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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:色々事情があり、ある専門科の方に話を聞いていただいてます。)

人間関係の問題と攻撃に対する認識と対処法

このQ&Aのポイント
  • 仕事における人間関係の問題や攻撃に対して、自己責任で向き合う必要があると考えます。
  • 意地悪な行為をされた場合は許せないという気持ちは理解できますが、自己愛的な発想から抜け出し、自己成長に努めることが重要です。
  • 認識を変え、相手に対して恨みや憎しみを持つのではなく、自身の問題を改善することで人間関係を良好に保つことができます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • rhcJun
  • ベストアンサー率41% (30/72)
回答No.3

私も自分に対して理不尽な虐めをして来た人を許す事は簡単に出来ないと思います。 だから、順を追って少しずつ相手を許します。 私は人を許す事に対して、貴方が相談した先生が仰った様に自分の事を先ずは見なおします。 その上でどの部分が自分が悪いのか、どの部分が相手が悪いのかを自分の中で明確にし相手の悪かった事と自分の悪かった事とを相殺します。 それでも許せないと思う事は在ると思いますが、自分も完ぺきな人間ではないので人に対し虐めでは無いにしても相手の心を傷つけてしまう事もありますから、それを考えると少しずつでも許して行く事が出来ます。 過去、私もあなたの様に自分を虐めて来た人達を憎み恨んだ事もありました。 しかし、何故虐めに合うのかを考えた時に見えてきた答えは自分に虐められる要素が在るという事でした。 虐められなくなる為には自分を変える事が一番大切なのだと気付きました。 結局、誰かの所為にしていても自分の責任は自分に付いて回るモノ、虐められる事には自分の責任が在るのです。 その事を自覚してからは、自分を虐めた人達の事を恨んだり憎んだりするより自分を変える事に没頭しました。 今でも虐めの内容を思い出せば、悔しいし腹はたちますがそれは“何故あの時自分がきちんと抵抗出来なかったのか”と、自分に対してです。 先生の仰る様に、“誰が悪いか”では無く、物事の根本を考え見て自覚する事が大切なのです。 それが自分を変える事です。 何が起きたのか? 何故、それが起きたのか? その原因は総て自分に在ります。 そこに居る事も、今生きている事も、どんな自分で居るのかも、総て自分が選び決めて居るからです。 貴方を虐めた人を許せない気持ちは、痛いほど解ります。 しかし、自分が前に進みたいのならいつまでも其処に拘っていては前に進めませんよ。 変えて下さい、自分を。 変えて下さい、自分で。 あなたの心が怒りに満ちる時が在るとするならば、自分の為では無く愛する人が傷つけられた時にこそあなたの心が本当に痛む筈です。 長文、纏まらずお許し下さい。

doccino
質問者

お礼

>その原因は総て自分に在ります。 そのために言ってもない悪口を言ったとでっち上げられ、そのために人から恨まれ、悪者になり、 とおりすぎるたびに野次を飛ばされたり、殴られなければならないなんて、、 いくらなんでも理不尽すぎます。 やられ損ですね。。 と言っても自分に全て原因があったと自分を戒め、忘れるしかないんですね。。 難しいですね。私は一生変われないかもしれませんね。 貴重なご意見ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • suzuko
  • ベストアンサー率38% (1112/2922)
回答No.4

