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物事に対する善悪、許容範囲について教えてください
例えば、授業中、誰かがうるさくしたいたら、声を発していいラインとその理由。 先生が質問したから声を発する、友達に教えるときに声に出す。 ここら辺までなら授業を助けるものだから良いとか、ここから先だと授業を妨害してしまうものだとか。 処方された人が飲むのには良い薬でも、健康な人が飲んでしまったら薬物を乱用することになっているからいけないことだ。など それ以外にも、日頃思っていた 一つ一つの物事を挙げて、ライン引き(それは許容範囲かどうか)について、様々なシチュエーションに応じた理由(考え)を挙げて下さい。 宜しくお願い致します。
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そういうラインが分かりづらくて日々困ってる人? 結論からいうと、決まったラインというものは存在しません。というか状況に応じて変わる。 授業だと、例えば先生のカラーによって変わる。自分の計画通りに進めたい先生の場合は、じっと無言で聞いてあげた方が喜ばれるが、聴衆の反応を見ながら徐々にノッていく先生の場合は、面白い所ではホーとかヘーとか、声に出して反応してあげた方が喜ばれる。 この逆をやってしまうと、どちらも非常に嫌がられます。 要するに相手が求めていることを察知して、それをやってあげるというのが共通点。決まったラインを引いてそれを遵守するというのは、むしろ違う。 それが分からなければ、周囲と同じにしているのが無難です。ファミレスの例で言えば、周囲がにぎやかに喋っていれば自分達も喋る。周囲が黙っていれば自分達も黙る。 車の運転だと、周囲が徐行してれば自分も徐行、周囲が飛ばしてれば自分も飛ばす。その逆をやると嫌がられます。法定速度だ何だというのは、実地ではあまり関係がない。 というかこの種の線引きにこだわる質問、自閉症とかアスペルガー系の人から出ることがあるので、ちょっと気になりました。
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善悪の判断に関して。。 (1)まず、被害者がいるのか? 被害者が多いほどに悪とみなされる。 (3)社会にあたえる影響が悪となる。 などがあると思います。 例: 夜間の、黄色の点滅信号は、徐行なのにけっこうなスピードで走り抜けています。 制限速度30kmのところでは、38kmくらいだと違反にしません。 警察は、緊急事態でもないのに、追い越し禁止のところを追越するためにサイレンを鳴らします。 救急車は、死んだ人でも病院のつれていってくれます。
>物事に対する善悪、許容範囲について教えてください 全体の流れや雰囲気を壊さない。これが要点だと思います。 例1)ファミレスなど食堂で騒ぐ子供(幼児) ・親は子供を叱るなり窘めるなりしなければならない ・しかし、叱らなければという意識だけが強く 親の声のほうがはるかにやかましく耳障りなことがある。 (小さな子供のはしゃぎ声などかわいいものなので) ・公共の場は躾をする場ではないということも弁えないといけない。 例2)高速道路などで制限速度で走る車 ・もちろん制限速度を守ることは大切なことだが、 ・周りが+20~30キロくらいで流れているのに、 一人だけ制限速度にこだわるのは事故を誘発する原因になる ・もちろんオービスや覆面などがいる時はその限りではない ・つまり多少の速度違反は許容されなければならない。