この問題のいちばんの問題なやり方は、子供のSOSをそのまま大問題にすることです。当たり前ですが保護者会では「自分のクラスはこんな感じです(気になるのけぞったり、指導までいかないやらしい一言の存在)」と言うことは提示します。子供にも担任から見て「ここがつっこまれるところ」ってのは、あれば教えます。本人も認められることをね。当然周りにもリサーチしてますから。リサーチ時には周りにも「相手がイヤに思えば問題行動」って事も教えます。ここはなかなか認めませんねぇ。
いちばん指導に力を入れるのは、いじめられる本人です。「なぜそんな嫌われるようなことを、君にしようとするか」ここは、なかなか考えが及ばないようです。いじめは、幸せな人はしません。家で何かあったりすると、たまたま君に照準が合うのです。ただ、これは幼少時の育てに「折れること」「ヘコんだことからはい上がる経験」がないと、それから逃げますね。そういう意味では、今ではなく、幼少時の育てに、弱さを作る原因があるとも言えます。これは子育てをして痛感しました。「他人と同じでないとダメ」なように育てられりゃ、ちょっと強く言われれば、引きこもります。周りから聞く意見は「何を聞いても自分の意見を言わない」
作用の問題は目につきやすいのだから、いちばんに対処は進めるでしょう。だけど、この問題の本質は、同じように作用を受ける側も強くならないと、問題は解消しないと、私は当事者である子供達に話をします。「いじめをするヤツをよく見てごらん、君が居なくなっても誰かが引き継ぐだろう。かわいそうなヤツだからこそいじめをする。そう思えば、悔しくならないかもしれないよ。」私の子供達は、その話し方(実際にはもっと時間を掛けて段階を追いますが)で、「そんなことはない」といって者は未だ居りません。
補足
やっぱり学校と保護者側が話し合う機会ってしてないんですね。それじゃぁいじめ問題は減らないですね。