賛されました。
しかし、国民は、というと、自分たちの同胞を陥れた仇敵と手を結んだ裏切り者、という風に彼を見ました。その結果、サダト大統領は、1981年に暗殺されてしまいます。
そして、その後継者として、大統領になったのがムバラク大統領です。
ムバラク大統領となっても、基本的な路線としては、サダト大統領と同じくイスラエルと協力する、という路線を続けました。
その一方で、元軍人であり、前大統領が暗殺されたこともあって、軍を使ってそういったことができないよう押さえ込みました。さらに、戦争が起こっては困る(特に、この地域で戦争が起こると、石油価格が高騰するので)、ということで外国もムバラク大統領を支援していました。
そのため、強力な独裁体制がそのまま30年にもわたって維持されてきた、というわけです。
長いこと、政治のトップに立っていれば、当然、その中での腐敗なども進みます。
また、先ほど書いたように、アラブ、イスラムの同胞として、対イスラエル政策にも不満があります。
世界的に景気が停滞している時代ですから、当然、そういう部分でも不満があります。
そういったものが溜まりに溜まっていた中、同じアラブの国であるチュニジアで大統領の退陣要求が起こり、そのまま退陣に追い込んだ、というのが引き金となり、「ならば俺たちも」という形で爆発したのが、今回のムバラク大統領退陣の流れ、という風に言えると思います。