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意見を聞かせてください。
多文化主義についてです。 日本は多文化主義の国というより単一文化主義の国だと言えます。 そんな日本が多文化主義の国と同等な考え方や行動ができるには 一体私たちはどのようなことをしなければならないのでしょうか? 日本人には単一民族ならではで、様々な国の人々に対して 今だに偏見や差別をもっている気がします。 様々な民族が日本に暮らすわけではないですが 今後グローバル化する中で多文化主義の考え方は大切になると感じたので 私たちが簡単にできる 多文化主義社会での対応の仕方などみなさんの意見をお聞かせください。 長文になりましたが よろしくお願いします。
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- mtguzzi
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まず、多文化主義とは「異なる文を持つ集団が存在する社会において、それぞれの集団が対等に扱われるべきだとする考え方または政策」のことを指します。 例えば、カナダでは雇用について均等になるように法整備されていますし、言語もフランス語と英語が公用語です。 多文化主義を採用している国はカナダ、オーストラリア、ドイツ、スウェーデンなど、移民が多い国がほとんどです。 インドでも、イスラーム、ヒンドゥー、シーク、キリスト教などの宗教があり、それぞれ保障されているので、多文化主義の国ともいえるでしょう。 日本が多文化主義の国の考え方を身につけるには、 まず、イスラーム(シーア、スンナ、ワッハービー、スーフィーなど)がどんなであるか、キリスト教(カソリック、プロテスタント、オーソドックスなど)がどんなであるかを「正しく」理解することがhつようだと思います。 私の場合、外国籍の友達と話すときに「日本人」ということを意識しながらも、自分と相手の民族や国籍を意識しようとしません。 また、自分の考え方がすべて正しいと思わないことが必要です。 そして、偏りなく様々な情報(特に国際系のニュース)を収集することです。 例えば、中東に関してはCNN、アルジャジーラ、BBCでニュースを拾います。 質問と回答がずれてしまっているかもしれませんが、多文化主義は個の民族アイデンティティー喪失につながる危険性があることも付記しておきます。
- 469437
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私はグローバルとか多文化主義とか響きに釣られて意味もわからず言葉を振り回して、現実を考えず進歩的人間を気取る人種や反日活動家を嫌悪しているのですが、質問者様はそうではないいう前提で回答させていただきます。 >そんな日本が多文化主義の国と同等な考え方や行動ができるには一体私たちはどのようなことをしなければならないのでしょうか? >今後グローバル化する中で多文化主義の考え方は大切になると感じたので私たちが簡単にできる多文化主義社会での対応の仕方などみなさんの意見をお聞かせください 質問者様が考えるグローバルとか多文化主義的な思考とは、どのようなものかという説明がないので回答自体が難しいのですが、異文化への寛容さと解釈して考えてみます。 回答:必要なのは異なる価値観への寛容さであって、多文化主義のみがそれを可能とするものではありませんし、多文化国家がそうであるとは限りません。 グローバルとは、固有の文化を持った上で他への理解と寛容さも併せ持つと言う事であって、それらの内容のない者がその場に迎合することとは違います。以上から、日本が単一文化であることを理由にこれらが出来ないとは思いませんし、できていないとも思っていません。 だいたい、多文化主義の国家などというものは存在しません。また、それは理想でも目指すべきものでもありません。 多文化国家という「状態」の国はありますが、その国は多文化という「主義」を持っているのではありません。 その歴史や成立の過程において、それぞれ固有の文化を有する構成民族が複数存在した為に、そうなってしまったもので、好きで目指したものではないからです。 なので、そのような「主義」を持った集団が存在せず、積極的に持とうとしている国もありません。 国家を運営する側から見れば、文化・価値観は共通であった方が遥かに楽で、国民にとっても問題が少なく生活はしやすいはずです。 多文化主義的な考え方=異なる価値観に対する寛容さとしましたが、実は多文化国家(多文化主義ではありません)には、その文化(民族・宗教)間での対立が必ずあり、そのどれもが深刻な問題となっています。 