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映画「グリーン・マイル」について
映画「グリーン・マイル」について ねたばれになりますが、 映画「グリーン・マイル」で主人公の ポールが聖なる清く正しい 神の使いのような 巨人の黒人男性ジョン・コーフィを 殺す手助けをしてしまいまった罪は どう贖えばいいのでしょうか? 是非、教えて下さい。
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確か、普通の人よりも長く生き続けることのできる力を身につけてしまったことで、家族や親しい者の死や別れを悲しむ経験を沢山つまなければならないこと自体が、贖罪になっていると解釈しましたが、どうでしょうか?
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- tanuchi
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ラストの延々と続く“それを映像でやるのが映画だろ”っていう独白部分がそのまんまじゃないの。
お礼
ご回答有難う。
- kigurumi
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「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」 マタイの福音書 5章10節 イエスは義を貫いたが、そのために死刑になった。 しかし、彼は全く正しい人だったので、死んで3日後に蘇った。 これが新約聖書の物語です。 それでキリスト教を布教することは正しいことであり、キリスト教を布教し迫害され殺された者は天国に行ける となった。 これに沿えばコーフィーは殺人をしていないにも関わらず死刑になったイエスと同等。 すべての人々の罪を背負って死んだとされるイエスと同等。 コーフィーがすべての人の罪を背負って殺されないと、全人類は罪をリセットされないので、コーフィーが殺されることは、全人類にとって良いこととなり、コーフィーが無実に罪を背負って殺されることを妨害しなかったポールは正しい人ということになる。 コーフィーをイエスに見立てた作品です。 コーフィーよ 全人類の罪を背負って死んでくれてありがとー となるわけで、ポールはかつてキリスト教徒がやったように「みんな喜べ」と言うべきなんです。 「良い知らせだ、イエス以降人々は罪を重ねてきたが、コーフィーが全部チャラにしてくれて私たちはもう一切罪がない状態にリセットされたから、今死んだ者は全員天国に行ける 万歳!」とポールはグッドニュースを全世界に述べ伝えればいいわけです。 これを福音と呼びます。 従って購う必要は無いんです。 で、ネタバレをしますと、「神の義のために迫害されたものは幸いなり、天の御国はその人のものなり」というのは誤訳でして、実際は「神の義を追い求めたものは幸いなり、天の国は彼らによって創られる」なんです。 <迫害>ではなく<追い求める>が正しい訳。 ヨブは正しい人だったが、家が家事になり家畜が全滅し、息子全員が死んで、自らも重い皮膚病になった。 すると友人たちは「神様はお見通しで、ヨブになんらか不義がなければ、神様はヨブに災いをもたらすはずが無いから、自覚していないがヨブは全く正しい人ではなかったのだ」と言ったわけです。 奥さんも「こんなに不幸ずくしになったら、神様があなたを呪っているのだから、自殺しちゃいなさいよ」とまで言った。 ヨブは友人たちに言われても、奥さんに言われても納得せず、とうとう神の前に立ったんです。 神の前に立つ人とは、すべてを亡くし、もう神にすがるしか残されていない人のことを指す。 ヨブはそのような状態になり、やっと神の前に立たざりをえなくなったわけです。 「神よ 私が一体何をしたから こんなむごい目にあわせるんですか? 私はバカだからさっぱりわかりません、 バカな私にどうかその理由を教えてください」 こうヨブは神に訴えたんです。 ぎゃーぎゃー騒ぐヨブにとうとう神が出現し、「お前は何様のつもりだ」と言ったんです。 「お前は私がこの世を作ったとき どこにいたか言ってみろ、え? 答えてみろ。私の計画を最初からみてきたとでも言うのか、私と同等に私の計画のすべてを知りえるものだとでも お前は思っておるのか!!!」 ヨブはやっと引き下がった。 イエスが無実の罪を着せらせ処刑されることで、全人類の罪が消えるというのは、神の計画。 コーフィーが無実の罪を背負って殺されるのも神の計画なら、ポールが真実を知りながらコーフィーを救えないのも神の計画。 従って購う必要は無い。 コーフィーが無実の罪を着せられ殺されるのは彼の運命で、それは神から与えられた運命、神の計画。 そのことにとやかく言うというのは、ヨブと同じ。 神はその人が神の前にたって抗議したら「てめー 何様のつもりで俺の計画にケチつけんだよ 俺がこの世を作ったとき テメーはどこにいたんだ 言ってみやがれってんだーー」と吹き飛ばされてしまう。 要するに望まない運命も受容することで、天国になるってこと。 イエスだって最初 「やだやだ いやだーーー お願いだからこの運命を背負わせないでーー 」って神様に抗議したんです。 「神よ どうして私を見捨てたのですか」と誰からも助けてもらえず、十字架に貼り付けになったとき、とうとう神の前にたって神に抗議したんです。 すべての人から見捨てられ孤立無援状態。 その状態にとうとうなり、神の前に立ったイエスは「すべてあなたにゆだねます」(神の計画に従います)となり、それを受け入れたことでやっと安楽になったわけです。 ユダヤ教の考え方を知らないと難しいかも。 ヨブ記 ネットでも見れますから、一度読んでみてください。
お礼
参考になりました。どうも、有難う。
お礼
ご回答有難うございます。 参考になりました。