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大阪、2児 放置死の事件...でおもうこと。

大阪、2児 放置死の事件...でおもうこと。 私は20代後半の2児の母ですが、本当に悲しい事件です。 子供ながらにどのように思いながら寄り添って死んだのかと想像しただけでも涙が出そうです。 きっと骨と皮の身体、排泄物まみれ、空腹...。  ひどすぎる。 閉じ込められ、泣くことしかできることができない状態だったのではないでしょうか。 すごく考えてしまいます。 こんなに可愛い子供を“可愛いと思えなくなってしまった背景”とは何だったのでしょうか。 自分も子育てをしていて必要だと感じることは、人間同士の助け合いです。 母親一人きりでは負担が大きすぎます。 私も一人目は、知らない土地での子育てでした。(出生~3歳になるまで) 今は家族で実家に引越し、2人目は知っている人たちの中で、祖母にも手伝ってもらいながらの子育てです。 一人目を見知らぬ土地で子育てしている際、何度も鬱のようになりました。 すごくがんばっていましたが、楽しくないし、希望が持てませんでした。 その心情が耐えられなくなり、実家に引越ししました。 実家では、母や姉にまで可愛がってもらえ、子供の成長にみんなで大笑いをしたり、感動したり。 一歩外に出れば、近所の人にまで可愛がってもらえます。 近所の人は私の赤ちゃん時代を知っている人達です。 やはり、子育ては“人間同士の温かさ”が必要なんだなと実感しました。 旦那の実家は田舎ですが、もっとすごいんです。 子育ては、曾おばあちゃんまで協力しているんです。 地域の人は皆、知り合いで、みんながみんな小さい頃からの知り合い。 幼稚園のママ友も、同級生だったり、同級生の兄弟だったり。 先生も、自分(ママ)の担任が、自分の子供の担任だったり。 それが、当たり前なんですって。 私がその状況にびっくりすると、 「〇〇ちゃん(私)のところは、違うの!?」と逆にびっくりされるくらいです。 最近虐待が増えていますが、このままの環境だと、もっともっと増えていくように思います。 虐待されて育った子は、将来立派な大人になれるのか。というところまで考えてしまいます。 海外生活があるため、“日本”を意識してしまうのですが。。 良い子供を育てることと、将来の日本は良い国になれるか?ということは比例するようにも思います。 最近の事件の“大麻を持ち歩いていた女子中学生逮捕”はうちの近所の話です。 もう人事ではありません。 大切に育てた自分の子、と同じ学校に通う子たちにも良い子でいてほしい。 自分の子供だけでなく、人の子まで気になってしまいます。 やはり、地域みんなでの“良い子を育てる”子育てが必要です。 もう、二度と餓死させるようなニュースは聞きたくありません。 皆さん、はどう思われますか。

みんなの回答

回答No.27

悩みますね ■子どもの視点で  虐待を受け親と暮らせない子どもを育てるのに適切な受け皿は三つある。〈1〉里親家庭や、子ども5~6人が養育者の自宅に住むファミリーホーム〈2〉小規模化された児童養護施設〈3〉メンタルな専門養育が可能な施設――。子どもの状況によって対応できる選択肢が必要だが、現時点で充実させるべきは家庭的な環境だ。  子どもが預けられる割合(委託率)は、日本が施設90%、里親10%だが、欧米では50%以上の国が多い。  国際的には里親が最優先とされる。特定の大人と向き合えてこそ、愛着が育まれるからで、家庭を奪われた子どもを家庭に近い環境で育てるのは当然だ。 http://www.youtube.com/watch?v=iy_DjjiyE8o  日本で施設が中心になったのは歴史的経緯がある。

