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ぼやきと質問
行動が「普通」と違うだけで異端者を精神病と罵り排除し、自身はいかれた世の中でのうのうと騒いで暮らす人がいる。いじめを例にすると、弱い者、気の大人しいものを見つけると、同じ類の輩がどこからともなく集まり、「楽しいから」ただその理由だけでいじめが始まる。いじめられたほうは、およそ「いじめられるような変わったことをした」「弱いから悪い」そういう理由になっていない理由を事態にあてがい、同じような精神構造の周囲と群れることで、自身の安全を保つ。あるいは傍観するのみで飽きたらず、いじめに荷担する者も現れる。理由は、やはり「楽しみ」にある。 「楽しみは善、それを妨げる者は悪、いかなる扱いを受けようと構わない。」そういった卑劣な精神構造をもつ輩の方が、ずっといかれている。何より、苦しむ者がいることを認識しつつ、楽しみ、快感のために差別は続け、一方で周囲と出来るだけ溶け込むことを至上命題とし、自分が新たなスケープゴートとなるのを避ける。 しかもそういう者の中にも序列化が進み、荒廃は進む。新たな差別規格を作り出し、それの規格で下位の者を作り出し、新たな制裁を加え楽しむ。 弱肉強食に社会がなるのはしかたがないかもしれないが、いかれた社会に完全に適応、いやそれを超えて内部の個人精神までも快楽追求に毒された新生物のほうが、大人しい変わりものからしたら「いかれた群集」に映るのではないでしょうか? 乱筆乱文にて失礼いたしますが、意見があれば。誹謗中傷はKYでしょうね。KYの紋所が目に入らぬか!
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- sMcA
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どうせなら、この世の中がおべっかや真実、嘘、などなどなに一つ 気をもまない 天国になれば 私ならずっと寝ていても良いかも いじめやいじめられる環境の世の中になったなあって 幸せな天国でならさ 死んだように寝ていて それだけで動がないから やはり、人間が何かをしようとするとき必ず 動きが生じ、善と悪、失うと得る が発生する 誰しもがいじめられ 誰しもが憎まれて 誰しもが愛されて 一通り考えたら 理由があると言うのは その、誰しも 歩けば大地を蹴る 食べ物の為に耕す そして、感謝や感動 その他色んな事 いじめだけ見たらいけない事だし なくなれば良いと思う 今まで、私を愛してくれてきた人や動物、野菜や花 どれが欠けても 私ではない 逃げられないから 天国になるように毎日笑顔でいれたらいいな