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あなたにとって批評と中傷の違いは?
あなたにとって批評と中傷の違いは? 【1】 あなたにとって批評と中傷の違いは何ですか? 【2】 http://okwave.jp/qa/q6084775.html 消費者による批評に際して事実(真実)の提示は、 どの程度まで許されれると思いますか? ※法律論ではなく一般常識論でどうぞ!
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1.批評と中傷の違いは? 批評とは本来、公平な精神と穏当な良識、制御された誠意と正義感、正当な社会性の元に、対象を公平な視点から評価し、その得失を論評する行為。 中傷とは、最初に対象を貶めようとする意識があり、その意識の元、偏った視点から対象を評価し傷つける目的の論評をする行為。 とでも言ったら言いのでしょうか・・・。 2.論評が中傷を含まず、公平な視点による正当な評価であるなら、たとえ対象に不利になり得る表現を含む際に於いても、その批評としての表現には原則として限界はないものと考えます。
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- vaierun
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批評はですね。。。美味しいものを美味しいと言うことです^^( 中傷はですね。。。美味しいものを不味いと言うことです(-_-;) 法律なんて知りませんし^^; 難しいことは分かりません^^ 消費者にとっての真実は 事実と異なることが大いに有り得るのだという意識を持つことは大切ですね~♪ 事実と真実は違いますと思うのですが。。。違います??
お礼
ご回答ありがとうございました。 事実と真実は、法律用語としては別物です。
>あなたにとって批評と中傷の違いは何ですか? ないですー。 基本的なスタンスとして、「自分が他人に向けたものはすべて中傷、他人が自分に向けたものはすべて批評」と思って発言すべきと考えてますがー。でもでも、やっぱり「自分が他人に向けたものはすべて批評、他人が自分に向けたものはすべて中傷」ってなりがちですねー。あなたもそーでしょー? でもまー、人間、感情のいきものだししょーがねーや、とゆー気もしますー。 >消費者による批評に際して事実(真実)の提示は、 >どの程度まで許されれると思いますか? リンクは基本的に見ないのですがー、んー、質問への回答にはなってないんですけどー。そもそもの前提として、 「あんた、考えすぎ」 とゆーのが一般常識論ですねー。そもそも、んなことで犯罪がどうこうだの、裁判がどうこうだの、ありえねーだろ、ありえねーことなにぐちゃぐちゃいってんだよ、とゆーのが一般常識論ですねー。 んーとですねー。けっこー、同じ題材を何度も何度も手を変え品を変え繰り返し質問してますよねー。例えば、おみくじを10回も20回もひいたらほとんどおみくじの意味がなくなっちゃうでしょー。こんだけ同じよーなことをなんども繰り返し質問してたら、「質問し、回答を得る」とゆーことの意味がなくなってきちゃってると思うですよー。だって、今、ここで回答を得られても、また同じよーな質問を繰り返すわけでしょー? だったら、今、回答してるこのオレの回答って、意味ないじゃん、と思っちゃうでしょー。 一期一会とかこっ恥ずかしー言葉をいうつもりはないですけどー。一回こっきりだからこそ得られるもの、何度も繰り返すことで得られなくなるもの、ってことも考えてみたらどーかなー。批評か中傷かとか、会員としてサイトや運営者の批評はどこまで許されるかとかゆー以前の問題として、あなた、すごーく「残念な人」になっちゃってますよー。 ぼちぼち、似たよーなことを繰り返し質問することをやめて、疑問解決のための別のアプローチがないか考えてはどーかなー。
- h24855
