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「音がぶつかる」とはどういう意味ですか?
「音がぶつかる」とはどういう意味ですか? 藤山一郎さんが、古賀メロディーの代表作の一つである、『影を慕いて』について、次のようなことを述べておられます。 ”『影を慕いて』の例をとってみるならば、歌の出だしは まーぼろーしのーー である。楽譜では四分の三拍子、四小節分にあたる。ラーラドーシミーーと歌って、和音はAマイナー だけですませるとシーのところで当然音がぶつかる。” この『音がぶつかる』とはどういうことでしょうか?素人にも分かるように教えて下さいませ。
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>「音がぶつかる」とはどういう意味ですか? 「不協和音になる」という意味です。 不協和音が鳴ると、聞き手に不安定な気持ち感じさせることとなります。 >楽譜では四分の三拍子、四小節分にあたる。ラーラドーシミーーと歌って、和音はAマイナーだけですませるとシーのところで当然音がぶつかる。” ま「和音はAマイナー」 「Aマイナー」というのは、ドレミファソラシドの音階の中の、「ラ」と「ド」と「ミ」の 三つの音を同時に鳴らす和音の呼び名(コードネーム)のことです。 伴奏が「ラドミ」の和音のときに、「ラーラドーシミーー」と歌うと、「ラ」と「ド」と「ミ」は、伴奏和音の中の音なので、濁らずに溶け込むが、「シ」は、伴奏の和音には無い音なので、そこの部分で音が濁る、これを「不協和音」と呼び、不協和音が出ている状態を「音がぶつかっている」と言います。 特に「ド」と「シ」は、半音の関係(ピアノの隣り合った鍵同士)ですが、これを同時に鳴らすと、非常に鋭くとんがった響きとなります。 音がぶつかるのを嫌う、あるいは、避けるのであれば、その場所で「E7(イーセブンス)」という和音を使います。 「E7」の構成音は、「ミ」と「ソ#」と「シ」なので、これなら伴奏の和音とぶつかることはありません。「シ」は伴奏の和音のなかにきれいに溶け込みます。 しかし、なんでもかんでも音がぶつかることを避けていては、曲が面白くなりません。 不協和音で不愉快な響きを出し、聞き手を不安定な心理状態にして、直後に協和音を鳴らせば、「安定した!」という感じを強めることができます。 「不安定な感じ」=「音がぶつかっている」=「不協和音」=「圧迫感」 これを 「安定」=「音がぶつからない」=「協和音」=「開放感」 につなげれば、そこに「動き」、「ストーリー性」というものが生まれます。 藤山さんが、「シ」の部分で、 「音がぶつかって良くない。シのところはE7にすべきだ。」と言われたのか、 「いったん、音がぶつかるところが良いのだ。」と言われたのか、 あるいは、「音がぶつかるのを嫌って、シのところでE7という和音を用いている。」と解説されたのかは分かりませんが、「音がぶつかる」というのは以上のような意味です。 わたくし的には、寂しいゆっくりとしたこの曲の場合は、あえて音をぶつけ、窮屈な感じにして強く歌い、直後に力を抜くように開放する方が深味があってよいと思います。
お礼
ご丁寧な回答を有り難うございます。 ちなみに、藤山さんは『古賀さんはそんな点はあまり頓着されないのである。細かく和音をつけてもせいぜいEメジャーをはさむぐらいである。工夫してオーギュメントコードをつけてみようなどとはまったく考えておられない』と続きに書かれ、しかし西洋楽典のオーソドックスなスタイルに合うように編曲(藤山さんはご自分が歌われるときには、必ずご自分で編曲されました)すると、古賀メロディーの独特の持ち味が消えてしまう、と付け加えておられます。 藤山さんは、古賀メロディーより服部良一さん、古関裕而さんを高く評価されています。服部・古関メロディーは、藤山さんが東京音楽学校で学びぬいた西洋楽典から見て論理的であり、自分らしく、つまり正統的に歌いやすい、と言うことでしょうか。 古賀メロディーの歌い手には、演歌・艶歌・怨歌…的感性が要求されますが、そう言われてみれば藤山さんの世界とは違いますね。