  • azumi4799
  • ベストアンサー率40% (12/30)
回答No.26

どこの親も必ず、独立しろ、就職しろ、大人になれ、親に甘えるな、一人立ちしろ、と口を揃えて唱えるようになったのは、一体いつ頃からだったのでしょうか? その号令のような親の育て方が、今回のような状況に陥った時、親や肉親に頼れないと云う風潮を作り上げたのではありませんか? ここに意見を投稿された皆さんも、そんな風に育てられ、独立心を親から催促され、誰にも頼れなかった経験があるのではないでしょうか? ママ友や児童相談所に頼って欲しいと言ってもね本当にイザとなった時、精神的に追い詰められた時、その人の子供を預かり、育てる事が出来ますか? 生半可な同情はかえってその人を追い詰める結果になると言う事を、辛苦を抱えながら一人で子育てしている方なら分かると思います。 親元へ帰れない。 親や実家が無い訳ではなく、親が受け入れてくれない。 そんな風潮が日本の子育てを難しくしているのではないでしょうか。 今回の事件は大阪と言う大都市で起こりました。 大都市では、毎度、悲惨な事件が後を絶ちません。独立したあと、何故、苦境に立った時、この人は地元に戻れなかったのでしょう? それは、育ての親が、そういう教育をして来た。回りの人達もそういう環境を良しとして来たからではありませんか? もし地元に引き返せる状況だったら、今回の事件は起こらなかったでしょう。 一人で子育てが無理なら、両親、おじいちゃん、おばあちゃんが一緒に育てられたかもしれません。そういう家訓を受け継いでいたら、今回のような悲劇は起こらなかったと思います。 子供は家族みんなで育てる。 日本では太古の昔からそれが当たり前でした。 それが日本の子育ての基本だったのです。 それを崩壊させたのは、誰? 核家族を進行させ、独立させ、どんどん家を建てさせ、大家族が崩壊して行きました。 それと共に、子育ても崩壊しようとしています。 先頃、日本テレビのアナウンサーが飛び降り自殺しました。 子育てによる「うつ」だったと、遺書が見つかりました。 今回の事件は、二人の子供が犠牲になりましたが、結局は誰も頼れる人などいなかった。信頼出来る、安心出来る人が誰もいなかったから、このような悲劇が繰り返されるのではありませんか。 もう一度、日本の家族はどう言う姿が幸福なのか・・・と言う原点に立ち返り、家族みんなで子育てをすると言う、ほんの少し前までの時代を思い出して下さい。 自立だけが親が教える事ではありません。 挫けたり、挫折したり、苦難に乗り上げたら、親元へ帰還する、と言う当たり前の常識を教えるべきではありませんか。 そうしなれば、いつまでも子育てに苦しむ女性は無くなりません。精神的な病を抱える女性を減らすためにも、家族とは何んなのかをもう一度考えるべきでしょう。 若い孤独な親は、いつまでたった一人ぼっちで自滅をコントロールすればいいのでしょうか?

  • rachaco
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.25

わたしも2児の母です。 このニュースには驚かされ、心が痛みます。 確かに子育ては大変で、イライラしたり逃げ出したくなることもあると思います。しかし、誰もがそういった感情を上手くコントロールしながら生活しているはずです。 事件の母親はただ子どもだったのでしょう。そして、周りの人間も…。 勤務先の風俗店は何をしていたのでしょう。子持ちの従業員というのはわかっていたはず。仕事中は子どもをどうしているのか、全く気にならなかったのか不思議でなりません。子どもの年齢から考えれば、夜ねているとはいえ、子ども達だけで留守番させてるなんておかしいと思います。 お金はかかりますが、夜間保育などもありますし、そういった所に預けていれば、異変に察知できただろうから、別の結果になっていたはずです。 それに一緒に遊んでいた友達もバカです。母親である人が遊び歩いているのをおかしいと感じないなんて…。友達も子どもなんでしょう。悲しすぎます。 もちろん悪いのは母親ですが、周りの人間ももっと干渉すべきだったと思います。

noname#119490
noname#119490
回答No.24

私も2人の子の母親です。ニュースを聞いた時鳥肌がたちました…同じ母親として遊びたい気持ちもイライラする気持ちもわかります。でも子供も人間。絶対にしてはいけない事と思います。本心を言うと汚い事で埋まるので…私は育児しながらいつも思うのは限界来たら親に来てもらおう・私なんか育てるより施設に入れた方がいいって覚悟決めようって思いながら育児してます。最終的にどうにかなるって考えたら…結構頑張れます。本当に二度とこんな事件が起きない事を願います。ちなみに私の旦那はニュースをしりこの女の子が俺と知り合いなら預かってあげれたのに…こんな残酷な事がない様にお互いに周りの友達の事しっかりみて助けてあげれる事は助けてあげる様に頑張ろって言ってました。本当にそう思いました。 私達が周りにも目を向けてみんなが子供を守れる社会になればいいと思います。

  • shiki666
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回答No.23

私は24歳にして婚約者との子供を3人流産しています。 1人目は他者の過失で殺されました。 こういった側の人間からすると果てしない憤りを感じ、容疑者を人として見ることができません。 もし子供を持てたら、勉強はできなくとも人の痛み、命についてしっかり考えられるように育てたいですし、婚約者とも今後親になったらどうしていくか深く話し合うようにもなりました。

回答No.22

今回の事件はとても心がいたみます。 近所の方々も沢山声をあげていました。 児童相談所の方はもっともっと介入していけば助かった命だと思います。 昨日心斎橋に行ってきました。 きっとこの町で2人のママだった23歳の容疑者は、2人の事など忘れて遊び歩いていたのだろうと思うと 切なくて涙が出ました。 こんな事がもう何回報道されてるか? 何回繰り返されたらなくなるのか? せめて育てられなくなったのなら誰かに託してほしかったです。

  • mokkamoca
  • ベストアンサー率8% (19/218)
回答No.21

虐待するなら生むなと思いますね。 子供を自分の所有物だと思ってます。 言い訳なんてできるものではないです。 安易に「できちゃった」から結婚して、でも子育てしてみたら 遊ぶ時間もない、やっぱり遊ぶ方が楽しいから育児やーめた。 なんて正直言って物ですよね? 毎回こういうニュースを聞くと、子供にさせた虐待と同じ罰を 受ければいいのに、と思います。 懲役○年?おかしくないですか? これから未来のある幼い子がなくなってるんですよ? 子育てって思った以上に大変なのは分かります。 孤立するし悩みもあるし。 たまにはイライラするときもありますよ。 でも育ててくれた親がいて子が育つ。 自分が育ててくれた親に感謝なんてかけらもしてないから こういうことになるんでしょうね。