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サイトを利用するにあたり規約に同意するかしないかをクリックする段階が質問・回答するにあたりあるではないですか。これが利用者とサービス提供者の基本的法律に規約される商業上の制約です。まあ、すべての規約文を重箱の隅をつつくように読まれる方はいないでしょうが、それぐらいの意気込みと態度で物事万事取り組まなければ、世の中、資本主義社会は契約社会。後で泣き言を言っても始まりません。毎日の消費生活は、商業慣行に順じた約束事、契約事、覚え書きやら暗黙の内の了解やら強いては誤解ごとまで。法律を免れる生活なんて1日たりとありません。ですから、社会人になる、大人として社会に認めてもらうためにも、じぶんの言行には責任を持つ、そのためには最低限は日常慣習にまつわる法律や規制を知る、理解する、予備知識として蓄えておく必要ままあり。知らなっかった、誰も教えてくれなかった、細かい事熟読しなっかたでは通用しないのが私達が生きている環境です。法律習慣慣習も時代の発達と共に急速頻繁に変わりますので、その為にも専門家である弁護士、弁理士、法律家と総称される職業の人たちも必要となるわけです。 物事すべて常識と良識が根源をなす簡単明瞭なものさしですが、昨今はこの根本的な見識、鑑識のかけている方が増え続ける一方で、家庭教育、学校教育、社会教育が大きく疑問視されているわけです。一般庶民だけではありません。世界中、勿論日本も御多分に漏れず、国を率先してまとめていくべき政治家からして非常識な愚劣な獣が溢れ余っているではないですか。企業だっていまだに法外、理不尽な儲け主義優先の企業が優良企業とされておろかな国民や就職探しの学生たちに褒めはやされているではないではないですか。 真実を見る目、嘘、見栄、体裁、不義を見破る洞察力、直観力、思考力は古今の時代から、他人や教育機関に委ねられるものではありません。自分が自ら授かってきた正しい躾け、価値観、それと一番大事であり、頭でかっちの現代人に欠けている実体験、行動力、多くの失敗や成功を経験する人生で一番大切な貴重な体験。これらを尻込みすることなく、日々率先して実行繰り返していれば、自然と自分の習慣となり人生何十倍にも楽しく謳歌できます。「少年よ、大志を抱け」とは明治時代に札幌農学校を創始されたアメリカ人、クラーク博士の有名な言葉です。今の時代にも勿論通用します。でも一つ補足させてください。クラーク博士は長年のキリスト教徒で日本にも宣教師として渡られた方。この有名な言葉の本物は、「少年よ大志を抱け、キリストの御心のうちに」でした。その頃は一般日本人はキリスト教を耶蘇教と呼び、内容を把握せずも西洋の日本の古代からの思想とは相容れないものとして遠ざかっていました。でも日本が鎖国に追いやった事実も有るごとく、1549年にキリスト教がポルトガルの宣教師(カトリック)により伝道され始めてからは、権力のあった武将たちもキリスト教に改宗したりして、それは今の時代では想像に絶する時代もあったのです。その後幕府が封建時代の権力争いにとって、神のみを崇める宗教は国家将軍の絶対権力を脅かすとしてキリスト教禁止とオフレが発布されましたが、もう遅し。社会正義と神の御国の現世実現を目的とする信仰は普遍し、そのため迫害の時代が来ても、隠れキリシタンが存在し続けたわけです。 社会正義、世界平和、個人の人権や権利を守り保持するにも、法律、規約、規制があるわけです。 よろしくじっくり、大眼視で世情の衰勢を観察くだされ。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- hs1510
- ベストアンサー率27% (443/1640)
(1)批評は「論証論」、中傷は「感情論」と思いますが、一般人は両方ともが入り混じってしまいます。 (2)は事実(真実)をありのまま提示も可だと思います。 が、一般人は多分にそこに感情を入れてしまう恐れが有るので難しいです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 さすがはNさん。素晴らしい回答です。 ノーテンキな左翼偏重思想に汚染され、 事実でない話を情緒的にでっち上げる バカな人間とは違いますね。 言論というのは内容が真実でも罪に問われる ことがあるので注意が必要です。 しかし権力者に都合の悪い事実を安易に 封じ込められてはいけないと私は考えています。 ただ私は司法試験に合格できた人間ではないので (とはいえ、さすがに素人には絶対負けないはず。 OKWaveでは無知を装って法律の質問をしてるけどね。)、 やはり安全に批評を行うには 時に知り合いの専門家などから助言や監修を受けます。 その上で抜け目なく無難な線を見極め、 その範囲内で可能な限り最大限の意見などを 述べるように心がけています。