#2です。 >それ自体が忘れられてない、自己中心的な発想だと言われたんです。 >それがあるから私の容姿も垢抜けないし、仕事も上達しないままなんだと言われました。 何故、忘れなければいけないんですか? 忘れられないんだから、ひとまず心の奥底に置いておくでは駄目なんですか? また、自己中心的な発想の何がいけないんでしょうか? 人は誰でも自分が中心です。他者中心にものなど考えられません。 ただ、社会で円滑に生きていくには「自分を客観視」できなければいけませんよね。「容姿や仕事」も客観視が出来れば、良いんじゃないですか? 自己中心的であることと客観視が出来ることは、両立できます。それが中庸というものです。 蛇足ですが、私があなたの先生に対して感じるのは「傍観者の意見」だということです。 確かに先生に言っていることは「正しい」のでしょうが、苛められた者にとって「救い」ではないでしょう。 「そうすることが正しいのは分かる。でも、それでは私の気持ちは納まらない」 正直、人を許せるほど私は大人ではないのでしょう。(年齢は充分、大人なんですがね) >あなたは過去のことが原因で生活が不自由してると感じることはありますか? ほとんどありません。苛めのことも彼女のことも、こういった話をする時に思い出すぐらいです。(多少、その時いやな気持ちがぶり返しますが)^^; 彼女以降も何人か苛めてきた人はいます。彼女ほど「きつい苛め」ではなかったですが。 私は「苛めやすい人」なのだと、思います。実際「あなたに何を言っても良いと思っちゃう」と面と向かって言われたこともありますよ。^^; 性格的にも「態度がでかく、物怖じせず、思った事をはっきりと言う(最近では多少、相手や場所を選ぶようになりましたが)」なので、直す気はありませんし「仕方が無い。これが自分だ」と思っています。ただし、常に心に留めているのは「自分の良心に対して公明正大」です。 つまり「苛めてくる人と同じ土俵に立たない」ということです。 苛めてくる人に対しては「常に距離を置く。必要以上に関わらない。けれど、朝夕の挨拶だけは、しっかりと相手に聞こえるようにハッキリ言う」で接しています。大体これで、相手が変わってきます。 苛めをやめて謝ってくるか、苛めている人自身が周りから孤立していくか・・・^~^ ただ、これは私の性格だからできる対処法だとは思いますがね。

doccino
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 >忘れられないんだから、ひとまず心の奥底に置いておくでは駄目なんですか? >また、自己中心的な発想の何がいけないんでしょうか? 私はいけないとは思いません。だけどそれでは何も変わらないと言われたらどうあるべきなのか分かりません。私は相手を許せないから。 >確かに先生に言っていることは「正しい」のでしょうが、苛められた者にとって「救い」ではないでしょう。 私は先生の言ってること自体が正しいと思うことも出来ないんです。「嫌われてる原因」として指摘を受けたならまた違ってたでしょうけど。 答えが出るまでにはまだまだ時間がかかるかもしれませんね。 >「容姿や仕事」も客観視が出来れば、良いんじゃないですか? 自己中心的であることと客観視が出来ることは、両立できます。それが中庸というものです。 自制できたらいいのでしょうか?自制するということもなかなか難しいことなんですが。 >「態度がでかく、物怖じせず、思った事をはっきりと言う(最近では多少、相手や場所を選ぶようになりましたが)」 人に迷惑かけたり、振り回したりしなければ、私は問題ないと考えますが。 >「苛めてくる人と同じ土俵に立たない」 >苛めてくる人に対しては「常に距離を置く。必要以上に関わらない。けれど、朝夕の挨拶だけは、しっかりと相手に聞こえるようにハッキリ言う」で接しています。 私もそれを心がけてます。 >>あなたは過去のことが原因で生活が不自由してると感じることはありますか? >ほとんどありません。苛めのことも彼女のことも、こういった話をする時に思い出すぐらいです。(多少、その時いやな気持ちがぶり返しますが)^^; そうですか。参考になりました。

