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楽器がうまい人

楽器がうまい人って、演奏がうまくなっていく過程では「辛い」と感じたことはあるんでしょうか? 辛くとも上手くなりたいと追求してしまうんでしょうか? そういう点が才能と言われる点なんでしょうか?

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回答No.4

こんにちは  私はピアノを弾いています、うまいじゃないが今まで続きました。 最初は父にやってみないかっと言われて始まったんです。 あの時はまだ幼いころだからなんとなく弾いて、何も感じなかった。 中学のころになって、飽きました、一日45分って決められたんですが真剣に弾いてなかった。ただ終わりを待つだけ。 高校の時ネットで 弾いてみた というタイトルを見かけました、興味本位でクリックしたらその音に凄く感動されて思わず涙が出そうです、っていうか出ました。 その日から音楽に興味を持ちました。 ピアノの練習も今までがんばりました。 なんとなくつまらなくなった時はねっとで他人がひてるところを聞いて、それでモティベーションもでって、練習を続けるようになりました。 今では毎日3時間くらい弾きます。難しいところがあったら、自分よりうまく弾ける人が行ったら、悔しくなって、壁を感じて、不安になって、もっと練習したい、もっと上手くなりたいっと。 辛いです、でも成果がなかったらもっと辛いです、だからいっぱい練習します。

noname#200381
質問者

お礼

んー やっぱそこまで努力はできませんなー 私の場合は

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回答No.5

ずいぶんと前の質問でしたが、まだ受け付けていたようなので。。。 全員が当てはまるわけではないので参考までに。 体育会系と文化系という言葉があります。 私が思うに文化系を選ぶ人間は褒められて伸びるタイプが多いように思います。 それもそのはず、音楽や美術は、聴く人、見る人がいて初めて成り立つ分野。 人に聴いてもらいたから、そして聴く人を喜ばせたいから。 別の言い方では、いい演奏をしてあっと言わせたいから頑張れるのだと思います。 ですから、上のギターの先生も仰ってますが、私も気づけば10時間やりっぱ、 ということはしばしばありましたし、そんな時はメキメキ上達しました。 同時に思うのですが、学生の頃、何曲作曲しても似たような曲になってしまうことに行き詰まりを感じていました。でも思ったんです、小室哲哉など、どれを聴いても同じと言われながらも何百曲もリリースしましたが、彼が気づいていたか否かは知りませんが、そういった「辛さ」に無頓着な方が続けられるのだと思いました。 気楽に楽しむのが上達への道だと思います。

回答No.3

現役プロでギターの講師です。 僕はギターが好きで毎日10時間ほど弾いてます。 朝起きてギターに触り気がついたら夜なのです。 忙しいときは早く片付けてギターを触りたいとうずうずします。 練習とは思ってません、ただ好きなだけで、 言い換えればギターオタクのようなものです。 16年弾いてますが変わらないですよ、この想いは。 辛いと思うことが無いといえばウソになりますが 辛いと思ってるうちは上手になりませんよね、 がむしゃらに頑張っても前に進みません。 弾きこなしてやろうとかそんな感じでは楽器は鳴ってはくれません。 どれだけ楽器をわかってあげて仲良くなれるかです。 仲良くなればいい音を出してくれるものです。 才能というのは、ことわざでいうところの 「好きこそものの上手なれ」です。 好きだから追求する。追求するからより楽しく弾ける。 本当の才能は楽器を好きなことだと思います。

noname#200381
質問者

お礼

なるほどねー 上手な人のリアルな心境がよくわかりました。 やっぱり、辛くても探求したくなってしまうものなんでしょうね 私も楽器が弾ける人に憧れるんですが、弾き語り程度以上進まなかったんですよね 気づけば夜になっていることといえば、私の場合オンラインゲームやアダルト動画の検索などです。 こちらが私にとって探求したくなる才能なんでしょう

  • zeninashi
  • ベストアンサー率45% (27/59)
回答No.2

必ずしも回答する当方が「うまい」訳ではありませんが…… 速弾きや極端なポジション移動、複雑なフレーズなどで確かに肉体に負担がかかって辛いことも多々ありますが、当方の実感としては「ありきたりではなくても不自然ではないフレーズ」を考えること、そのための根拠となるはずの理論の学習といった、ある意味メンタルな部分での負荷こそ大きい気がします。 ある程度練習すればそれなりに弾けるようになりますが、「手癖フレーズ」がいつも登場するので、次第にそんな自分のプレイが凡庸に思えてきます。そこから脱却しようとしつつも初めのうちは「どうせ趣味だし」「むしろ感性で」などの言い訳から、場当たりでどうにかしようとするものと思います。これが奏功せずにイライラが募り、とうとう理論、場合によってはもっと初歩的に五線譜の読み書きに手を出します。ところが、幼少時からピアノなどを習った人ならともかく、テレビなどで見たバンドの影響で楽器を始めた人の多くは耳コピー、せいぜいコード譜を見て楽器を弾くので、五線譜の読み書きがとにかく辛い。他方、理論は理論で「分かったような分からないような」ことが多い(むしろ慣習の中身を説明されているような印象?)ので、そういう精神的な苦痛こそが個人的には大変でした。 耳コピーによるプレイについては、「手癖」の違いからなかなか馴染めずに弾きこなせないこともあるでしょう。これに馴染むには確かに体育会系の反復練習が必要で苦痛には違いありません。ただ、(参照する)タブ譜などが正確であれば、むしろ考えずにやるだけ、とも言えます。対して、タブ譜通りに弾いても「何か違う」と思えた場合は、それこそ繰り返し聞き込んで、試行錯誤して、聞き取れない部分は「理論に照らして」推測してみる、どうしても分からない場合は、いっそ自分なりに違和感がなさそうなフレージングを案出する、などといったことも必要になります。こちらの作業は単なる反復練習ではありませんから、今季と探求心が続かなければ「辛い」と思います。

noname#200381
質問者

お礼

やっぱり、上手い人も苦痛も感じてるんですね 弾けるまで同じフレーズを何回も繰り返して、上手い人もその積み重ねの結果なんでしょうかね

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.1

楽器はスポーツと同じで、それなりに身体をいじめないと上手くはなりません。 身体的には辛い局面が間違いなく多々ありますが、メンタル的にどこまで辛いかは人それぞれかと思います。 逆にメンタル的には、プレッシャーと戦うのが辛いでしょうね。 でもそのプレッシャーを乗り越えて、本番で一定以上のクオリティの演奏ができてナンボの世界なので…

noname#200381
質問者

お礼

もう辞めたい! って思うことはないんですかね それでも前に進もうとするんでしょうか?

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