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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:思い出について。)

思い出について考える

このQ&Aのポイント
  • 過去の思い出を思い浮かべることができない悩みを抱える男性がいます。
  • 彼は自分の人生が平坦だったわけではないが、思い出になるような経験が少ないと感じています。
  • 彼は自身の思い出が少ないことが普通なのか疑問に思っており、同様の経験をしている人がいるのか知りたいと思っています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • joem
  • ベストアンサー率42% (52/123)
回答No.2

こんばんは。 自分の思い出(歴史)がないというのは、いきなり目隠しで違う場所に連れて行かれるのと似ていますね。 自分が立つ大地が、どう自分に関係あるのか…全く無縁の場所だと不安になります。 今現在の自分を作っているのが過去の環境ですから、過去をしることで未来の自分に繋がります。 ブログを書かれたら…とありましたが、公開をしないにしても「自分史」を綴るのはいいことですよ。 自分の生い立ちを主観なしに綴って行き、それを読んで自分の感想を感じる…というのを繰り返します。 http://jibunshi.nabigat1.net/ http://jibunsi.jp/ こんな感じで既にある雛形から利用して書いて行くのも良いと思います。 kwtaさんとは違うかもしれませんが、私の友人も過去の思い出に穴があいてました。 高校生くらいまでの家庭の絵や状況、会話などがちっとも覚えていないそうです。 後になって解ったことですが、解離性障害の一種で、幼少期の家庭での複雑な状況を、自分の分身に肩代わりさせて、その思い出を分身ごとなかったことにしていたんです。(身体の不調から心因性と解り、最終的にそう診断されました) 友人は「本当なら一段一段上って行く階段なのに、私はいつの間にか3階にいたって感じなの」と言ってました。1階2階の状況、風景を覚えていないのはショックだったそうです。 彼女は今はそこそこ思い出して来ましたが、それは過去になかったことにしていた怒りや挫折と対峙することなるので、とても辛い体験だそうです。六歳の時の不安でいきなり泣き出すこともあったそうです。 kwtaさんの過去の人生がなんにも(特別な出来事が)なかったとして、思い出を自分の心に刻まなかった理由を考えては如何でしょうか。 過去でもそうですが、現状でもです。 自分がなにに感動し、何に固執しているのか……どういう状況が嫌で、受け付けないのか。心の振り幅を知っておくのは大事です。 心の好き嫌いを認識するのもいいことかも知れません。 嫌なことは忘れた方がいいに限りますが、良いこともすべてなくなっちゃうのは残念ですよね。 何かのきっかけで「こんなことがあったなぁ」と思い出すのは、やっぱり大切なことだと思います。

参考URL:
http://jibunsi.jp/
kwta
質問者

お礼

お礼が遅くなったことをおわび申し上げます。 自分史を綴るということ、とても意義がありそうですね。実は過去の自分について客観的に分析したいという思いは以前からありました。しかし過去について自力で詳細に思い起こすのは難しいと、たいしてやりもしないうちになかば諦めていたのです。ですが静止画のようにポツポツと残る記憶をいくらか書き起こして、そこから徐々に自分史を充実させていくようなことはできるかもしれません。検討してみます。 ご回答ありがとうございます。

kwta
質問者

補足

joemさんの回答の中で少し自分について引っかかった箇所があるので少し補足させてください。 わたしの場合の過去の記憶に対する違和感は、中、高、大学生の多感であろう時期に、その間の年月の割には含んでいる記憶が浅薄、またはその間を生きてきたという実感が湧かないことにあります。また、家庭内についても同様にほとんど記憶がありません。あのとき部屋はどうなっていて、家族はどのような表情をしていたのか...。わたしは今も実家暮らしで、両親とは決して仲が悪くはないのですが、わけあって嫌気を感じているところです。悪い親ではないので正しい感情ではないかもしれませんが。ただjoemさんのご友人の方と共通するところが自分にもあるかもしれないと思いました。 いずれにせよjoemさんが仰るとおり、なぜ自分の心に思い出を刻まなかったのかを知ることに答えのようなものがある気がします。

