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旧型列車の車内
何方かで旧型車両の車内の情報を教えて下さい。銀河鉄道999の編成以降TVで放送した昔の車両等に興味がわきました。 昔の車両(電車、客車)に興味があり特に昭和時代20~50年代車両の事について今更になって方々で調べてます。私が少年時代(1980年代)以前の車両を鉄博で見たマイテ、ナハネフ22等旧型車両に乗ったり見たことがありません。当然のことながら利用もした事もありません。模型で集めたりしてますが詳しい情報を知りたいので当時利用した方や車内の情報を知ってる方がいらっしゃったら是非よろしくお願いします。
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未だ閉じてないようなので、少しウンチク行きましょうか。 旧型客車と一言で言っても、あのころの東北本線の客車には 大きく分けて4種類がありました。 まず一つ目は主力のオハ35系。茶色塗装の客車は殆どこれで 背ずりにモケットがあるものの、1枚張りで段が付いていない、 通路側に頭もたせが付いてない、天井は白熱灯1列か、その 台座を流用した丸型蛍光灯1列で、室内のパネルも床も木張り って奴です。 この車両は台車がTR23系で、揺れ枕が短いので、速度を上げ ると左右動の周期が短くなり、ED牽引で速度の速い東北筋では 乗り心地が良くなかったですねえ。SL牽引などで速度が遅い、 山陰筋や九州では気持ちのいい客車だったんですが。 東北筋だと蒸気暖房を電気暖房に更新した時に、併せて室内を 薄いピンクのプラ張りにした更新車両もあって、急行八甲田とか でも使ってましたが、元がオハ35だと、速度を上げるとアラが出 るので、なるべく避けてました。 もうひとつは急行に主に使われていたスハ43系。こちらは青い 客車で、車内は更新改造後のオハ35にそっくりでしたが、背ずり モケットは中央に段のある2枚張りで、通路側に木製の頭持たせ があり、天井灯は2列、床もリノリウム張りでした。 こいつは、旧型客車でも一番の乗り心地のTR47系台車だった ので、高速でも乗り心地が良く、長い東北本線を一気に乗車する ときは、なるべくスハ43系を選んでましたね。このTR47系台車は、 優秀な乗り心地を買われてB寝台のオハネ17に転用されたため、 一見スハ43系、ただし台車はTR23というオハ47ってのがあって、 「外れぇ」という場合もありました。 少数派でしたが、見つけたら乗ってたのが軽量客車のナハ10系。 青い車体に広い窓、シルとヘッダーが無い近代的な車体でして、 スハ43系の室内を更に改良して、頭持たせもビニール張り、蛍光 灯の明るい室内に必ず扇風機付きでしたからね。夏場の長時間 停車には非常にありがたかったです。 ただ、台車のTR50は意外に振動が大きく、混んでいるときは何 とかなったんですが、空いてる時はTR23より揺れたりしましたし、 極寒時は暖房の効きが悪い、という問題もありました。 逆になるべく避けていたのが、支線区(会津線とか釜石線とか) では結構多かった茶色のオハ61系。背ずりが木のままモケット なしで、室内も床も木張り。天井灯は1列で、雰囲気は更新前の オハ35とそっくりなんですが、数えてみるとボックスが一つ多い =座席間隔が狭いんです。 おまけに台車が古いTR10系。こいつはTR23より更に左右動が 速く、おまけに上下動の抑制も悪かったので、東北本線では メチャ揺れました。ガラガラの貫通路を見通してみると、オハ61 だけ揺れまくってるのが見えた位です。 支線区でゆったり走ってる分には気にならなかったんですけどね。 晩年の日中線のC11には似合ってましたし。 東北筋の客車列車は、駅間距離も長く、牽引機の出力に余裕が あっただけでなく、ぶっ飛ばす485系特急から逃げ切るために、 相当な速度で突っ走ってましたからね。のんびりゆったりの山陰 筋や九州筋とは、また違った楽しさがありました・・・。
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- kuni-chan
