No.1です。リクエストされましたので、再再度登場です。
(ばらばらと書きました。まとまっておらず申し訳ないです。)
自分で自分自身が嫌い(認められない)のは、生きてゆく上でつらいことの一つと考えています。
我思うゆえにわれ在り
ですから。
自分はこんなもの(程度)と卑下すること無く等身大に認識し、足らない部分は助けてもらったり 教えてもらったり 学んだりして補完する。
若いうちは難しいカモです。(私自身はできませんでした。)
(20台後半に結婚し、家内が無理なくそれを実践していて、身近で見よう見まねができたのがラッキーでした。ずいぶんと人生が変わったのだと思います。)
面接などでは、限られた非常な短時間で採用を決定するわけですから、非日常的なものになります。
ここは、演ずると言うか 使い分けてうまく振舞いましょう。演ずることは、人間の能力のひとつです。
被面接者の役を演じましょう!
ビジネスパーソンで、会社と休日の顔が違う人はたくさんいます。
ある意味、使い分ける余裕のある能力を面接でみているのカモ・・・。
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何でもできる人はいませんし、多くのことをそつなくこなす人は 人に助けてもらっていたり、学ぶことを繰り返しています。メディアは、結果だけを伝えています。個人に深く関われば、見えてきます。多くの事例はわからないですけどね。
絶対なんて基準はあり得ないし、あるとすれば、脳みそが作り出した神ですね。
学生の頃は、「人間の脳ってなんて不完全なんだろう。大嫌い。」と考えていましたが、「人間の脳は不完全なものなんだ。だから、人間なんだ」と考えるように変化がありました。
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先日、アナイス・ニンと言う作家?を紹介している本をこどもから貸してもらいました。
すげー人生を悩んでいて私はかっこいいと感じました。
その本の中に(有名な言葉なのか?知りませんが)
Life shrinks or expands in proportion to one's courage.
とか
We don't see things as they are, we see things as we are.
とか
And the day came when the risk to remain tight in a bud was more painful than the risk it took to blossom.
が紹介されていました。
悩むことはかっこいいです。悩まなければ、脳みそは働きません。
悩まないことこそかっこ悪いんです。人間の脳みそは不完全ですから。o ○
気軽に悩み、自分で悩み、人とも悩みを見せてしまいしょう!!かっこぃぃ。
お礼
お応えいただき、本当にありがとうございます。 (お忙しい中急かしてしまったような気がして申し訳ないです) 身近にそんな人がいれば良いのですが・・・。狭い対人関係ですが、周囲をよく見渡してみようと思います。 教えてもらうことは恥ずかしいことだ、という概念を取っ払う必要がありますね。 完璧に見える人は、より学ぶ姿勢を持つ人だ、とのお言葉、とても参考になりました。やっぱり自分の妄想(思いこみという勝手なシナリオ編成)だけで動いているため、現実の周囲への観察力が欠けていることも問題であると思えてきました。 第一印象は無意識のうちに取り繕ってしまうこともあるので、面接では練習を重ねてそれなりに掴んでいこうかと考えています。 アナイス・ニン氏の件についてですが、 「あるがまま」を是とする概念は仏教学でも学びましたが、そういう概念は西洋にも共通しているものかなとふと思いました。考えることは人間同じなんですね。 自分と周囲をもう一度見渡すことが鍵になっているように思えてきました。 とりあえず相談室に行ったりしながら探ってみます。 たびたびのお言葉、本当にありがとうございました。