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地元離れの苦悩、東京で感じた冷たさとの葛藤
- 関西から上京した20代の私は、東京の人々のクールさに苦手意識を持ちました。
- しかし、東京で彼女ができたことで自分の東京に対する印象が変わり、プラスと考えるようになりました。
- しかし、最近地元に帰った際に友人から「変わった」と言われ、関西に対する誇りとの葛藤を感じています。
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私も、初めて上京した時のことが脳裏に浮かびます。 電車の中に並んで座る人々の能面のような顔を見たとき、「うっなんだこの異様な雰囲気は!?」と思い、とんでもない国に来てしまったと後悔したのを覚えています。誰一人血の通った人間はいなかったのです。 一人二人ならわかりますが、違う路線に乗り換えても、車両全て、遠くを見渡してもまともな人がいないことに、テレビドラマで描かれるような宗教団体の洗脳シーンと重なってしまい、一層キモい印象を持ってしまったことを思い出します。 どうしてこの人達はこんななんだろうと推理しながら観察を続けました。 この異様さがどこから来ているのか? その場のひとつの結論として考えたのは、東京は虚飾と欺瞞に満ちた都市だということです。 クールな人間だというだけなら性格の問題で済みますし、キモいなどということはありません。 熱い人までが、クールという嘘の自分になろうとするキモさ!! 何故かみんながみんなクール振っている、いわば「クール教」の信者といった方がといいと思います。 私は、そのせいもあり、絶対信者にはならんぞという決意を固めたものです。 クールに振舞わなければ東京人じゃないという強迫神経症的な歪んだ何かがあるのかもしれません。東京ならではの異様な洗脳人間増産のメカニズムの根底には。 東京人のキモさを頭に焼付け、自分だけはあんな風な人間にはならんぞと力拳を握り、肝に命じたわけです。 クールであることが素晴らしいというかん違いをしているのでしょうね。で、猫も杓子もクール振るようになる。 しかし、クールさなんてのは、客観的には、いろいろある性格の中の単なる一つに過ぎません。 住んでいる人の大半がそのことに囚われていることが異様なのです。 クールであることはいいのですが、たかがクールさに囚われてしまうようになれば、精神病というわけです。 しかも、本人達がそのことに気づいていないという二重の悲劇です。 あなたや私のように東京の外から来た人間だけがその異様さに気づくことができるのです。 私も、東京人がいくら異様だからといって、それを治療までするの気力はありません。宗教と同じで、その信仰が間違っているからと言って改宗などの干渉行為をしないのと同じです。 せめてできることは「自分は洗脳されないぞ!!」と自分を守ることぐらいです。
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- jyako_001
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わかるなぁ~と思って回答しようと思いました。 私は関西出身で関西弁大好き! 今は主人の仕事の関係で東京にいます。(今も関西弁) 主人は東京出身の人なんですよ! 東京でも色んな人がいるし、色んな土地があるなぁという印象です。 親切で優しい人も沢山いますよ。 電車の中とかで親切にしてもらったことは数限りなしです。 でも、関西と比べると全然違う。 やっぱし関西は独特だから、あんな風に誰かれなーなーでしゃべったりすぐ仲良くなったりは東京ではありえないです。 全国の他の土地にも何箇所か住んだんですが、意外に東京じゃなくてもなかなか手厳しいことがあったりしますよ(笑) 私もたまーに関西へ行きますが、街を歩いたり電車に乗ったりしてると「すごいなぁ~」なんて客観的に見てる自分がいたりします! 関西の人は地元が大好きだから、仕事で関西を出るように辞令が出ると”関西から出るなんてありえへん!”と退職して転職してしまう人もいると聞きました。 今の私の気持ちとしては、苦労続きだけど、半強制的?に関西から出させてもらって色んな世界を見せてもらって体験させてもらってることは、人間の幅を広げてもらってるな!と心底思っています。 出ることがなければ、他の世界を知ることはできないです。 大好きな地元でずっと暮らせる人は幸せだなぁと思います。 すごく羨ましくなる時だってあるし。 でも、色々知ってみたいと思ってる自分なので、これで良かったかもと思っています。 関西のお友達に「変わった」といわれるのは”しゃーないこと”です。 仕事するってことは適応しないといけないことなので、東京で毎日奮闘されてるって証拠です。 ”そんなん言わんといてぇや~! 好きな関西離れてがんばってんねんから偉いなぁ~ってゆーてぇやぁ” ってゆっとけばどうでしょう?(笑)←笑いは大事! 東京ではMXテレビで木曜日にじゃりん子チエちゃんやってますよ! 我が家では毎週録画してばっちり見てます! 蓬莱の豚まんだって通販できるみたいだし。 今は交通も便利です。息抜きしたくなったら是非、関西まですっ飛んで楽しい気持ちになって帰ってきて下さいね♪
- tomban
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経験者じゃないけど、エピソードというか、何かの足しになるかな?。 ある日、私は食堂で飯を食っていました。 私の居住地は群馬県。 東京と同じではありませんが、意外と東京と似た雰囲気を持っています。 そこで一人の男が店主に言ってるんです。 「こっちの人は冷たい…俺が関西(具体的な場所は避けます)にいたころは、色々とかばってくれたし、相手にもしてくれた…こっちの人間は駄目なら駄目、しか言わない…帰りたい」 満員の食堂で、忙しい店主相手で、さぞや店の人も大変だったと思います。 言いたいことはわかります。 同じように私が外国に行ったとき、同じような感想を持つに違いない。 しかし、ここは関西のどこかじゃなくて「群馬」であり、止む無くこの地で働かざるを得なかったわけですから、それを口説いても我々には「非難」にしか聞こえないのです。 聞いてもらいたかっただけなのでしょうが「郷に入れば郷に従え」は、万国共通のところがあります。 「故郷愛」というものは、いいものです。 それになによりも「自分の支え」になります。 自分のアイデンティティーを保持するためにも必要なのかもしれない。 しかしそれは「形あってのもの」だ、ということを、質問者さんは「理解」されたのかもしれない。 当地に住んでいることで、初めて起動可能なもの…それが「故郷愛」かもしれませんね。 情けなくはないですよ。 一回り理解が進んだ、グローバルになった、ということじゃないんでしょうか?。
私は名古屋で生まれて三河地方で育ち、京都の某大学に進学、大阪の下町生まれの嫁さんと結婚して、大阪、姫路、浜松と転々として、琵琶湖の近辺に落ち着きました。 土地土地に依って人間の感性は異なっており、同じ関西人でもうちの嫁さんと京都出身の友達とは感性が異なる気がしますし、神戸などでも大阪人との違いを感じました、うちの嫁さんは同じく京都の大学に通った割には、京都出身の友達とは距離を置いており、感覚的に余所余所しいという気がするとか言ってますね。 私も関西に根を張ってみて、名古屋は排他的でよそ者とは距離を置く土地柄ですから、当初はご質問者が言われたように溶け込めなかったんですけど、関西の馴れ馴れしさは私の感覚にあっていたので、今は溶け込めましたし、あの雰囲気は好きです、特に新大阪を降りると故郷に帰ったような気がしてきました。 あれは関西人の特性ですから、よそ者の私が関西人になったように、しばらくすれば元に戻ると思います。 東京はどうしても馴染めず、まだ営業車でさんざん走り回った静岡近辺まではよいのですけど、出張で東京駅に行くと、住むところではないなと感じてしまいます。
お礼
素晴らしい!!マーベラスな回答ありがとうございました。