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最近の人はよけない…!?

最近の人はよけない…!? 昔は車が来たら危ないから、 人は道のはじとかによけてたのに、 最近は2列や3列それ以上に広がったままおかまいなしに歩く人が多いです。 駐車場で後ろから近づいても夜ライトで照らされてもよけない人が多いです。 どうして最近の人はよけないんですか??

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  • QoooL
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回答No.4

マナーは遺伝するから & 流行するから だと思います。 遺伝というのは生物学的にとかDNAがということではなくて、 親の行動を見て 子は善悪の判断基準を培うものだと私は思います。 つまり例えば、 自転車置き場に自転車を停める親の子は、自転車置き場に停めるように育つ、 自転車置き場に自転車を停めない親の子は、自転車置き場に停めないように育つ、 歩行者用信号を守る親の子は、歩行者用信号を守るように育つ、 歩行者用信号を守らない親の子は、歩行者用信号を守らないように育つ、 という意味です。 全員が、とは私も決めつけません。あくまで「そういう確率が高い」という個人の予想・感想です。 もちろん、「酒飲みの親の子が、酒に嫌悪感を抱くように育つ」というような反面教師ケースもあるでしょう。 でも基本的に、子供というものは、「ああなるほど、こういう時はこういう風に判断すべきものなんだな」ということを反復的に親から学ぶものだと思います。善悪の基準はその最たるものでしょう。 昔の知り合いで、親が「他人の家の新聞受けから新聞を盗む」と、子がそれを悪いことだと感じる心が薄れて真似していました。 だから私の答えは、「親が、車など後続の速い通行人が来ても避けない性格だから、あるいは、そういうことを大事だと思わない性格だから、子供に 『車や自転車など後続の速い通行人が来たら、避けて互いに道を譲りなさい』ということを教えず、 あるいは親の『避けない行動』そのものが『こういう時は避けるべきでない』という教育になって、 伝播していくのだ」 です。中には 「親の親もまた、そういうことを教えなかったから、親は教え方そのもの・教えるべきことを知らない」 というケースもあるでしょう。 遺伝は何も親子に限ったことでなく、兄弟間や親しい親戚、親友、学校の先生からうつることもあるでしょう。 もう一つの流行の話も私独自の意見です。 誰か一人が自転車置き場の外に自転車を停めると、後から来る人が自転車置き場以外に自転車を停める確率が急激に上昇する、 誰か一人が2車線道路に車を停めると、後から来る人もそこに路上駐車する確率が急激に上昇する、 歩行者用信号を守って信号待ちしている5人の中で誰か一人が赤信号を無視して渡り始めると、それまで真面目に信号を待っていた残り4人が「自分も」と赤信号無視する急激に上昇する、 という事例よくありませんか? 人間が社会的動物だから、というのが理由かどうか知りませんが、人間は集団で無意識に他人と同じ行動を取るのではないでしょうか。 2列や3列それ以上に広がったままおかまいなしに歩く人、というのも、一人だけで歩く時は割と道の端に避ける性格なのに、集団で歩いていると無意識のうちに「他の人はどうするかな」という多いことを見極めて、「他の人は避けないようだ」と判断できると、「我々は避けない」という集団の意思を感じとって、一人だけ異なる行動が取れないのではないでしょうか。 誰か一人が「危ないよ、車来てるよ」と言えばその集団もちゃんと避けると思います。彼らに「危ないよと声をかけ合う文化、後ろから来る人に道を譲る文化」が伝わってないからです。あるいは「こういう時は避ける時ではない」という誤った文化が伝わっているからです。 「自転車に乗っている最中にケータイをいじる」という現象も遺伝より流行で説明できると思います。では質問者様は、「自転車に乗っている最中にケータイをいじっている見知らぬ中学生」に注意なさったことがありますか? そういうことを考えると、善悪の基準が伝播する様子がご想像いただけると思います。その中学生は 「誰も注意されているのを見たことがない。むしろ、自転車に乗っている最中にケータイをいじる人はよく見かける。だからこれは『やっても良いことだ、そんなに悪いことではない』」 と無意識に思っているのでしょう。 エレベーターで他の人が出入りする時に扉や開ボタンを押さえる、「何回ですか」と声をかける、という「マナー」もすたれつつありますね。同じ説明が通用するのではないでしょうか。 「『個』を重んじる時代になった」=「自己中心的な世の中になった」 というご意見もありそうです。 でも私は、「昔の人はそんなに真面目だったか」「マナーにうるさかったか」ということにかなり疑問を感じます。むしろ現代の方が情報が容易に手に入って、「より真面目な世の中」になった、という見方もできるのではないでしょうか。 私が言うより、専門家が言えば、あるいはテレビが言えば、信じる人も多いと思います。 だってタバコを道端に捨てるのだって昔より今の方がうるさいでしょう。「個の時代」は原因として弱そうです。長くてすみません。

