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ランディー・バースはなぜ化けた
そもそも前評判はそれほど高くなかったようです。Bass をバースと読ませたのも、不振で「おんぼろバス」と呼ばれるであろうことを避けるためと聞きました。 事実、来日1年目の滑り出しはひどいもので、ゴールデンウイークに入った頃の打率はわずか .050 ほどだったのを覚えています。 それがシーズンを終える頃にはしっかりした数字を残しており、2年後の大活躍は助っ人球史に残るものと誰もが認めるところです。 結局(特に1年目において)ダメ外人から脱出できた原因はなんだったんでしょうか。それが最近の阪神の舶来砲のテイタラクぶりを解消する参考になれば、と思いました。
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バースは実績はなかったが、評価は悪くない。 脚が悪く守れない、メジャーの速球に弱い、という弱点があるが、日本の投手なら打てたはず。 しかも野球観の違う日本に来たのだから順応するまでに時間がかかって当然。 なので、なぜ.050という数字まで落ち込んだのか、探る方がいいと思う。 1年目にはいろいろ重なったようだ。 オープン戦では右手首に死球を受けて全治7週間の重傷を負っている。 そして、一緒に来日していたリンダ夫人が重度のホームシックにかかってしまう。 さらに父の死。 これで成績を残せと言うのは過酷かも知れない。 徳にオープン戦で7週間の重傷なら、復帰は早くても4月後半から5月あたま。 GWの頃に0.50でも不思議はないのかも。20打数1安打。5試合不調ならこれくらいは誰にでもある。 もちろん彼が順応しようと努力したのは確かだ。83年のオフに解雇されそうなときも、その努力や練習に対する姿勢が監督の擁護を生んだ。 また時期は分からないが、掛布雅之が浜風の強い甲子園対策として身に付けていた独特の流し打ちを伝授したらしい。1年目の35本はこれが効いたのかも知れない。
お礼
ご回答ありがとうございます。これだけの要因が重なってしまえば、あのような打率も無理はなかったのですね。 ご紹介いただいたエピソードも、とても参考になりました。