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植村花菜【トイレの神様】
植村花菜のトイレの神様を聴いた事がありますか。 実話である歌詞のなかで,祖母や家族とぶつかる様になりやってけなくなって,居場所がなくなり独り家を出る部分~祖母を見舞いに行く部分を聴いて【ガーン】とショックを受けた言葉がありました。 【もう帰り】という言葉です。 私自身,両血筋の親戚と疎遠で,片方の血筋の親戚とは何年間かに1度不幸事があった時に顔を出すだけで,幼児期より居心地が悪かったもう片方の血筋の親戚とは,些細な事が引金で私が一方的に避ける様になり10年かそれ以上会ってません。 更に,理由があるにせよ,数年間,独り暮らしをしてた間にほとんど連絡をする事もなかった時期があった私は,再び実家に住みはじめて数年間になります。話をするし醜いぶつかり合いはないけれど,実家にいる皆がいなくなればいいとまで考えた過去にたいする自己嫌悪があります。受け入れて貰えてるか自身がありません。 あの時は心に酷く傷をおい長年に渡る我慢の限界だったのですが,今は【悪気がないあいてを私が傷つけた】事が解かり酷い自己嫌悪に苛まれてます。それで,トイレの神様にある【もう帰り】という歌詞で決定的なショックを受けたのです。 彼女の祖母はどんな思いで【もう帰り】といったのだと思いますか。 同じ様な状態にある家庭の方達に質問があります。既に家族ではなくなってしまったのですか。孫であっても娘であっても存在する必要がない人間に変わる事はありますか。
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- バグース(@bagus3)
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「もう帰り」といういい方は短く、つっけんどんな 言い方に聞こえるかもしれません。関西以外の人には よけいそうかもしれません。 でも、その時の表情や声のトーンなどによっては とても優しい言い方です。 祖母は、自分のために東京から帰ってきてくれた孫に すまないと思ったんでしょう。 でもせっかく帰ってきたんだから、はやく実家に帰り母親の 料理でも食べてくつろいでほしかったんではないでしょうか。 自分のためにこれ以上時間を費やしてほしくなかったんだと 思います。 私には、この場合の「もう帰り」は思いやりにあふれた 言葉と受け止めています。
お礼
有り難う御座いました。