国によっては居住地域自体がわかれてしまい、多文化共生どころか分裂状態のであることすらあります。 結局、寛容にするということは不寛容な人達も入ってきてしまうので、多文化主義自体が実現不可能な理想論です。 その結果生じる、民族・文化間の対立感情は単一文化国家に比して大きいと思います。 単一文化では起こるはずがないので、比較自体が無意味なのですが、離れて暮らして時々交流したり、商売と割り切って付き合うなら問題ないものを、無理矢理近所づきあいをして喧嘩をするなら、距離感を保って付き合う方がよいと思います。それなら寛容という努力すら必要ありません。 以上の事は、多文化国家や不用意に移民を受け入れた国家が痛感しています。 ドイツでも移民問題 http://www.youtube.com/watch?v=O9HQI3MevvI&feature=related >日本人には単一民族ならではで、様々な国の人々に対して今だに偏見や差別をもっている気がします。 質問者様が個人的にそのように思っているだけだと思います。 差別や偏見とは何のことでしょうか。日本に来た外国人は人種差別が少ない事に驚いています。 国籍に関係なく、その場の習慣・ルールに従わない者が受ける扱いは差別ではありません。 そしてそれは各個人の問題であって、文化・人種の問題として語るべきことではないと思います。 黒人は日本でどう思われている? http://japancool.sblo.jp/article/31968524.html 私はむしろ、この寛容さと言う面においては、日本は単一民族国家としての成功例ではないかと思っています。 日本人が国内に居住する特定の民族に対して、特別な感情を持っていることは否定しませんが、それは彼らの過去・現在の行動に対する相応の扱いで、差別や偏見というには当たらないと思います。
そもそも「文化」の解釈が多種多様で、どうにでも解釈できるものであるため、一概には言えないかとも思います。 (たとえば「捕鯨も文化だ」、と言う人もいますし) 文化とは多少違うかも知れませんが、日本の場合は社会主義から資本主義へ移行した(移行中)の国であると思います。 それは、中国や北朝鮮、韓国なども、程度の差はあれ似たようなものだと思います。 ですから、完全なアメリカ型の資本主義にはならずに、社会主義を取り入れた資本主義のままだと思います。 それは善悪の問題ではなく、社会主義すべてが悪いわけでもなく、資本主義すべてが良いこともない、またその中間的な日本のやり方もどちらと言うものでなく、すべて長所・短所があるのです。 社会主義の傾向としては、画一的な考えがあげられます。 (だからこそ「公共事業」で、日本や個人が潤ったのです) 変化や違いをすぐに「善悪の判断」にして考えてしまうのは、日本人の特徴です。 ですから、偏見や差別という「違い」を善悪で判断することは、今後もそう変わらないと思います。 それで、自分が困ることは少ないですから。特に地方(地元)の人にとってはね。
- hekiyu
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多文化で典型的なのは米国でしょうね。 で、米国には他の国に対して偏見や差別 は存在しないのでしょうか。 米国は、waspを頂点とする人種差別国家だ という人もいますが。 アラブ諸国に対する、武力行使も盛んですね。 何で多文化に移行しなければいけないんですかね。 理解できません。 単一的文化の国も、多文化的文化の国も、 双方有って、それで良いんじゃないですか。
- ゆのじ(@u-jk49)
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今後、嫌でも多文化主義(?)になります。 そもそも、日本には漢字文化(中国)に多大な影響を受け、明治以降は、欧米化に取り組んできました。 で、今までは、欧米人に劣等感を抱きつつ、アジア人に対しては、変な優越感を持てていたわけです。 しかし、これからは、既に経済では中国に抜かれ、そして、速番にインドにも抜かれましょうね。 更には、日米の関係がこれ以上悪化すれば、韓国に普天間は移設されて、日本など、だれも見向きもしない国になります。日本がアメリカの後ろ盾で得ていた国際上有利だった事柄は韓国に全て移ります。 日本は国際的に孤立、困窮し、多文化主義などと言っている場合ではなくなります。 そういう事態の出現が眼の前に迫っています。
お礼
そうですよね。 日本は様々な文化を 昔から取り入れてきて 今は多文化主義に向かう姿勢でなければならないのですね。 大変参考になりました。 ありがとうございます。
お礼
そういう考え方もあるんですね。 多文化主義も単一文化主義もどちらも違っていて 双方に良い点があるのですね。 ありがとうございました。