  • huankaisyo
  • ベストアンサー率42% (487/1155)
回答No.20

他の方の回答にもあり、yahooニュースにも載っていましたが(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100804-00000065-yom-soci)、虐待をするのは若いママが特に多くなってきてるんですね★ どちらかというと子育てに少しノイローゼ気味になったママさんが……っていうイメージも少なからずあったので☆  学生時代に塾や部活などで『遊び』の部分が不十分だったりすると、周りの同じ世代を見て『遊びたい』と思ってしまうというのもあるのかな~とも考えてしまいました。  確かに母親の自覚が足りないと言ってしまえばそれまでなんですけど、子育てよりも勝ってしまう気持ちにもその人の抑圧された学生時代・子供時代といった生活環境も関係しているような気もしてしまって……  虐待をしてしまう若いママさんだけの問題ではなく、その方の親の教育方針というか育て方も関係してくるのかな~?とも少し考えてしまいました。  ただの深読みならいいのですが……色々考えてしまいますね★

  • SABANA
  • ベストアンサー率20% (65/321)
回答No.19

今回の容疑者の母親は、決して孤独とは言えないと思います。 離れていても実の親は健在ですし、妹もいますよね。 離婚した後も親と連絡取っていたようですし、その気になれば子連れで実家に帰れるのではないですか?? 離婚して子供を引き取って働き出す…そんな母親ざらにいます。 その母親がみんないやになって子供を捨てるのでしょうか。 離婚したうえ、実の親も他界して頼る人間が全くいないという人も沢山います。 実のところ、育児ノイローゼではなく、単にまだ母親としての器が足りなかった若い母親でないでしょうか。 周りが手を差し伸べてあげていたとしても、子供を捨てて遊びたい・・・、そんな気持ちになっていたと思います。 今回の事件を聞いてもあまりにも浅はかで奥が無い、ただ「若くて、自分もまだ子供」である母親ですよね。理由を聞いても心の中そのまま話てますよね。 ホスト遊びや友人宅を転々としていたんですから、好き勝手して充分ストレス発散していますね。 これでノイローゼだなんて、そんなこともできずに毎日育児に煮詰まって、逃げることもできない環境の私は認めたくないなあ・・・・。 100歩譲って魔がさしてつい部屋から飛び出しても、必ず正気に戻って子供のところに戻る…親としての愛情と責任がある人間ならきっとそうです。 この母親にはいくら周りが助けても、子供に対する基本的な愛情が無い以上無理だったと思います。 まあ、子供の命は助けてあげられたかも、知れませんけどね。 今度は愛情いっぱいの両親のもとに生まれていらっしゃい。

回答No.18

大阪の事件を育児ノイローゼ等と一緒くたにしてはいけないと思います。 気持ちはわかるなどと、共感したり、同情しては絶対いけないと思います。 決定的な違いは、部屋のドアを粘着テープで固定して、家を出たという点です。 台所、風呂、トイレなどの水場にさえ行けない様になっていました。 「どうにも行き詰って、ふっと子どもを置いて、逃避したくなることがある」 これならば、気持ちはわからなくないです。 追い詰められてそういう感情になってしまうことだってあると思います。 でも、例え置いて出たとしても、きっと食料や水は手の届く所に置き、私は育てられないけど、どうか生きていてと。 それは、子どもを殺したいのではなく、自分がその場から逃げたくなっただけだから。 「もう自分では育てられない、とどこかに子どもを置き去りにしてしまう」 これも、気持ちはわからなくないです。 しかし、これも、心の底でどうか、誰かに幸せにしてもらってと、置いてくるのでしょう。 「もうどうしようもなく、子どもに手をかけてしまう」 これも、まだ、気持ちはわからなくない、病気ならばそうなるかもしれない。 私が殺さなければと思いこんでしまう、カッとして、わけのかからないまま、気が付いていたら手をかけていた、ありうるかもしれないと思います。 こういったケースならば、社会が救える可能性が高いと思います。 独りじゃない、大丈夫、と手を差し伸べてくれる人がいれば、救われる命だと思います。 根本的に、親にまだ子に対する情が残っているから。 しかし、大阪の事件は違います。 ただ置き去りにしただけではありません。 水さえも与えない状況にしている、せめて暑いときに水だけでも・・・という、そんなかけらほどの情さえもない。同じ命を絶つにしても、自分の手にかけて、最後を看取るそんなわずかな情もないのです。 これは、ただの監禁の末、いたぶるだけいたぶって、苦しませるだけ苦しませて、自分の手を直接汚すことさえもしない、最低最悪の殺人です。 保護責任者遺棄致死の枠にはまるものではありません。 これ以上ない、残忍な手口の殺人罪です。 情状酌量の余地なの、これっぽっちもありません。 極刑に値すると思います。

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