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10年位摂食障害で苦しんでいます。低体重が続いていたため脳の異常が

10年位摂食障害で苦しんでいます。低体重が続いていたため脳の異常が 起こっているのか満腹中枢もおかしく過食嘔吐がやめられず、 その上母親に無理に一杯ご飯を食べさせ糖尿病になりかけています。 いらいらもおさまらず、毎日地獄のような日々です。 今、京都の府立病院に行っていますが、うまく私の思うとおりの治療ができていません。 どこか、いい入院施設や病院はありませんか? また、この病気を克服した人体験談を教えてください。専門の先生助けてください!

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  • natsu063
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回答No.2

経験者です。 私は克服をまだしていませんが、症状、環境が似ていたので回答します。 私は8年目です。完全に嘔吐するし、普段はまったく食べないので 超低体重です。 そのため脳萎縮、低血圧、低血糖、低たんぱく、貧血、低白血球などの血液検査の異常、また、低栄養のため、いらいらはしやすいものです。考えも偏りやすく、正常な判断力も半減します。 偏頭痛、骨粗しょう症、肌荒れ、むくみ(肝機能障害による)、肩こり、腰痛、疲れやすい、など二次障害にも苦しんでいます。 しかし、hirokoさんも摂食障害10年目とのこと、様々な治療や努力をなさられたのでは? 私も、様々な医者、病院、カウンセラーにかかり、閉鎖病棟入院、開放病棟入院、などでよいとされる様々な治療をしてきましたが、結局繰り返してもとにもどるどころか、悪化させてしまいます。 私は自傷、OD、自殺未遂、幻覚、幻聴、AC、などの症状も体験しましたが とりあえず 過食嘔吐がいつでもメインです。 とりあえず、体のことは取り返しがつかなくなってから、やりたいことが出来なくなるなんてことが悲しいので、大事にして欲しいと思いますので、お母様にもう少し病気を理解してもらって、精神的にも負担の少ないように、協力してもらってほしいと思います。 私も家族関係で悩みましたが家族の協力がやはり一番身近ですし重要です。 過食嘔吐を完全に克服するということは、人間的な成長、自立、女性としての自立を目指し、過去にとらわれず歩めることだと思いますが、やはり人それぞれの必要な時間があると思います。 私は現在入院しても、治療しても、自分自身のい変化がないかぎり病気は治らないと思うので、治療は受けていません。 (ただ超低体重のため 定期的に母に病院につれていかれ 強制入院の可能性の署名を記入済み) 体力と相談してですが、私は狭く物事を考えないように、また、たくさんのひとの意見をきくように、また、専門家のアドバイスをきくように 心がけています。 そして一番の心のこだわりの、家族関係についての執着心も、ひとりで考えていれば偏ってしまうので、外に出すことを心がけています。 助けてください、とありますが、お母様との食生活はじめ 家族での生活が精神的負担ならば 入院などの方法で一時距離を置くことも必要だと思います。離れると、違った目から見ることができるときもあります。 どこか、いい入院施設や病院、とありますが、思うとおりの治療とはどのような治療なのでしょうか? 病院食が完璧に計算されていることでしょうか? 病院のきれいさ、日々の生活の快適さのことでしょうか? 自分にあった先生と密に治療できることでしょうか? 患者同士のいざこざがすくないことでしょうか? 前者ふたつはネットなどで検索して口コミなども参考にすればいいかと思いますが、 後者ふたつは時間をかけて実際に治療しないと分からないことですから、私もなかなか ひとを信用できないタイプで、苦労しています。 克服してもいないのに、すいませんでした。 病状が少しでもよくなることを祈っています。

参考URL:
http://www.hidamari.ne.jp/kashoku/
回答No.1

私は経験者です。食べるのが好きで、太りやすい体質もあり、17歳までは体重60キロ位ありました。友達とダイエットを始め、3カ月で20キロ痩せました。その後が地獄でした。減った体重を1キロだって戻したくなくて、1日いったい何を食べたか?というくらい食べない生活が続きました。生活はすべてダイエットを中心に動きました。なので友達と美味しいランチとか、彼氏を作って楽しく過ごすなんて一切ありえませんでした。殻に閉じこもるようになってますます頭の中は「食べることへの恐怖」でいっぱい。その状態が何年も続き24歳のころ栄養失調が元で入院することになりました。入院してからは強制的に食べさせられるのでよく病院を抜けだして、病院周辺を歩きまわりカロリーを消費しようとしました。状態はますます悪化し、自分の足で歩くことが困難になっても、杖を突いて歩くほどの異常ぶりでした。そのうち、体が衰弱を極め、下痢が続き、点滴で命を永らえる状態となり、母親をずいぶん心配させました。体重は32キロまで落ちました。危篤状態は脱したものの、顔面麻痺が残り、しばらく話すこともままならない状態でした。結局、入院先の病院は総合病院だたので、内科から精神科病棟に移され、3カ月間の入院生活が続きました。病院内では規則正しい食生活を送っていましたが退院後はやはり、食への恐怖でまた食べられず、精神的に追い詰められ、半年で再入院、また3カ月の入院。その間精神安定剤を処方されていたと思います。2回目の退院後あたりから、過食状態になり、吐いたりもしていましたが、それでも追いつかなくなり、体重は一気に70キロ代となりました。しかしながら、そのころから始めていた「劇団」への入団で、気持ちは紛れ、自然と太っていく自分も認められたように思います。痩せていたころは、自分の世界は「食べる事との戦い」それがすべてでした。食べたいのに食べられない、食べたら1日中歩きまわる、こんな事やりたくない、もっと自由に気楽にいたい。友達と楽しくランチしたい・・こんな生活から早く脱出したい。そればかり考えていました。劇団に入ってからは、もちろん芝居のことを考えることもできたし、なにより「一人の世界」から「仲間がたくさんいる世界」へ飛びだしたことで、人とのかかわりの中で、違う世界が見えてきたことが大きかったと思います。時には友達の悩みを聞いて、真剣に自分も一緒に悩んでみたり・・悩んでいるのは自分だけじゃないんだな・・とか。それからあんなに縛られていた「痩せていること」から、太ってしまったことで強制意的とはいえ、脱出できたことは大きかったと思います。今は、無理の無いダイエットの結果体重は50キロ前後をキープしていますが、普通の人とはやはり、食に対する構え方は違うと思います。自然に捕らえられないというか・・でも、そんな自分とは今はうまく付き合って生活してます。焦らないでください。私も病院に通っているころは焦ってました。一刻も早くこの状態から抜け出したいと思いました。でも「摂食傷害」になるには長い間かかってその原因を作っているのだから、治療にも時間がかかることだと思います。それから、治りたいと思うあまり、そのことばかり考えるのも抜け道を失うことだとおもいます。直したいと思う自分からも離れてもっと違うことをしてみるのもいいのではないでしょうか。絶対よくなります。信じて焦らず自分をよく見つめてください。少し、外から自分を見るようにしてください。そしたら少し見えてくるものがあるかも知れません。いつか絶対よくなります。必ず道は開けます。

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