非道?普通?
非道?普通?
はるか昔の話です。
28年前、父が会社で飼っていた
ヤギと鶏が相次いで
野犬に襲われて死にました。
父はそれなりにこの子たちを可愛がっていて、
父にはヤギも鶏も本当によくなついていて、
カルガモ親子のように父の後ろばかり
くっついて歩いていました。
私も父の研究所が家から近かったので
毎日遊びに行ってましたが
子供だった私をヤギも鶏も見透かしていて
私が餌をもっていってもほぼ食べず、
それどころか、頭突きされて追い回されました。
それでも懲りない私はしょっちゅうヤギと鶏と
遊んでいて、ようやく私にも懐いてくれた矢先、
野犬襲来で全滅しました。
いつものように学校から帰ったらすぐに研究所に
行くと、鶏小屋はからっぽでヤギもいません。
父が仕事中なのは知ってましたが、気になったので
父に会いに行くと、父は農機具のおいてある車庫に
いました。
そこで何をしていたかというと、殺されたヤギの
血抜きをして、解体していました。
父は田舎の百姓家の長男でしたし、
ウサギ狩りをしてウサギの毛皮を作ったり
していた話をきいたり
実際に見せてもらったり
してたので別段私も驚きもせず
「なんだ、ヤギ死んじゃったんだ。病死?」
と父に聞くと
「野良犬に襲われて全滅したよ。
ヤギだけでなく鶏もね」
ということでした。
「野良犬はこのままほっとくの?」
「ほっとくわけないじゃん。」
「手伝うよ」
「たのむ」
というわけで、解体したヤギの内臓などを
虎バサミの周辺にちらして
野犬狩りを開始しました。
翌朝、父の研究所に仕掛けた罠を見たら
かかるわ、かかる。
面白いように野犬がひっかかり
全部で15頭生け捕りにしました。
それらを彼らが襲撃した鶏小屋に監禁し、
役所が夕方引き取りに来るまで保管し
引き渡しました。
翌日、土曜日で学校はんどんで帰ると
父が、「会社来て手伝え」というので
会社に行くと、血抜きされ吊るされた鶏が
30羽くらいはいたでしょうか。
「おとーさん、どーすんのこれ」
「家持って帰って食べるんだ」
「え、じゃあ焼き鳥とか空揚げにするの?」
「そうさ」
「やったあ」
私は大喜びで30羽?の鶏をどのう袋に詰めて
持って帰りました。
「osuwariha、ヤギの肉食べたことないだろ」
「ないない」
「臭みがあるかもしれないが
ヤギ肉のステーキ食べるか」
「食べるぅー」
父は内臓だけ野良犬のまき餌につかい、
肉は解体して食べられるサイズにしていました。
これも家に持って帰りました。
家に帰ると、父は
「今から鶏さばくところ見ておけ」
そう言ってすでに血抜きされているため首のない
鶏を、沸騰した五右衛門風呂に使っていた樽に
丸ごとドバドバ入れていきます。
「どうして毛を剥かないの?」
「このままだと毛は剥けない。
沸騰した湯で湯がくと剥きやすく成るけど
あったかいうちに剥かないとすぐ剥けなくなる」
そういって工業用手袋をはめて
ブチブチ鶏の毛をむしって行きました。
確かに父の言うように面白いように剥けました。
私と父で全部の鶏の羽を毟り取り、
父は慣れた手つきで1羽1羽解体し、
あっという間にスーパーの店頭状態で
売られている状態にしてしまいました。
それでも、2時から始まった解体作業は
6時くらいまでかかりました。
父を見ていて、この人だけは
戦争になって食べ物無くなっても
なんとか調達していきていけるなと
つくづくそう感じました。
夕食はバーベキューですが
父と私以外、ヤギ肉も鶏肉も
食べません。
日頃肉肉肉肉~といってる兄は全く
箸もつけません。
母などはよりつきもしません。
食肉用のブロイラーではないので
硬めで筋がある肉でしたが、
固いものが大好きな私は喜んで
バクバク食べていました。
ヤギ肉も独特の臭気が食欲をそそり
とってもおいしかったです。
母と兄は
「あんたたちよくそんなもの食べられるわね」
とあきれ返っていました。
それから1週間以上、毎日焼き鳥か唐揚げ、
ヤギ肉料理を食べてましたが、とうとう
母と兄は一口も食べずじまいでした。
私は食べつくした後も物足りず、
「え~、もうなくなったのぉ・・・」
としょぼくれていました。
というお話です。
完全実話なのですが、この話を読んでみて
どう思いましたかというのが質問です。
お礼
避けたがよさそうですね。 回答ありがとうございました。