その他の回答 (2)

  • joem
  • ベストアンサー率42% (52/123)
回答No.3

回答番号:No.2のjoemです。 補足を読ませて頂きました。 kwtaさんと私の友人の場合とは似ている部分があるようですね。 違う部分としては、友人は心の傷や歪みが身体の不調と言う形で浮き上がり、自分の欠落した感情(思い出)の存在に気付いたということです。 kwtaさんは、心身的なトラブルで気付くというより、自ら振り返って気付いていますね。 もしかしたら自分史を綴るということで、無くなっていたパーツが上手くはまるかもしれません。 kwtaさん自身、ご両親に対して嫌悪感を抱いているということですが、親がよかれとしたことや、十分に子供を愛したと思っていても、子にとっては不快であったり、不十分だったりします。頭では「親だって人間だから…」と理想通りに行かないと解っていても、「本来はこうして欲しかった」という強い思いが、現実とのギャップを埋めるために事柄をなかったことにすることもあります。こればかりはもう理屈では片付かないんですよね。 自分史を書く上で、実際に起こったことと、ホントはこうであって欲しかったことも書くといいかも知れません。 自分はどんなことがスキで、どんなことがイヤな人間なのか。これは過去だけでなく、現在でも言えることですが、「自分は○○なタイプだ」「自分は××は受け入れられない」と傾向をたくさん知ることで、自分の歴史がわかります。(好きになったキッカケや、受け入れない経緯が、なかったと思っていた思い出にリンクします) 中、高、大学生の7年間の思い出ですから、再構築するのに同様の時間がかかると思ってもいいでしょうね。 焦らず、「ながら」のペースで大丈夫です。毎日30~60分程度でいいんです。 でも、1つ1つに対して眼を逸らさずに正直に対峙すれば、「自分はこんな人間だ」と自信が持てるようになりますよ。 陰ながら応援しています。

kwta
質問者

お礼

実は今申し上げるのもご無礼にあたるかもしれませんが、わたしも軽うつのような症状で2、3年前から精神科医のところに通院しているところです。症状は投薬によって以前よりは良くなっているのですが、やはり自身の何かしら欠落した部分を感じているところです。自分自身による過ぎた憶測は良くないかもしれませんが、自身も記憶についてと症状には何かしらの関係があるのかもしれません。自分にとってどのような行為が良い結果をもたらすかはわかりませんが、joemさんの仰るやり方を参考にして自身の生い立ちを知ることで、欠落した部分を取り戻すことができるかもしれません。 とても励みになりました。ありがとうございます。

  • cokkoko
  • ベストアンサー率24% (6/25)
回答No.1

最初に断っておきますが、私は専門家ではありません。 ですが、私も似た経験をしているので書き込みました。 私は小学校の時の記憶があまりありません。一つ二つであればなんとなく思い出せるのですが、他人と話していると自分の記憶力がいかにないか実感します。しかしそんな私ですが、中学校以来の楽しかったことと衝撃を受けた事件などは細部まで思い出せます。ずーっとなぜだか考えていたのですが、私なりの答えは記憶の引き出しの取っ手を作ったからではないかということでした。 脳は記憶していても頭をパンクさせないために忘れようとします。忘れないために私たちは何度も反芻したり、インパクトをつけ他と区別させます。この、作業が記憶の引き出しの取っ手作りです。どこにあるかわかれば簡単に記憶を引き出せますから。 こういう作業を練習なしにうまく出来る人もいれば、ちょっと練習を重ねて習得出来る人もいる…ということではないでしょうか? つまりあなたが楽しかったことを覚えていたいなら楽しかった経験をしたら、すぐに人に話したり、ブログに書いたりすることで反芻すれば記憶が続くのではないかと思います。

kwta
質問者

お礼

なるほど、そうですね。確かに自分にあった出来事について他人に話したりすることが、今までも今もあまり無いように思います。記憶を反芻するということがあまりなかったのかもしれません。逆に思い出について多く話せる人はなんらかの形で記憶を反芻しているのかもしれませんね。ご回答ありがとうございます。

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