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ナハネフ22は急行「銀河」で乗りました。 展望車のような感じですから最後尾から流れ去る光景は良かったです。 昭和50年代ですと急行でも旧式客車が使用されているものがありました。 急行で使われる車両は外が青色に塗装され、元は白熱電球の照明だった車両も蛍光灯に改造されたものもあり、内装が木でも塗装されて明るく感じるようになっていました。 もちろん普通車に冷房はありません。 なお、普通列車用は外が茶色です。 電車では戦前に製作された旧型国電もまだ活躍していました。 内装は木です。二等車をそのまま格下げした車両も残っていて、身延線や大糸線で活躍したサハ45は座席がサロ45時代のままでした。 戦後製の旧型国電も重宝されていました。
お礼
回答有り難う御座います。確か東北本線、上越線辺りで旧型客車の列車に乗車した記憶がありました。(宇都宮、高崎以降)車内は暗いイメージで椅子は直角で座りごこちはお世辞にも良いとは思えませんでした。
- FEX2053
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現在、旧型客車が往年の状態でもっともよく保存されているのが 大井川鉄道です。論評する前に一度乗ってみることをお勧めします。 車両数も多く、形態的にも多岐にわたっていますので。 http://homepage3.nifty.com/jnrpc/PC-HOZON.html JR東の車は自動ドア化されたり、トイレが近代化されたりしてます ので、往年の雰囲気がやや壊れています。 面白いのが、加悦SL広場に居るキハ08。客車改造の気動車という だけでなく、オハ61系独特の背ずりが木のままの座席や、車内の 広告枠に往年の路線図が残っているという点で非常に貴重です。 http://wind.ap.teacup.com/ottotto/1763.html
お礼
回答有り難う御座います。私の記憶に寄ると東北本線(黒磯ー郡山間乗車)普通列車9両編成で電気機関車牽引で茶、青系の客車で利用した記憶がありました 確かに車内は木造の椅子で白熱球の電燈が点いてました このような車両今思えば味があって良かったです。
どのように説明すればよいのやら・・・・・・。 その当時の客車の多くは、手動扉で開閉は乗客の手にゆだねられてました。 なので、走行中に開けることも可能です。 駅を発車時に開けたままなんてこともざらです。 椅子の背もたれは垂直でクッションも貧弱で、1時間も座っていると尻が痛くなりました。 20系以前の寝台は、B寝台は幅が52cmしかなく、狭くてしかも3段寝台で空間の高さも上半身を起こすこともできない高さでした。 20系寝台では通路に折りたたみ式の簡易座席が用意されましたが、それ以前の10系寝台などにはなく、寝台がセットされた後は狭いベッドに横たわるしか有りませんでした。 寝台の幅が広くなったのは14系寝台からで70cmに拡大されました。 そしてその後の25型から2段寝台となり、14系や24系ものちに2段に改装されました。 室内の写真もありますが、当時はフィルム写真しかなく、アルバムももう天井裏に収納しており、おそらくアルバムからプリントをはがすこともこ困難だと思いますので割愛させていただきます。
お礼
回答有り難う御座います。寝台車の利用は小倉から長崎までの区間(さくら)で寝台かたずけられて知らない人と向かい合わせで共に長崎方面に向かった記憶しかありませんでした。寝台車での旅は殆んどなく485、165系電車利用した事位です。今考えると現在の立派な車両より昔の車両の方が難儀な部分味があってよいですね。又車内は今では考えられないくらい車内喫煙可状態(窓下に銀の灰皿)の列車が多かった時代でしたね。
お礼
回答有り難う御座います。 如何せん無知な為当時の事以来無関係に過ごしてました。 父の仕事の関係で地方に在住してた為客車が健在だった頃のことしか覚えてなくて今更古い車両を薄ら覚えでお恥ずかしいです かなり詳しく回答有り難う御座いました。