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もしも貴方が・・・
もしも貴方が、何らかの理由で 心療内科のドアを叩いたとします。 その心療内科の先生が、 「よかったら君の絵を見せてくれないかな?」 といいました。 実は貴方は過去、プロを目指そうと頑張っていました。 あまりおおっぴらに発表することは無かったので、 少数からですが、それなりの評価も貰っていました。 でも今は、心療内科の先生の診断により、 精神病を患っていることになっています。 考えた末、書いた絵を先生に見せました。 そして先生は言いました。 「私は絵のことは全然分からないけれど」 「本当に描き慣れているね」 「上手だね」 絵の中の人物を指差して、 「この子は何を考えているのかな?」 貴方は、この先生の質問にどういった感想を持ちますか? 所詮絵の分からない先生だからと割り切りますか? それともちょっとくらいは何かを思いますか? 絵のプロ、又は目指している方に聞きたいのですが、 よろしくお願いします。
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自分で気づいていない自分の一面が、絵を言葉にしてみることからわかることがあるのです。 そういうわけで医師は聞いているのだと思います。 私は自分の展覧会では極力会場に居て説明を言葉でしますし、人の展覧会に行ったらだいたいの場合感想とか思いつきを言ったり、判断に迷う場合は聞きたいことを直接訊いたりします。 でも作品について極力語らないという主義の人も居たっていいと思います。 そうは思うのですが、 こ質問の場合は、医師はあなたの作品についての姿勢を問いただしているのではなくて、あなたの助けになるヒントを探したいということなのですから、あまりかたくなにならずに、自分のためと思って言葉にする試みをしていいのではないかなと思います。 助けのようなものを求めたいのなら、お金も払っていることですし、試してみてもいいんではないかなと思います。というより、今医師の質問にかなり反感を感じているというのは何かあるのかもしれないという気がいたします。 ジャクソンポロックはやはり診断の一助として医師に絵画を描いて見せるという作業をしていて、そのための作品が残っていますね。 以上、もし失礼な発言などございましたらご容赦下さい。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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デザイン系専門学校で学んだ者です。 例えばよく心理テストにある「みかんの木を描いてください」と言われたら学んだとおりの描きかたをして正確な判断は出せないでしょうけど、質問文にあるような >絵の中の人物を指差して、 >「この子は何を考えているのかな?」 という質問に答えることは治療のためのいい判断材料になると思います。 例えばその描かれた人物が笑っているのに「何も考えていない」「悲しんでいる」とか答えたら明らかにおかしいですよね。 デザインを学んだせいか、絵にメッセージ性がありそれについて答えることができないのはおかしいと感じます。 自分の作品を売り込むため大勢の人の前に出て説明する授業を散々しましたし、その授業の中で自分の作品について何も言うことがない人は誰一人いませんでした。 初めのうちは緊張して小声だったりしますけど・・・ 私だったら「この子は何を考えているのかな?」と訊ねられて (自分の腕が未熟で伝わらなかった)と感じ、あれこれと説明します。 その説明の様子を見て判断するものではないでしょうか? 他の人の絵を見て感想が言えるように、自分の絵に客観的になるんでしたら尚更言えると思うのですけどね。。。
お礼
回答有難うございます。 といいますか、 まるで子供をたしなめるように聞こえたのは事実なんですけれど。 確かに皆さんが言っている通り、かたくななのかもしれないとは思いますが。 その前に、その方が、私の心を踏みにじるようなことを サラリと言ったのには、微塵も気づかないようでしたので、 もう行っていません。 こうやって皆さんの意見を聞いていたら、 絵ではなく別のわだかまりでしたね。
補足
すみません、補足します。 子供をたしなめるような言い方を先生がしている気がしたのも 事実なんですけれど。
心療内科では、絵を描かせるのは良くあると効いていますよ。 描いた絵と言うのは、その人の気持ちがこもっているので、表に出していない事が書かれている物が多いです。 ですので絵画としてみているのではなく、治療の一環としてみている物だと思います。 まぁ、その治療の一環としてどのように見るのかと言う内容を知った人には役に立たなくなる話ですね。 そうなると。治療方針などを立てる方向性になるヒントがなくなるわけですから。 聞かれた内容に対しては、そのときの素直な気持ちを答えればよいだけの話です。 余計な勘ぐりは要りません。
お礼
回答有難うございました。 絵や色で分析することもあるらしいことは知っています。 私の場合、私の絵はいつでも自分を表現しているのを 知っています。それに絵を描くときは、テーマなどがあり それを表現しようとするから、絵から気づくというより 始めに私の中にあるものを絵に映そうとするんです。 そして客観的になる。 その絵について何か聞かれても答えることが無いのです。
お礼
回答有難うございます。 先生も、私を腫れ物に触るかのように 慎重に扱っている様子のときもありました。 でも、私の心を踏みにじる言葉をサラリと 言ったことについて、微塵も気づかずに居ましたし、 それはどんなことを意味するのか、さほど重要でない のだろうと結論つきましたし、 「あ、ごめんね」という言葉も聞きたくは無かったし、 やめてしまいました。 画家さんも意思に絵画を見せる作業をしていたんですね。 知りませんでした。 今考えると性格の不一致だったのかもしれません。 それに私には、そういうところはあわないのかも知れません。
補足
お答えいただいた皆様、有難うございました。 何のことだか自分の中ではっきりいたしました。 自分で感じたことを否定するべきでありませんでした。 勘が鋭いことに、罪悪感を抱くべきでありませんでした。 本来なら見えないところも、見えてしまう自分を 否定するべきではないってことです。 勝手に納得てしまってすみませんが、 話しても理解してもらえないだろうと思いますので、 さらには、そんな長い話も聞きたくはないと思いますから、 この場を借りて回答のお礼のみさせていただきます。 今回、誰の評価もいたしませんが、お礼だけ、 有難うございました。