理知的なる思考者と感情的思考者の嫌悪感
物事の考え方における、理知的傾向があるひと、感情的傾向がある人、様々であり、思考対象によって個人の中でもうつろうものだと思います。
例を挙げるとあまりに限定的になってしまうので、総論としておきますが、ある議論について、かなり理知的な思考を持った人と、感情的思考を持った人が、それぞれの存在に抱く感情とはどういうものでしょうか?理知的というのは、自分で掘り下げるという作業を必要としますから、かなり率直な、自分の言葉が多分に入った意見です。感情的な方は、もちろん率直な心からの意見もあるのですが、えてして世俗に惑わされるというか、大衆迎合的な面もあるようで、そのときは、かなり自分の率直なところから出ているのか怪しいが、本人にもなかなか自覚されにくいという厄介な面があるようです。言い方を変えると、世間でもてはやされている多数派的な意見というのは、多分に感情的傾向があるということです。
私は、特に、この感情的思考のなかの後者(世俗に毒されている、影響されている)という傾向がある(気がする)思考を、ここで読んだり、そこここで見聞すると、非常にいやな感覚を覚えます。「自分出してる?考えてる?奇麗事ばっかりヒステリックに言ってない?ちゃんと人の気持ちを考えてる?」というような疑問を感ずることが多いからです。前者の真心がある感情的思考は、これは純粋で打たれるものがあります。
疑問なのは、感情的思考者(特にある状況設定で後者の傾向に思考が傾いている人)が、理知的思考者のいうことを聞くと、どういう感覚を持つのかということです。
それから真心の方の感情思考に対してもどうなのか、これも疑問です。
どんなものなのでしょうか?
補足
要するに女性の思考回路は企業などでは男性にくらべて相対的に劣るということですか? 政治家なんて難しいですね。