その他の回答 (15)

noname#142255
noname#142255
回答No.6

当てられて 金にしょうと言う人が増えたのです 安全第一で運転するより手はありません 怪我さすと 運転手は犯人で歩行者は王様です

  • kaeru911
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回答No.5

最初に中年おばさんがペチャクチャしゃべりながら横一列になって歩いてる。 それを見て育った子供が学生になって同じようにしゃべりながら… それを見た小さい子供も、それが当たり前の行為として育ち… まあ負の連鎖ですね。30年以上前から躾のなってない人が増え、それを見て育って、危ないと言う考えが無くなってるんでしょう。 今は小さな子供連れなのに、目もくれずケータイに没頭したりおしゃべりに夢中になってる母親が沢山居ますから、数年後にはもっと危ない業況になってるんじゃないでしょうか。

回答No.3

人の意識が変ったからです。 もちろん、今も自分の命は自分で守ることは同じですが 運転者に対する意識が逆転した・・と感じています。 昔は車はステータスでした、乗りたい、運転したい・・って しかし、最近は車に興味が無い人が増加しています。 若い男性に対するアンケートでも車離れには、顕著な数値が出ていました そんな事から、車を運転した事がない人も増え、 運転している人に対し、「歩行者優先だろ?」って考えていると感じています または「優先」の意味を「特権」と解釈しちゃっている、 ゆとり世代の障害もあるのかもしれません・・(これは私見です) (歩行者優先って言葉は安全な運転を実施するための「ドライバーに対する指示事項」なのに、  「歩行者側に与えられた特権」と誤解している人が増えた・・って意味です  特権なんて、誰にも与えられて居ませんよね) 更に、こんな事も拍車をかけているのではないでしょうか 最近都市部のマンションの駐車場は空きが増加し、 マンションの管理費収入が計画値に届かず、大規模修繕工事にも 影響が出始めています。 そうです、若い子だけでなく、過去に車を所有していた人も 車を手放している事実があるのです。(不景気も影響していますね) そんな人が歩いています・・ 後ろから車が来ても・・ 「歩行者が居たら徐行だろ!」って、開き直っているって事もあるのではないかなぁ (偉そうに車に乗りやがって・・ 邪魔やねん!・・ とか・・) などなど、思いつくままですが、 意識が逆転(昔は憧れや尊敬・・ 今は邪魔物や軽蔑・・)している事は理解できそうです ということで、車を運転される際には、世の中はそのように変化している 自分達は邪魔者のように見られているんだ・・ ぐらいの気持ちを持って 運転していると、ストレスにも感じられなくなってきます・・ ストレスに感じて、イライラすると、危ないですもんね 長文失礼しました。

  • konata508
  • ベストアンサー率26% (514/1954)
回答No.2

あぶないとは考えていないからだと思います。交通法規や車の特性を理解した方ではないとこれぐらいなら車が止まってくれるだろうとかよけてくれると考えているのだろうと思いますが、そもそも車の死角に簡単に入ってきたり、若葉マークの初心者や少々厄介な迷惑ドライバーもいること自体は考えていないと思います。「歩行者が優先される」という建前だけを信用しているように感じます。評価されることではないですが「間違いで死ぬこと」=「迷惑ドライバー」だけだと誤解しているのではないでしょうか? 私の経験上、知識的には幼児と同じ(危険と考えていないこと)なのだろう思いますので、避けさせようと考えずに「危うきには近寄らず」で自分が回避したほうがいいことが多いです。まぁ、「モラルの低い人だ」と腹は立ちますが、50歩100歩のところもありますし、実際に事故を回避できるのはこのような感覚のような気がします。

  • aokii
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回答No.1

交通事故では、歩行者よりも運転者のほうが必ず悪いことになっているからです。 そして、命が惜しくない人が多いからでしょう。

endoflife
質問者

お礼

歩行者よりも運転者のほうが必ず悪いことになっているのは昔から同じですよね? 最近命が惜しくない人が多くなったのはどうしてですか?

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