  • suzuko
  • ベストアンサー率38% (1112/2922)
回答No.2

>だけど意地悪をしてきた人は許せない。 では、あなたはどうしたいのですか? もう1度、そのいじめた人に会えますか? 会って「自分にも非はあったかもしれない。だが、あの行為は理不尽極まりない」と冷静に話せますか? そして、もし相手が謝罪したら、そこで許すことが出来ますか? 私にも、幼い頃にひどい苛めをしてきた人がいますが、今、彼女に会いたいとは思いません。 まして話をしたいとも思いません。 あの当時、彼女が家庭で不幸な状態であったことを知ってもなお、彼女と和解する気にはなれません。 ですので、今は当時のことを心の奥底に封印しています。 それは、自分が苛められたことを「再認識したくない」と言う気持ちと彼女に対する嫌悪感を「再想起したくない」と言う気持ちがあるからだと思います。 しかし、苛められた事実は、いつまでも心の底に澱のように残っています。30年以上たった今でも、忘れることは無いですね。 けれども、今の生活にその澱をぶちまけて、自分の人生を駄目にしたいとは思いません。何かにとらわれることは、前にも後ろにもいけない状態で自分だけが、もがいて苦しくなるだけだと思っているからです。 ご参考までに。

doccino
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >苛められた事実は、いつまでも心の底に澱のように残っています。30年以上たった今でも、忘れることは無いですね それ自体が忘れられてない、自己中心的な発想だと言われたんです。 それがあるから私の容姿も垢抜けないし、仕事も上達しないままなんだと言われました。 あなたは過去のことが原因で生活が不自由してると感じることはありますか?

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.1

私は専門家ではないから、そのつもりで。 私も長いこといじめにあってきました。 幼少期から青少年時代までです。 今と昔ではその「かたち」は違うかもしれませんが、人の心はそうそう変わりませんので、いじめのメカニズムのようなものは理解できるところもあると思います。 他の方にも回答差し上げたのですが、私は極論として「恨む、復讐する」というのは「根源的な人間の欲求」なので、無理にとどめるべきではない、と思います。 どんなに他人に「変われ」と言われても、それが「根源的な問題」である以上、その「きっかけ」は必要不可欠です。 説明されても「おいそれ」とは理解できない、納得できないのは「当たり前」だと思うのです。 しかし、人間は賢い動物ですので「経験からのシュミレート」という技を使えます。 そこが動物と、人間の大きな違いであり、差でもあります。 自分がもし、なんらかの「計画」を画策して、そのことでいじめた相手をいじめ返してやろう、そうすればすっきり出来るに違いない、と思ったとして、いざその計画を実行するには?と考えると、ふと「巨大な壁」にぶつかるのです。 「あれ?…この感覚って?」と。 自分が優位に立つことで初めて理解できる「優越」という化け物の正体…それは「本当に醜くて、悲しい顔をしている自分の顔」でしょう。 自分がひそかに計画し、恨み続けた日々を、お前にも味あわせてあげよう、という、そのときの顔はきっと鬼の形相です。 わかりますか?…「鬼」はあなたの中にも棲んでいる。 相手の中にも棲んでいる…人だから、人なのだから。 自分を治していく、ということは、とりもなおさず「自分と向き合うこと」です。 しかし「お手本」が無ければ、それは難しい。 ですから「シュミレート」してみる。 そのことで、自分の中には「いないと思っていた」鬼の姿が、正しく見えてくるのです。 そしてその大きさは、あなたが思っているよりもはるかに巨大であることでしょう。 しかし、一度見えたならば、次からは見なくてもいいものです。 そしてその「鬼の大きさ」に、耐えうるだけの「耐力」も、同時にあなたは備えている存在だと気付くでしょう。 人はみな、自分では気付かないものを、後生大事に持っているものなのです。 それに気付けるかどうかで、後の人生は違ってきます。 鬼も仏も、誰しもが抱えている「本質」に過ぎません。 それがわかれば、気持ちも楽になってくるのではないでしょうか?。

doccino
質問者

お礼

自分を含めた誰でも鬼の部分は持ってるのでしょうか? 鬼の形相の理論については今すぐに答えが出るものではなさそうです。 頂いた回答は参考にさせていただきます。

doccino
質問者

補足

ありがとうございます。 おっしゃるとおりなんだと思います。 でも私が今まで受けたものは何だったんでしょうか?いじめた人は今も幸せに暮らしてるんです。 私のその時痛い目にあったことは変わらないし、人生は帰ってこない。 あと、いじめられた原因は専門家の方が言うように私に原因があったんでしょうかね。。

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