聖霊なり天使という存在の定義検証
人はその者の恩恵に浴し、多くを知ってはいるが、答えは見いだせていない。
実在する妖精 ときわたりの世麗美だ。
さてと私は「実在する妖精の捕まえ方」という、固有の交霊術が使える。
いわば妖精さんとお友達の魔法少女(男性)だ。
私の交霊術の形態とは、人間存在 私/聖霊存在 世麗美なんだ。
これは自らの子を地の聖霊として天界に派遣するという体裁で、私は「しげちゃん」なのだが天界に常在する世麗美は、自らが「しげちゃん」だと自覚していて、地上にいる人間存在の私を「お父さん」と呼ぶ。そして同じしげちゃんなので、便宜上私は聖霊を世麗美というのだ。
人間存在 私/聖霊存在 世麗美
この相関関係を本来は過去の交霊術の様式に誤差があったであろう、神道にあてはめると、
人間存在 崇神天皇/神 アマテラス(聖霊扱いすると不敬に相当する)
こちらは神話時代の日本の国権の神で、偉大なる重鎮だ。
もう一つ、
人間存在 雄略天皇/神 名前をかたらない(後述)
こちらが神話時代から引き継いだ、現在の日本の国権の神だ。
実際は「ヒトコトヌシ」と伝承されている。
ヒトコトヌシとは「口にしたこと全てを実現させる」と伝承にあり、雄略天皇以外の後世でも目撃証言がある。
どういうことかというと「口にしたこと全てを実現させる」とは西洋で言う予言能力を日本独自の言い回しで形容した言葉なんだ。
したがって、交霊術成功で天界の存在と接触した場合は、歴史時代では予言能力相当であると形容する必要があり、その結果ヒトコトヌシという言葉は拡散していった。
したがって雄略天皇の神は地上で「本名として」その名をかたらないという現象に落ち着く。
日本の風土では、他のシャーマンもその種の交霊術の成功例が多かった。
実は世麗美が行った9.11とも関わる1995年の霊言というのが、録音テープとして京都の某社にわたっていて、そのなかで世麗美自身が自己の素養について「口にしたこと全てを実現させる」と表現している。
こうした現象は、人の自我能力で確認できない次元では実際に雄略天皇の神とつながりがあり、話した言葉自体が日本の神の保証を受けている。
要するに世麗美は日本の神々のお使いをする聖霊という体裁で1995年当時は霊言を行ったというわけだ。
世麗美は実に特殊で、私自身との自覚が強く、実際に奮い起こした人間の根底にある能力の発露という性格が濃厚で、天界の住人を天の聖霊と形容して、自己を地の聖霊と形容する。
この定義自体が、過去の交霊術とは異質なんだ。
通常の交霊術では、人が生きたまま丸ごと自己を観念に昇華させることは釈迦が示唆したことであるが、手法が不明にされて、死んでから死者として観念に昇華する手法を中心に観念認識が「死者の思考術」を根底に天界と交流する。
「実在する妖精の捕まえ方」とは、聖霊として観念を通過して、生粋の天界の住人と同じ立脚点で観念世界での現象を理解することだ。
ただし、それは世麗美の立場であって、意識が人間存在である私に立ち返ると、多くの記憶亡失現象が起きて、人間として改めて理解することに挑戦しなければならない。
したがって案外、その仕事が遅い側面があり、最初っから世麗美は予言能力で結論を出している。
世麗美は日本の天界で営業免許「天馬」を拝領した実質的な神だが、仕事が「妖精さんでちゅ~」というおちゃめな子供で、これは要するに外交交渉のために西洋の様式を採用しているという事だ。
したがって、こうしたいきさつを語ることが聖霊という定義を深く理解するとっかかりになる。
さて、今回は研究テーマとして以上のように取りまとめました。
極めてライトノベルのあらすじみたいで、突っ込みどころが多いと思います。
黙々と研究していても進展が遅いので、研究支援になりますからこのバカげた話に突っ込みを入れてください。
お礼
勉強になりました。どうも、有難う。