近代の戦争というのは、戦場で戦争を行う意志のある人間同士が、死力を尽くして戦うものです。
ですので、戦場をはなれて、あるいは、戦闘の意志のない人間を巻き込んではなりません。
(白旗をあげて降伏をすれば、戦闘行為は終了します。
戦傷者が充満している病院船を、意図的に攻撃することは許されていません。戦闘状態に無いから、です。これらの戦傷者が、治療を受けて精鋭の兵士となる蓋然性が高くとも、です)
核兵器は、(1)戦場をはなれて、(2)戦闘の意志のない (3)一般市民を 巻き添えにするので、近代の戦争の兵器としては適切ではありません。
(1)の理由 核兵器の破壊する地域は広範囲におよびます。もちろん破壊力を弱くした核兵器もありますが、後述する理由で限定的な範囲とは見なしません。
(2)の理由 戦闘というのは勝つ見込みがある場合に生じます。一方的な力の差の在る場合には戦闘とは呼べません。何者も核兵器の爆発には勝てないのですから、戦闘とは言えません。
(3)一般市民 限定された戦場で、兵士にのみ影響をあたえるような核兵器(他の方が書かれている劣化ウラン弾などを含めて考えて)使用することは、一般市民を巻き添えにしない、ということになるかもしれませんが、しかし、核の影響は人体を根本的な影響を及ぼします。つまり、戦闘状態を停止したあとの一般市民にまで影響を及ぼします。また、兵士であった経験の無い一般市民(配偶者、家族、そして子孫)にその影響を及ぼします。
子孫というのは、これから生まれくる一般市民です。つまり、未来の一般市民。未来の戦闘の意志の無い一般市民を巻き添えにします。(1)の戦闘の地域ということについても同様です。核兵器は、たとえば死の灰などにより限定された戦闘地域以外に放射性の影響を及ぼします。同様に、戦闘地域が戦闘地域でなくなった後にも影響を及ぼします。これは、戦争が、停戦交渉をもって戦争を終結することから考えるに、未来の地域は非戦闘地域です。この非戦闘地域を戦闘にまきこむのは、近代戦の定義に反します。
つまり、人類は、理性で戦争をコントロールする術を得ました。これが、従来までの人類の戦争と近代的な戦争との違いであり、近代的な戦争が人道的たりえた唯一の理由です。
これに対して、核兵器は、その影響の及ぼす範囲を、理性で限定できない、この点において、非人道的な兵器です。
さらにいえば、核兵器は、その性質上、現状では、使用される際には最終戦争とならざるを得ず、人類すべての殺戮戦争となるため、人道=人として生きるための道、に根本的に反します。